「方針を変えるわ」
「……百歩譲ってそれは良いとしてだ。せめて、一声かけてから行けと前にも言わなかったか?」
ルシュディーの言う「前」とは、レイラと共にカウムとの交渉に臨み、四日ほど留守にした時のことを言っているのだろう。確かにそんなことを言われたような、言われなかったような。しかし、必要なことだったのだから、そこのところは理解してもらうほかない。
「でも、作戦通りにやって勝ったんでしょ?」
何のために天才戦術家のルシュディーを呼んだと思っている。こういう私が居ない時にも最低限の戦果を挙げさせるために決まっているではないか。
「勝ったなら良いじゃない」
「反省の色が見られないようだが……?」
苛立ちを隠そうともしないルシュディーに対し、私に代わってヨシュア君が平身低頭して謝罪する。
(うるさい奴ね)
いつまでもじゃれてる訳にはいかないので、さっさと軍議を進めるべく、なるたけ真剣な表情を作ってみると、ルシュディーは諦めたように息を吐いた。ようやく黙ったか。
私は、ルシュディーから幕僚たちへ視線を移し、まずは労いの言葉をかけた。
「私不在の中、よくぞ勝った……と言いたいところだけど、どうやら辛勝と称すべきものだったようね」
そう言うと、幕僚の顔色が一気に悪くなった。別に責めている訳ではない。作戦は私も一緒に立てたのだから、もし負けたとしてもその責任は当然私にもある。まあ、彼らが妙に萎縮しているのはいつものことなので放っておくとしよう。
報告書を見たところ、ヴァレンシュタインが個の力で一戦局を好転させ、そこからルシュディーの指揮もあって、連鎖反応的に勝利へ繋がったと記述されている。
「――ここ、後で削除しといて」
「え? ……あ、はい。かしこまりました」
ヨシュア君に小声で指示する。
全く……こういう展開だけは避けたかった。既に、ヴァレンシュタインの武名が前線のみならず後方にも伝わっていたことを昨日の視察で確認している。今回の活躍によって、彼の武名は更に轟いてしまうことだろう。
(グィネヴィアの魔力を上手いこと利用しつつ工兵に封じ込めたと思ったら……掘り出し物すぎたわね、ヴァレンシュタイン!)
私をも凌ぐその剣術の実力が今は恨めしい。この戦争で得られる名声は私だけのものなるのがベストだというのに。
その上、私に代わって総指揮を執ったルシュディーにも、幕僚たちからの信頼が寄せられ始めているようだ。これもあまり望ましくないが、四の五の言っていられる状況でもない。そもそも、勝たなければ何も始まらないのだから。
彼ら天才たちの力、せいぜい有効活用させてもらうとしよう。
読み終えた報告書を机の上に放ると、タイミングを見計らっていたルシュディーが口を開く。
「まずは……方針を変えるとのことだが、何をどう変えるというのか具体的に聞かせてもらえるか? そもそも、何らかの方針があったこと自体、我々は初耳なのだが」
「……ああ、そうだっけ? 正面から正攻法で行く予定だったけど、これからは搦め手もばんばん混ぜてくってこと」
ファラフナーズの強みは、刻一刻と変化する戦場において常に最善手を打ち続けられること。なので、正面から馬鹿正直にぶつかると分が悪い。
なぜなら、戦争は攻撃側よりも防御側の方が有利だからだ。
攻撃側は敵の築いた砦や罠を踏み越えていかなければならないのに対し、防御側は強固な結界や胸壁などを盾にしながら魔法や弓矢、大砲で攻撃することができる。両者が同じ戦力とした場合、机上演習の結果はほぼ必ず防衛側の勝利となるだろう。
しかも、現実の場合はその先に待っているのが、一度も破られたことがない例のアッシュルの結界だ。
その結界を破れるだけの余力は絶対に残しておかないといけない。
もし、アッシュルの結界を破れず膠着状態……なんてことになれば、今はペルシア地方に引っ込んでいるパルティア軍本隊が、ザジロスト山脈を越えて遥々やってくることも有り得る。
その場合、我が軍に待っているのは敗北の未来だけだ。
(――やはり、混沌しかない)
ファラフナーズが秩序の体現者であるというのなら、私は混沌の体現者になるしかない。そうすることで、私はこれまで大魔法祭で彼女と対峙する度、苦しみながらも勝利を収めてきたのだから。
(それに……相変わらず、ファラフナーズの弱点は健在)
ファラフナーズの弱点。それは、あの芸術品の如き計算され尽くした戦いを実現するためには、周囲の人間にも彼女と同等の才能・戦術眼を要するという点だ。
ファラフナーズの才能は本物だ。しかし、大魔法祭での竜人しかり、今回の現場指揮官しかり、集団戦である以上はやはりどうしても味方に足を引っ張られてしまう。
そこで生じる隙を突く。
