「皆のもの聞けーぃ!」
自己紹介が必要だろう。オレの名は――ナホム。
「この国は腐敗している! その事実は口にしないまでも、誰しもが気付いている筈だ! 見て見ぬ振りなど出来ない筈だ!」
職業は煽動家。副業で弁護士をやっている。稼ぎは少なく貧困に喘いでいるが、そんなことは重要じゃない。
オレには崇高なる使命がある。
それは、理解を得られず笑われようと、馬鹿な奴だと蔑まれようと、この国が陥っている窮状を広く民衆へ訴えかけること。
「だが、幸いにして腐敗は一部だ! 早急にこれを取り除けば、まだ間に合う!」
今日も今日とて、オレは街角に木箱という名の舞台を構え、襤褸という名の晴着に身を包み、全身全霊を込めて叫び続ける。
「魔法士、何するものぞ!」
例え、誰の耳にも入っていなくても、声の続く限り。
「――武器を取れ!」
触手の魔女・外伝 2.時季外れの煽動家
駄目だった。今日も、オレの声は誰にも届かなかった。
「うるっせぇよ!」
ここはホステルの前だったらしく(廃屋かと思った)、その支配人を名乗る男が怒り心頭の様子で文句を付けてきた。そして、ちゃんと行政の許可を取っていると抗弁する間もなく、乱暴に木箱から引きずり降ろされ、ドンとホステルの壁に叩きつけられた。
「おい、分かったか? もう店の前で騒ぐんじゃねえぞ、客が来ねえだろ」
支配人の男が拳をちらつかせたのを見て、そろそろ声と体力にも限界を感じていたところだったので、オレは折れた。
「あ、ああ……分かったよ」
「ったく……面倒な手間かけさせやがって」
支配人の男が大股でホステルの中へ戻ってゆくのを見送り、オレはホステルの壁に体を預けながらへたり込んだ。
右手が痛む。壁に叩きつけられた時の怪我ではない。演説中、久々に石を食らってしまったのだ。
骨は折れていないようだが、もしかしたらヒビは少し入っているかもしれない。大きな青あざが出来ており、動かす度にジンジンと痛む。暫くは、利き手でない左手の方で食事しなければならないだろう。
「はあ……」
深い、深い溜息をついた。
「なぜだ、なぜなんだ……」
皆、気付いている筈だろう。一体何が問題なのかを。諸悪の根源は何かを。我々を苦しめ、追い詰めているものの正体を。
それは――貴族! 我々の血税を啜る塵芥にも及ばない下衆ども!
腐敗した果実は早急に取り除かねばならない。放っておけば他の果実までも腐らせるからだ。
「――だのに、どうして武器を取らない? 今はもう魔法の時代じゃない、銃と魔道具の時代だ。王侯貴族を守る魔法士だって、打ち倒せる……! もう、とっくに分かっている筈だろう……!?」
まさか、腐敗した貴族は、既に下々の民衆までも腐らせてしまったというのか。ふと、そんな考えが過り、オレは己の無力感に打ちひしがれた。
そんな時である。
「――おじさん」
無関心でも侮蔑的でもない清涼なる声音が、オレの暗澹たる心に光を差した。
「もしかして本気で言ってたの? 新種の詐欺かなんかだと思ってた」
誰だ、今の声は。
太陽を目指す身の程知らずの走光性の虫のようにバッと顔を上げると、ホステル前のベンチに深く腰掛けた女の子が、すっぽりと頭に被ったフードの中から目付きの悪い目でオレを見下ろしていた。
演説中もそこにずっと居たのだろうか? 全く気が付かなかった。声を聞くまで、オレは彼女の気配を一切感知していなかった。
小柄な体躯に反して大きな印象を受ける、不思議な雰囲気をもつ女の子だった。フードの隙間からかすかに覗く身なりの良さからすると、経済的には何ら不自由を抱えず育ってきたように見える。そういう、余裕からくる気品のようなものが女の子からはそこはかとなく漂っていた。
貴族ではない……が、金持ちの娘だな。
その余裕の中に、オレの激しい心の揺れを全部抱きとめてしまえるぐらいの懐の深さを幻視して、オレはあれこれ考える前に思考をそのまま口走っていた。
「本気さ。君も気付いているじゃないのか? この国の無視し得ぬ歪みを。オレはそれを正そうとしない民衆の心が理解できないのだ。改善できるなら、するべきだ。それが真っ当な人間のすることだろう?」
「そうだね」
女の子は小気味よく肯定した。しかし、すぐに「ただ――」と言葉を継ぐ。
「誰も本当に変えられるとは思えないだけ。おじさんの言葉には、熱意はあれども『ビジョン』がない。だから、阿呆な民衆の考えすら変えることができない」
「『ビジョン』……だと? それは銃と魔道具を以て、旧来の魔法的な支配体制を――」
「そういうことじゃない」
キッパリと、彼女は私の言葉を斬って捨てた。
「有史以来、体制が打ち破られた前例なんて腐るほどある。過去の魔法士たちだって、常に体制の味方だった訳じゃない。それにね、なにも『ビジョン』をおじさん自身が示す必要もない。なんなら、表立って煽動する必要もない……らしいよ。ま、全部とある人の受け売りなんだけど」
「……どういう、ことだ?」
「それが分からないようなら、時季外れの煽動家なんかスッパリ止めて、明日から真面目に働きなよ。向いてないから」
冷たく突き放すように女の子は言い、オレから視線を外した。だが、それは決してオレを見放した訳じゃない。我が子の成長を願う親が、時として自立を促すために遠巻きに見守るが如き慈愛に満ち溢れたもの。それを察したオレは、すぐさま思索に走った。出来の悪い子だと彼女に見放されぬように。
時季外れ……オレは間違っていたというのか? タイミングが? やり方が? 或いは、全てが?
