ベンとポーラを見送った私は、その日のうちに新しく着任したばかりの上官のもとへ赴いた。そして、革命への意気込みを存分に語りつつ、反乱鎮圧を担当していた東方軍への配属を志願した。
四半刻ほどノンストップで熱弁を奮ったところで、上官はもう勘弁してくれといった感じで私を制し、東方軍への配属を約束してくれた。また、壊滅的な士官不足を理由にその場で大尉への昇進も言い渡された。
翌日、望み通り東方軍への配属が正式決定した。
それから辞令に従い東方軍司令部のもとへ出向くと、予想外に盛大な歓迎を受けた。どうやら、私の学院での淫蕩ぶりは伝わっておらず、かつての功績だけが伝わっていたらしい。
ここまで実に都合よく事が運んだ。まるで、『運命』がそうしろと背中を押してくれているかのようだった。
私の着任後、東方軍はガテ、ゲゼルと王党派の反乱を鎮圧しながら東進し、遂に目的のヨッパ近郊にまで辿り着いた。道中、私もまあまあな活躍をして、全てが順調そのものと言ってよかった。
――しかし、ここでトラブルに見舞われる。
気に食わない邪魔な上官をこっそり消してやろうと思ったら、うっかりその現場を目撃されてしまったのだ。人目に付かない場所を選んだつもりだったが、同じ理由で小便に来た兵士と運悪く鉢合わせになった。
口封じも間に合わず大声を出されてしまい、あれよあれよと言う間に私は営倉にぶちこまれてしまった。私は咄嗟に「奴は反革命主義者だった」と言い訳したものの、全然聞いてもらえなかった。
これまた間の悪いことに、最近になって私の淫蕩ぶりがまことしやかに東方軍内で噂されるようになっていたからだ。
奪還した小さな村の牢を利用した営倉の中で、私は下手を打ったなと自戒しながらも結構呑気に構えていた。
どうせ、大事にはなるまい。
たかが、無能一匹殺したぐらいのことで。
(――東方軍は私の才能を必要としている)
これは自惚れではなく、東方軍の現状を冷静に鑑みた結果の判断である。どう贔屓目に見ても、東方軍は人材難に陥っていた。
固いベッドに横たわりながら、私はぼんやりと思考する。軍法会議は何時頃になるだろうか、それとも開かれない可能性もあるか、あまりにも時間がかかるようなら脱獄してしまおうか。
そんなことをぼんやり考えていると、コツコツと小気味よい軍靴の足音がこちらに近付いてくるのに気付いた。飯の時間にはまだ早い。巡回の時間でもない。その足音は、私の房の前でピタリと止まった。
「貴方ねぇ……イカれてんの?」
「あら? これは予想外の来客ね」
ベンとポーラに続いて、またまた懐かしい顔だ。風の噂で将校魔法士官になったことは聞いていたが、まさか東方軍で会うとは。彼女とは、私が淫蕩の日々を過ごすようになってから、めっきり顔を合わせなくなった。
「久しぶり、コーネリア」
「……あの気色悪い呼び方は止めたのね」
「呼び方? ああ、ネルちゃんの方が良かった?」
「……ヴァネッサ先生から話を聞いて、少しは真面目になったかと思ったら……はあ……」
コーネリアは深く溜め息を吐いた。なんだ、久闊を叙する時に辛気臭いったらありゃしない。薄暗い牢に居るのだから、暗いのはもう足りている。雰囲気を明るいものに変えるべく、私は別な話題を提供した。
「アンタも東方軍に?」
「ええ……追いかけてきたのよ、貴方をね」
「……驚いた。アンタはロクサーヌに惚れてると思ったのに」
いつの間にか私にホの字だったらしい。これは、彼女の一途な思いに応えて、熱い口吻でもくれてやるべきか。
「つまらない冗談はやめて。私がロクサーヌ様と一緒に居た理由は貴方も知っているでしょう」
「怒んないでよ。まあ……大体はね」
コーネリアとロクサーヌの馴れ初めは確かに私も聞き及んでいる。
初等部一年の頃、コーネリアは物凄くとんがっていて、キツい時のポーラを更にキツくしたような、マジにいけ好かない王党派貴族の悪いところを煮詰めたみたいな、とんでもないクソカスだった。
平民・貧民を卑しい出自と見下す一方、ヘレナを始めとする王党派貴族とも諸侯派貴族とも反目しており、入学から数週間で学年中にその名が広まるくらいに目立っていた。
その苛烈な性格は、コーネリアの暗澹たる過去の出来事に起因する。
今でこそ妙に厚化粧なコーネリアだが、昔は見目麗しい童女として社交界では有名だったそうだ。しかし、その容姿が災いして、ある時何者かによって誘拐されてしまう。
目撃情報などから犯人はすぐに判明したが、ここで問題が発生する。その犯人は王党派貴族であり、コーネリアの家よりも遥かに家格の高い存在だったのだ。
また、当時はコーネリアが『魔力持ち』であることも分かっておらず――魔力検査を自前でやれるものは貴族の中でも少数――コーネリアの家族はどう対応するかで紛糾した。