そのためにも、私はいかに混沌を戦場へ齎すか、その手段を考えるべきだろう。それも、敵軍に多大な影響を及ぼしながら、自軍には影響の少ない手段を。
「――ひとまず、アッシュル攻めはうまくないと見るわ」
「ほう、その心は?」
「破れない。だから、こう攻めたい」
〔図8.曲道〕
地図上に赤線で侵攻ルートをパパッと簡便に描き出してゆく。だが、一本また一本と赤線が描き加えられてゆくにつれて、軍議の場は徐々に静まり返っていった。
私が全ての線を引き終えて赤色の鉛筆を机に置くと、やはり真っ先に沈黙を破ったのはルシュディーだった。
「……突っ込みどころは幾つもあるが、一番はここだ」
ルシュディーは、トンと『バグダドゥ』を指さした。この都市は、メソポタミア地方の肥沃な平原の中央に位置しており、東西南北、ありとあらゆるものが集積される要衝地。
謂わば――メソポタミア地方の『心臓』とも言える大都市だ。
しかし、ルシュディーの指摘はそんなこととは関係なく、バグダドゥへ侵攻ルートがないのにも関わらず、バグダドゥから侵攻ルートの矢印が始まっていることだろう。
「ここに兵が瞬間移動しているように見えるのだが……」
「やっぱり、そこ気になる?」
「当たり前だ。説明を要求する。納得の行く説明をな」
気にするな、と言っても無理だろう。渋々ではあるが、私は種明かしをすることにした。
「分かったわ。――紹介しまーす、こちらワキール君です」
「……こんにちは、とでも言えば良いのかな?」
突如として壁から生えてきた見知らぬ男を眼にし、軍議出席者一同は驚きをあらわにする。
その混乱が落ち着くのを見計らって、私は説明を付け加える。
「ワキールは、私が個人的に使ってる月を蝕むものよ。兵の移動は彼の能力を借りるわ」
「……そんな便利な能力を持つ奴が手を持て余しているのなら、何故今まで使わなかった?」
「ワキールには他の仕事を任せていたのよ。でも、今はこっちが一番重要度が高い仕事になったから、急遽来てもらったの」
半分本当で半分嘘だ。他の仕事をさせていたのは事実。しかし、もう半分は表舞台でワキールを活躍させたくなかったからである。
今現在、イリュリアに普及している通信網は腕木通信という。これは、三本の木の棒の組み合わせによって文字や記号、数字を示し、その組み合わせをバケツリレーのように中継することで、情報を遠方へ伝えるシステムである。
望遠鏡を用いた目視による確認と手作業という原始的な仕組みながら、存外にその伝達速度は速く、ここから王都までの距離であれば物の数分で情報を伝えることが可能である。
だが、その性質上、情報が誰の眼にも見える形で公開されることとなり、極めて秘匿性が低い。その点、ワキールは秘匿性という欠点を解決できる上に、情報伝達速度でも腕木通信を上回る。
しかも、情報だけでなく物資や人員まで運べるときた。
一見、素晴らしいこと尽くめに聞こえるが、属人的すぎるというのが非常によろしくない。
その人にしか出来ない偉業は安易な神格化を招く。ワキールの能力と貢献が知れ渡ること、それにより彼が英雄視されるようなことだけは絶対に避けなければならない。
(軍事上の機密情報として口止めはするつもりだけど……人の口に戸は立てられない)
遠からぬうち、どこからか情報が漏れるだろうと私は予想していた。
ワキールが「よろしく」と軽く挨拶する。しかし、幕僚の皆々様方は突然のことに大層驚いて、返事もできずに眼を白黒させるばかりだった。
ワキールの方には、あらかじめ軍議の中で紹介すると説明しておいたので、挨拶が返ってこなくても特に不満げな様子も、また状況に混乱した様子も見せることなく、平静な面持ちでしれっと軍議の席に加わった。
「ワキールの能力なら、三日もあればバグダドゥに兵を移動させることが可能よ。補給は無理だから道中の略奪や徴発で賄ってもらうことになるわね」
「略奪か……今は小麦の収穫時期にドンピシャだ。食糧に関しては――長期戦にでもならなければ――やってやれぬことはないだろう。しかし、銃弾や火薬はどうする。また、装備が損壊したり紛失した場合は? 十全な量のそれら物資を現地から調達するというのはいくらなんでも無理がある。魔法士部隊だけを派遣するのか?」
「いえ、いくら戦争が変わったと言っても、やっぱり戦場の主役は魔法士部隊よ。彼らを本隊から切り離すようなことは出来ない」
その取り回しの良さ、機動力、火力……どれを取っても魔法士部隊は一級品だ。伊達に特権階級を気取っていない。
しかも、わずか数分ばかり動くのに魔石を要する装甲部隊に対し、飯さえ食わせておけば魔法使いの魔力は勝手に回復する。
そして、だからこそ――。
「派遣するのは装甲部隊よ」
軍議の場が、にわかに騒がしくなった。