……そうかもしれない。
冷静に振り返って考えてみれば、演説を続けるうち、いつしかオレの熱い想いを伝えられさえすれば、必ず民衆の理解を得られる筈だと盲信していたようにも思える。
しかし、だからといってどうすれば……。
オレは間違っていたかも知れない。けれども、改めようとしたってその方策が分からない。彼女の言った言葉の意味がまだ分からない。
そうして更に思索を深めようとした時、突然、背後のホステルから甲高い悲鳴が聞こえてきた。
「きゃああああああああ!」
「な、なんだ……?」
その悲鳴の迫真さに、オレは思索の中断を余儀なくされた。
中で何かあったのか?
危機に陥っているのなら、良心に従い助けてやるべきだ。しかし、オレの如き痩せっぽちが荒事で役に立つのか、さっきの支配人の男の方が――と、愚にもつかない逡巡をしている間に女の子は既に立ち上がっており、ホステルの入り口へ向かって歩き始めていた。
「――待ってくれ!」
反射的に引き止めていた。ピタッと足を止める彼女に向かって縋り付くように二の句を継ぐ。
「オレも……オレも一緒に行きたい」
「……くればぁ?」
女の子はくすくすと笑った。それは何の気負いも感じさせぬ、朗らかな笑顔だった。
数時間後、通報を受けた警察がホステルに駆け付けてきた。
このホステルで、白昼堂々の強盗殺人事件が起きた。さっきの悲鳴は、清掃員の女性が死体を発見したことによるものだ。
被害者は、このホステルに昨日から宿泊していた四十代男性。眠っている間に手足をシーツで拘束され、凶器のステーキナイフで心臓を一突き。ステーキナイフは胸に突き立てられたまま現場に残されていた。
現場には、他のベッドから集めたと思われる大量のシーツが残されており、犯人はこれで返り血を防ぐと共に、被害者の抵抗と断末魔の叫びを封じたと見られる。また、被害者の荷物が荒らされており物取の形跡があった。
第一発見者はこのホステルに勤める清掃員の女性。いつもどおりに掃除をしていたところ、死体を発見して悲鳴を上げた。
被害者には二人の連れがいた。一人は二十代の女性、もう一人は未就学の男児という、どこかアンバランスな印象を受ける三人組で、彼女たちも昨日の夜からこのホステルに宿泊していた。
死亡推定時刻は死体発見とほぼ同時期。できたてほやほやの新鮮な遺体だった。
魔道具を用いた実況見分では、魔力痕――魔法使いが身につけていたものや、爪・髪の毛などに染み付いた魔力――無し、魔力残滓――魔法が使用された際、周囲の空気中や床・壁などに残る残留物――無し、薬物反応無しという結果が得られた。
司法解剖をするまでもなく、死因は寝ている間に突き刺されたステーキナイフによる刺傷でほぼ間違いないない。
以上のことから、容疑者はかなり絞られた。
死亡推定時刻にホステル内に居たのは四名。被害者の連れである二十代の女性と未就学の男児、そして支配人の男と、第一目撃者である清掃員の女性だけだ。
女の子も、同じ考えのようだった。
「死亡推定時刻にホステルの中に居たのは、彼ら四人で間違いないと思う。ずっと、ホステル前のベンチに座ってたからね。なんとなくだけど、人の出入りは覚えているよ。こう見えても覚えるのは得意だから記憶力の方は信用してくれていいよ。まあ、このホステルに裏口でもあれば話は別だけど」
と、女の子が警察に証言する。オレはそんなことには意識を向けていなかったが、女の子は自信ありげだった。
「『裏口』なんてねえよ。コイツは狭い土地に無理矢理建てたモンだからよ。そういうのはねえんだ。他の出入りできそうなのは窓くらいだが、それも往来に面した側にしかねえ」
支配人の男がぶっきらぼうに答えた。その言葉はどうやら事実らしく、このホステルの往来に面した側を除く三方には、他の建物がピタリと隙間なく建てられており、隠し扉などもなさそうだった。
そのことを確かめると同時、ある事実に気が付いてオレの全身に怖気が走った。
この四名の中に……確実に犯人がいる。
今、卑劣な殺人者と同じ空間を共有しているという事実に、心底気色の悪い思いを抱いた。
だが、女の子はとても楽しそうに微笑みを浮かべてオレに言う。
「面白くなってきたね。ここは一つ犯人当てと行こうよ。当てずっぽうは駄目だよ、四分の一だもん」
「四分の一といっても、一人は未就学児じゃないか。凶器はステーキナイフなんだぞ? あんな人殺しには向かない斬れ味の悪いものを心臓まで捩じ込むのは無理だろう。実質、三分の一だよ」
「ふっふっふ……果たして事件はそう単純かな?」
