5.愛国者 後編
敵の根城の位置情報が割れた。
開通式のゴールだったエンゲデ駅と、その真東に存在する都市ヘブロン。その両都市を結ぶように線を引き、そのちょうど中間点からまっすぐ北へ約40km地点、ネゲブ砂漠のド真ん中に烙印の魔力反応は全て固まっていた。
また、捕縛した『怒れる民』の構成員を尋問し、彼らが根城として挙げた場所のうち、最も頻出する情報もこの地点であった。
(奴ら素人だ)
対魔法使い戦を心得るものであれば、烙印の効力があるうちは決してまっすぐ根城に帰りはしないだろう。
(なら、民宗派との繋がりは薄いのか……?)
奴ら『怒れる民』が民宗派の手先であれば、その辺りは抜かりなくやるだろう。何故なら、民宗派はこれまで幾度にも渡り警察の『猟犬』やイリュリア国軍の『王の槍』などの魔法士部隊と交戦しつつも、ついぞその所在を掴ませなかったのだから。
つまり、『怒れる民』は民宗派の下部組織ではなく、月を蝕むものの力を与えられただけの都合の良い外部組織といった感じなのだろう。
(そんな外部組織を使って、民宗派は何をさせたかったのか……)
目的もなく、力を与えたりはしないだろう。
民宗派の目的は何か……手がかりのない現状では、フェイナーン伯の時に知った『指輪』ぐらいしか候補が浮かばない。
「リン」
ツォアルを出立して暫く無言を貫いていたヘレナが不意に私の名を呼んだ。私は一度そちらに意識を移し、敵の考察を脇に追いやる。
「リン、聞こえているか」
「なによ」
現在地――上空数千メートル。
私とヘレナは、彼女の使い魔である霊鳥の背に乗り、雲間に身を隠しながら先行して根城の物見に出ていた。
「尋問の中で、ツォアル候の暗殺に関わった下手人の素性が割れた」
それは囁くような声量だったが、風防・隠蔽の効果を付与した結界を展開させているため、問題なく私の耳へ届いた。
「で、それが何?」
「――ズラーラだ」
「えっ?」
「下手人は二人いた。生き残った方の下手人は、ズラーラという名前らしい」
ヘレナが『らしい』と、らしくもなく言葉を濁したのは、同姓同名の別人の可能性もあるからだろう。しかし、私は不思議と確信していた。それは、私が知る同郷のズラーラであろうと。
「……そう。それを聞いて私に何か思うところがあると心配しているなら、その心配はないと言っておくわ。別に特別親しかった覚えもないし……懸想していた訳でもない」
「そうか。なら、キミと私――二人でやるぞ」
私は息を呑んだ。こちらを振り返ったヘレナの眼には、またあの狂気が滲んでいた。
協議の場において、反攻作戦には私とヘレナ、そしてベネディクトが見習いでありながら参加することになった。
ヘレナが、王党派の後ろ盾を利用したゴリ押しで、お歴々の首を縦に振らせたのである。私とベネディクトはともかく、ヘレナ自身がそこまでして参加したがる理由が分からなかった。
(まさか、仇討ちってガラでもないでしょう?)
別の理由がある筈だ。ヘレナは、そんな私の疑問に答えるかのように、その心を述べる。
「魔法使いによる厳重な警備網を容易く掻い潜るほどの手練だ。確実に殺さなければ、行く行くは我が国に取って害となるだろう」
「……それは同感ね。責任の所在も不確かな暴力を放し飼いには出来ないわ。国の根本が揺らぎ得る」
「然り。人に懐かぬ野犬は殺すほかあるまい。――この国の安寧のために」
有事を前に意見の一致が見られたのは好ましいことだが、果たしてヘレナはどこまで本気で言っているのか。その狂気に覆い隠され、彼女の本心は極めて読み難い。
(……いえ、今は腹の探り合いは止しましょう)
こんな奴でも、戦場においては背を任せることになる。私は一旦、疑心に蓋をした。
それから暫く無言の時が流れる。
「――見えてきたぞ」
沈黙を破ったのは前に座るヘレナだった。彼女の肩越しに下を覗くと、地面に光が点々と見えた。
やがて雲間から差した月光が夜の暗闇を暴き、眼下に広がる奴ら『怒れる民』の根城――巨大遺構群が見えた。
ここは数百年前、イリュリア王国の建国以前に滅亡した古代都市遺構が残る地である。既に発掘・盗掘により金銀財宝の類は剥ぎ取られた後であり、歴史的遺物もあらかた博物館へ収められた。謂わば、蛻の殻とでも呼ぶべき風化した遺構群を『怒れる民』は勝手に修繕し、根城としているようだった。
「一つ目、落とせ」
「もう落としてる」
奴らを蟻の子一匹たりとも逃さぬよう、襲撃直前に遺構群をすっぽりと囲う巨大な結界を貼る予定だ。
結界の起点となる魔道具を一つ落とし、そしてそれが破壊された時のために距離を置いて予備を二つ落とす。これを四方で繰り返し、計十二個の起点魔道具を落とせば仕事は完了だ。