この時、遅きに失したことが、コーネリアの心に大きな傷跡を残す結果となる。
コーネリアの家族は、とにかく会って話してみようと誘拐犯である王党派貴族の屋敷を訪ねた。しかし、大声で呼びかけみても応えるものはなく、警備のものすら出てこない。不審に思っておそるおそる敷地内に入ってみると、そこには数え切れないほどの惨殺死体があちこち散乱していたという。
もちろん、それをやったのは『魔力持ち』であるコーネリアだ。
そして、コーネリアは家族と入れ違いで屋敷を出ており、血塗れのまま王都を闊歩し堂々と帰宅したそうだ。
この一件によってコーネリアは投獄された。
誘拐された被害者とはいえ、殺した相手と人数が問題視された。だが、その後の魔力検査によって『魔力持ち』であることが判明し、コーネリアは条件付きで釈放されることになった。
こうして学院へやってきたコーネリアだが、彼女は深刻な人間不信に陥っていた。他人を遠ざけ、身内すらも忌み嫌った。それは被害者の身で投獄されたことが原因ではなく、自分の家族が最悪は「見捨てる」という選択肢を真剣に勘案していた事実を、おしゃべりな使用人たちから知ってしまった所為だった。
当時のコーネリアには、周りの人間が全員敵に見えていたのだろう。異様なまでの攻撃性の発露は、怯える心の裏返しだった。
そして、初等部一年の夏、初めて行われた折節実習にて、コーネリアは運命の出会いをする。
その人物こそ、ロクサーヌ。
後にコーネリアが栄えある取り巻き第一号を務めることになる人物である。
実はロクサーヌとの間に何があったのか詳しいところは知らないのだが、それ以降コーネリアが徐々に険を無くしていった。そして、家族関係も良化していったそうだ。
一緒に居た理由は、荒れてた時に寄り添ってくれた恩義と友情辺りだろう。それ以外にあったら驚く。
「ねえ、コーネリア」
「なに?」
「アンタは何でこの国に残った訳? 敬愛するロクサーヌ様の誘いを断ってまで」
ロクサーヌ一派はだいたい他国へ亡命したが、コーネリアとミーシャの二人だけはこの国に残った。あの日、ロクサーヌからそこまでは聞いたが、その理由までは聞いていなかった。
コーネリアは向かいの空き牢の鉄格子に身を預け、言葉を探すように目線を宙空で彷徨わせた。そして、溜め息と共に口を開く。
「ロクサーヌ様は……貴方のことを心配していないと言ったわ」
「らしいわね」
「でも――私は、貴方のことが心配だった」
真正面から、コーネリアはそう言い放った。
「ロクサーヌ様から『未練』の話も聞いてる。それで言うと、私の『未練』は貴方だった。一人の友人として、その行く先を真剣に案じた。だから、この国に残った」
普段だったら「気恥ずかしい」と思うかもしれない言葉。だが、今はそんなこと微塵も感じなかった。
何の揶揄も悪意もない混じりっけなしの純粋に私を思いやる言葉に、私はただただ胸を打たれた。
こんなにも温かい言葉を誰かに言われたのは、生まれて初めてのことだった。
眼尻に溜まる熱い感触の正体に気付いた私は、視線をそらして眼元を抑えた。ささっと眼元を拭ったところで、コーネリアがじゃらじゃらと音を鳴らしながら鍵束を取り出す。
「さあ、リン。――出るわよ」
「えっ、どうして?」
軍法会議に行くなら拘束具が必要だ。
コーネリアは溜め息を吐いてから私の疑問に答える。
「貴方の殺した上官の持ち物に、反革命的な書物や手紙が多数確認されたわ。要するに、貴方のあの苦し紛れの言い訳が偶然にも真実を言い当てていたのよ」
「マジィ?」
都合の良いこともあったものだ。牢の鍵が開けられ、狭い入口を身を屈めるようにして潜った私は、グッと背中を伸ばしながら数時間ぶりの娑婆の空気を吸い込む。
実に――良い気分だ。
「ホント、末恐ろしいわ貴方って……やっぱり心配する必要なかったかも」
「えー、心配はしてよ」
冗談めかして言いながら、私は牢の中で認めた文書の束を鉄格子の隙間から引っ張り出す。それは何かと興味深げな視線を注ぐコーネリアに向かって、私は一枚目に堂々と記された『作戦計画書』の文字を見せつける。
「取り敢えず、負けはない」
「大きく出たわね……でも、貴方が言うと本当にそうなるような気もしちゃうのがイヤね」
「なんでよ。そこは喜びなさいって」
嫌がるコーネリアと無理矢理に肩を組みながら、私たちはスキップでもするような軽やかな歩調で外へ出た。
これは、後の歴史書に『ヨッパ攻囲戦』と題して語られる戦いの十日前の出来事だった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!