予想通りの反応に笑みを深めながら、私は側に控えるヨシュア君を呼び寄せて、小声でその耳元へ囁く。
「ヨシュア君、ヴァレンシュタインを呼んできて。外で待たせてあるから」
「は、はい。分かりました」
程なくして、ヨシュア君に連れられてヴァレンシュタインが天幕内に入ってくると、ざわめきもピタッと止まった。
(貫禄が出てきたわねぇ……)
もともと若さに見合わぬ魅力を持った男だったが、いくつかの実戦を経て浴びた返り血の匂いが、ヴァレンシュタインの研ぎ澄まされた刃物のような剣呑な魅力を何倍にも増幅させていた。
そんなヴァレンシュタインが右から左へ視線を動かし天幕内を睥睨すれば、それだけで瞬く間に場の中心が彼に変わってしまう。
このままではマズイので空気を引き戻しにかかる。
「――ヴァレンシュタイン」
名を呼ばれ、軍隊らしく私に向かって敬礼するヴァレンシュタイン。儀礼的な心の籠もっていない形だけの動作だが、「彼に敬われる私」という構図さえ作れればいい。
ヴァレンシュタインと私の馴れ初めは、噂話程度に軍内に広まっている。というか、私がヨシュア君に命じて広めさせた。
『死闘の末、リン総司令官閣下が勝利し、ヴァレンシュタインを勧誘した』と。
勝利とは言い切り難い勝利だが、私もヴァレンシュタインも気にしない。
この噂を踏まえれば、彼に敬われる私の姿を再認識させるだけで示しもつこうというもの。
「ヴァレンシュタイン。今日、呼んだ理由は他でもないわ。貴官には、大役を担ってもらう必要が出来たのよ」
「大役、とは」
私は、これまでの経緯を軽くおさらいしつつワキールを紹介し、改めて地図上のバグダドゥを指し示した。
「ワキールの能力で移動した装甲部隊を率い、まずバグダドゥを攻め落とす。そこから南下して、サーマッラーを始めとする道中の都市を攻め落とし、アッシュルまで戻ってきてもらいたい」
無理難題だ、という雰囲気が幕僚たちの間に流れる。しかし、当のヴァレンシュタインは涼し気な顔で率直に疑問を口にする。
「補給は略奪で済ませるとのことだが、食糧はともかく装甲部隊にとって最も重要な魔石の保管場所にアテは付けているのか?」
「そこは大丈夫、現地協力者がいるから」
視察からの帰りがけ、カウムの手の者とも会って最終確認をしておいたので、現地では彼らの手引が見込める筈だ。その見返りとして攻め落としたバグダドゥは、彼らカウムに管理運営を任せることになっている。
「用意がいいな、大将」
「他に質問は?」
「ない」
端的にハキハキと応えるヴァレンシュタインに、幕僚たちは面食らって視線を右往左往させた。そんな幕僚たちの様子を、ヴァレンシュタインが怪訝そうに見つめる。
「分からない? 彼らはね……不安なの」
私は、彼ら幕僚たちの心に蟠る漠然とした当惑に対し、勝手に「不安」の語を当てて確固たる形を持たせる。そして、その解決策をこれまた勝手に用意する。
「ただ一言――彼らに『出来る』と言ってあげて欲しい。それだけで、彼らは己の役割を全うすべく頑張ってくれる筈だから」
すると、まんまと乗せられた幕僚たちの視線が、一挙にヴァレンシュタインのもとへ突き刺さった。
「――出来る」
打てば響く、気持ちの良い返答だった。
快なり。快なり。戦場の喧騒を上塗りする天性の将たる者の声が、私が勝手に用意した幕僚たちの不安を見事に塗り潰した。
「聞くところによると敵軍はアッシュルに集結しつつあり、籠城の構えを見せているそうだな。あの結界の余程の自信があるらしい。ということは、アッシュルから遠く離れたバグダドゥなんぞには敵らしい敵もおらず、戦いらしい戦いにもならぬであろう」
よく出来ました。
淀みなくスラスラと説得力のある台詞をどうもありがとう。
ワキールという尋常ならざる輸送手段が存在するとは、さしものファラフナーズでも予想はできまい。恐らく、ヴァレンシュタインも言ったように戦いらしい戦いにはならないだろう。
ここで、一連の流れを冷めた眼で見つめていたルシュディーが、小声で最終確認をしてくる。
「信じて……良いんだな? 勝算はある、と」
「当たり前でしょ。誰に物を言っているの」
「貴様に決まっているだろう」
戦術に関してなら右に出るものはいないが、政治や人心掌握となると常人にも遅れを取るのがこの男、ルシュディーだ。仮に不満があっても、ここまで決まりきった空気から巻き返すことは彼にはできない。
(巻き込んじゃえばこっちのモンよ)
さて、これで舞台は整った。
「それじゃあ、未回収のイリュリア回収戦争――最後の盤面を詰めていきましょうか」
楽しい策謀の時間は終わり。
これから始まるのは、七面倒臭い詰めの作業だ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!