私たちは、その仕事をこなしながら物見の役割も全うする。
敵に見張りはなく、それどころか微かに歓声が聞こえる。その声のもとへ少しばかり寄せてみれば、輪になって酒盛りをする姿を裸眼でもはっきりと目視できた。
間違いない、彼らは勝利に浮かれて祝杯を上げている。
「事前に尾行を巻く程度はしたでしょうけど……それにしたって呑気なものね」
「ふむ、この調子であれば夜には酔い潰れているだろう。聞こえるか? うっすら嬌声まであるぞ。反攻作戦は夜襲でなく明け方まで準備を整えてからの方が良いだろうな。その方が暗闇による討ち漏らしも防げる」
「異論なし」
その後も異常なく結界の起点となる魔道具も投下し終え、遺構群の俯瞰図もざっと描いたところで、私たちは王都方面へ向かった。今度は伝令の役割を果たすためである。
私たちの他にも物見は派遣されており、彼らはそれぞれツォアルやエンゲデ、ヘブロンへ向かう手筈だ。
霊鳥が遺構群から遠ざかる進路を取り始めたその時、祝杯の喧騒から離れてポツンと一人寂しく背を丸め、熾火をいじる人影が進路先にあった。
彼の者の詳細な人相を確かめる前から、私はその仕草にどこか懐かしさを感じていた。そして、進路上の彼の者に近付くにつれ、私が抱いた感覚は正しかったことを知る。
熾火の上からよく焼けた串肉を取り、にわかに背を起こした彼の者の人相は、瞬く間に忘却の彼方へ追いやった過去の薄れた記憶を喚び起こした。
「……何やってんのよ、ズラーラ」
王都へ参着し次第、すぐさまヘレナがツテを呼び寄せ、あっという間に全ての手筈を整えてくれた。
その間、私はアメ玉の発注と、石像獣あらため『怒れる民』の司令官サフルの対策に奔走した。
それらもあらかた終わり、後は買い付けた商品が届くのを待つのみとなったところで、アーヴィン家宅で行われていた作戦会議に途中参加する。
「――という訳で、皆様には疲弊しているツォアルの人員に代わり、攻撃本隊の大部分を構成して頂きます。一方はネゲブ砂漠の北東に本陣を構え、もう一方は南東のヘブロン方面陣へ合流してもらう予定です」
見知らぬ女性――多分、王党派の者だろう――が説明をする中、手近な空席に着くと、机上の資料が目に入った。そこには『怒れる民』の前身たる『サフル傭兵団』の団員名簿も添えられていた。
ヘレナの手回しだろう。どこぞの省庁が管理していたものを引っ張り出してきたか。手際の良いことだ。
パラパラと団員名簿を捲りながら要注意人物を再度洗い出しておく。月を蝕むものという存在には、魔法使いがそうであるようにかなりの個体差がある。凡庸なるものであれば魔法使いの敵ではないが、中には魔法使いの威厳を脅かしかねないほどに傑出した実力を持つものもいる。
現場の証言や尋問で得た情報などを纏めると、恐らく傑出している戦力は三名。
まずは司令官サフル。言わずもがな、無敵の石の表皮を鎧として身に纏い、呼吸を狙おうとも水魔法は『技』とやらで無効化してくる強敵だ。
次、副司令官ラフィーア。開通式の警備に対する奇襲を前線で指揮したとされる女性。その能力の仔細は部下にも秘匿されているそうだが、開通式で杖を交えた魔法使いによると『土』を操るものであるらしい。
そして――最後は新入りのズラーラ。
ツォアル候を暗殺した下手人二人のうちの生き残った一人。名簿の記録によると、約一年ほど前に傭兵団へと参加したらしい。
私はズラーラの記述を読み進めてゆくうちに気分が悪くなり、名簿を机の上に放って天を仰いだ。
(……気まずいわね。村には死体を帰すことになる)
そうなれば、ヨナちゃんとは仲直りのしようもなくなる。彼女は、ズラーラに想いを寄せていたようだから。
時間が経ち、熱情も段々と冷めてきて、そのような取るに足らない卑近な悩みが脳内を占め始める。
(全く難儀ね……まあ、やる以外にないんだけど)
後のことは後で考えよう。
私は憂いを振り払い、作戦会議が一段落ついた頃を見計らって、説明を受け持っていた女性にヘレナの居場所を尋ねるべく席を立った。
出発の時刻までまだ猶予がある。それまで仮眠でもしようと思い、この家宅の空き部屋か何かを使わせてもらいたかったのだ。
しかしその時、俄に移動と業務連絡の喧騒が広がる中から、不機嫌そうな声が聞こえてきた。
「全く、ヘレナ嬢の我儘にも困ったものだ」
我儘という言葉に思い当たる節があった私は、その声の方へさっと目をやった。そこには複数人の軍人に囲まれた、将官軍服を纏うヒゲ面の熊親爺がいた。
(イリュリア国軍の将校魔法士官――ヘレナの差配で来ているということは、王党派貴族か?)