意味深な言葉の後に「後でおじさんの答えを聞かせてね」と言い残し、女の子は現場の方に一人で歩いていった。
勝手にこんな捜査の真似事をして良いのものかとも思ったが、暫くは事件の参考人としてこの場に拘束されそうなので、迷惑にならない範囲で彼女の言う『犯人当て』に付き合ってみることにした。どうせ、他にすることもないのだから。
■被害者の連れ、二十代の女性客バラーアの供述
『私はバラーアと言います。戦火に巻かれて王都に逃げて来たんです。ほら、パルティアとの戦争で……。
――いえ、それ自体は結構前のことになります。暫く各地を転々として……その中で彼とこの子に出会いました。王都へ来る直前のことです。彼は王都に向かう途中だったらしく、王都の親戚の家に空きがあれば私に女中の仕事を紹介してくれるということで、それからは行動を共にしていました。
この子も、その時には彼に保護されていました。私と同じく戦争で行き場を失った戦災孤児だそうで、王都の孤児院まで送り届けるつもりだと言っていました。今日は、これから孤児院へ子供を送り届けた後、その親戚の家へ向かう予定で……。
うっ……それが、まさか……こんなことになるなんて……ぐすっ……』
警察:死亡推定時刻には何をされていましたか?
『ロビーで、彼が起きてくるのを待っていました。朝食の前と後に二度起こしに行ったのですが、旅で疲れているからともう少し寝かせてくれと追い払われてしまいまして……。あまり彼の気分を害するようなことをすれば、女中の仕事の件も立ち消えになってしまうのではないかと思って……そのままにしてロビーで待つことにしたんです。今思えば、もっと早くに起こしていれば……』
警察:持ち去られたという荷物について教えていただけますか?
『中身を全部知っている訳ではありませんが、見たところ旅具は殆ど残っているようでした。なくなっていたのは……小さなグレイのカバンです。貴重品でも入っているのか彼はいつも手元に置いていました。寝る時だってそうで……私たちにも、触らせることはありませんでした』
■被害者の連れ、未就学の男児ウマイヤの供述
『……』
警察:アメちゃん、いるかい?
『……うん』
■支配人の男ウダイイの供述
『ウダイイだ。ここの支配人をやってる。知っての通り、うちはホステルなもんで、朝食を出したらもうやることはないから、ずっと奥でゆっくりしてたさ。掃除とかはあの清掃員一人で何とかなってるし、普段は客が来て呼び鈴が鳴れば応対に向かう感じだ』
警察:凶器のステーキナイフは、このホステルのもので間違いありませんか?
『ああ、見たところそうみたいだな。一応言っとくがよ。食器類はカトラリーケースに立てて客に自分で取らせる方式だ。一つ二つ増えた減ったはいちいち覚えちゃいねえよ』
警察:そうですか。何か、他に異変はありませんでしたか?
『異変? ああ……そこの変な奴が入口の前で騒いでたから、とっちめに向かったかな。うちの従業員が悲鳴を上げるほんの十分ぐらい前にね。その後はすぐにホステルの中に戻ったよ。異変らしい異変はそれぐらいだ』
警察:その時、ロビーにバラーアとウマイヤの姿はありましたか?
『ああ……う~ん……居た、と思うぜ? たぶんだけどな』
警察:持ち去られたグレイのカバンに見覚えはありますか?
『さあ、彼は持ってたような気もするし、持ってなかったような気もするよ。そこまでいちいち覚えちゃいないさ』
■第一発見者、清掃員の女性ブシュラーの供述
『私はここで雇われている清掃員です。一人ですが……まあ、狭いホステルですから、仕事は午前中だけで終えられるぐらいに少ないので、午後に他の仕事と掛け持ちしています。早いところ、そちらへ向かいたいのですが……』
警察:我々の方からも遅れると伝えますから、もう少しだけお付き合いして頂きたい。
『そうですか……』
警察:何か、普段と違うことはありました?
『特にはなかったように思います。いつもどおりに出勤して、いつもどおりに清掃に入って……死体を見つけました。手足をシーツで縛り付けられてて、口の中にもシーツが詰め込まれてて……うっ、おえ……』
警察:大丈夫ですか?
『はぁ、はぁ……はい』
警察:カバンについては何か気付いたことや知っていることはありますか?
『……何もありません。あのお客さん――バラーアさん、ですか? 彼女が来て荷物を確かめてから、初めてカバンがないらしいということを知ったんです。彼女、えらく騒いでましたよね。物取りだどうだって』
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