彼は、案の定まっすぐに私の方を見ていた。
「見習いのガキを攻撃本隊に組み込めとは……それを許したツォアルの連中も連中だ」
熊親爺は、凝りをほぐすように大柄の体躯を小さな椅子の上で伸ばしながら、私に対して胡乱げな視線を向けていた。
触手が蠢き、マネが耳元で囁く。
「ククク……言われてるぞ」
「ええ、ちょうど良いわね」
「は? 何がだ?」
マネの疑問の声には答えず、私はクルリと方向転換して熊親爺のもとへ歩き出した。そんな私を見て熊親爺はピクリと眉根を上げた後、侮蔑の笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと立ち上がる。
その山のような巨躯が私の頭上へ影を落とし、それ以上近付くなと威圧する。だが、私はそれでもズンズンと突き進んだ。
「おいっ、このクソガキ! ここは子供の遊び場じゃあ――」
「――フッ!」
呼気一息、カラギウスの剣を展開しつつ抜き打ち、両足の魂を断ち切る。
怒鳴り声のタイミングに合わせた一撃に虚を突かれた熊親爺は、間抜け面を晒しながらステンと後ろへ転ぶ。唖然とする周囲の軍人たちは熊親爺を咄嗟に受け止めることも出来ずに見送るだけだった。彼らは恐らく秘書官だろう、魔力の気配も武力の気配もない。
私は先程の怒鳴り声に負けぬよう、肺腑の限界ぎりぎりまで息を吸い込んだ。
「その見習いのガキに不覚を取るかッ! 恥を知れッ!」
「き、貴様! いきなり、何を――グワーッ!」
杖を持とうとした手を斬り付けて魔法を封じ、更に喉元へ剣を突き入れ反論を封じる。これで良い。これがベスト。もし、ここで彼に正論を吐かせてしまうと、私に非があるのは誰の目にも明らかなので言い負かされる。
(ゆえに勢いで押し通す……!)
道理なんぞは蹴っ飛ばす。今後の作戦にて武功を挙げ、それを盾に「お咎めなし」を既成事実化し、これを逸話の第一と飾る。
私は素早く周囲を見渡し、私へ十分な注目が集まっていることを確認して再び大きく息を吸い込んだ。
――横車を、押す。
「私が特別に参加を許された理由を考えよ! それは並み居る見習いどもを押し退け、この私こそが当代随一の――『天才』であるからだ! 他に物言いのあるものは前に出よ! 一人残らず叩き斬ってくれるッ!」
これもまた私の才能か、周囲の反応は私が望んだ通りのドン引きと思考停止だった。唯一、別の反応を示したのは、私の使い魔であるマネだけだった。
「お、お前、頭イカれたか……? いきなり、なにやってんだ……」
「なにって、ムカついたから」
たったそれだけの理由で味方にすら、上官にすら刃を向ける。
正に、私の綴る、私だけの英雄譚――『天才』の門出を飾る序文に相応しい暴虐の所業ではないか。
「……リン、何をしているんだい?」
これはいい。ヘレナ様のお帰りだ。
そろそろ眠気がピークに達しかけているので、ヘレナに仮眠用の空き部屋を使わせてもらう話をしておきたいところだが、今ここに長居するのは極めて具合が悪い。皆にかけた当惑の呪いが解けてしまうおそれがある。
私は、足で熊親爺を蹴り出しながら喉に突き刺さした剣を引き抜いた。
「おいおい……! キミの足蹴するそれは此度の総大将だぞ」
「あら、そう」
小物感が強すぎてそこまで偉いとは思ってなかったので、ちょいと驚いた。しかし、それだけだ。私は内心の動揺をおくびにも出さず、ゆっくりと剣を収めてヘレナの方へ歩を進める。正確には、彼女の後ろにある出入り口へ向かって。
私はすれ違いざまにヘレナの肩をポンと叩いた。
「じゃ、後始末は頼んだわよ。私はそこらの部屋で仮眠を取ってくるわ。出発する時に起こしなさい」
「おい、リン――!」
引き止めるヘレナの側を足早に通り抜ける。
その時、チラと見えたヘレナの横顔は、咎めるような口調とは裏腹に華が咲いたような満面の笑顔だった。
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