「風速1.5メートル、南南西の風、気温13度、湿度43パーセント」
レンジカードに記載しながら、武美軍曹がデータを読み上げる。
「川面ってのはやりにくいわねぇ。どうも、川風が吹いているように見えるわ」
「警察が無理して開けてくれた狙撃ポイントですから。文句を言える立場ではありませんよ」
武美軍曹のマジメな言葉に、思わず制裁をしてやりたくなる誘惑を押さえながら、柴山曹長はギリギリまで調整を行っていた21式対物狙撃銃に二脚を装備していた。
狙撃用に積み上げられた土嚢の上に二脚の足先を据えると、立射の姿勢を取る。
スコープをのぞきこみながら、各部の動作に不具合がないか確かめる。
彼女はこの銃のコピー元であるバレットM107なら射撃の経験がある。
しかし、コピー品とはいえすべてが同じという訳ではないし、仮に同じM107だったとしても、工作精度上許される範囲での僅かな差異がある。
本来なら綿密な調整と実銃での訓練を行うべきだ。しかし、目の前に『敵』が迫っている現状では、そんな平時の手順を踏んでいる場合ではない。
使い慣れた狙撃銃で挑みたかったが、確実に撃破することが求められる以上贅沢は言えない。
「それよりも問題は『リーパー』の武装だわ。ええと、カタログスペックでは」
「対戦車ミサイル、レーザー誘導爆弾、空対空ミサイルというところですわ。写真によればペイブウェイを搭載している可能性が高いそうですが」
「ペイブウェイは、レーザー誘導装置とGPSをもっていたわよね」
「ええ、基本的には昔の自由落下型爆弾と同じですが、誘導装置によってカナード翼を動かして落下制御を行います」
「そういう事か。まあ、そういうことなら射程距離はいくらかヘルファイアよりは落ちるのかしらね」
「さあ、そこまでは。でも、どちらにせよ攻撃される前に落とすしかないです。ようやく橋の上には人が居なくなったとはいえ、橋の周囲にはまだ人がいますから」
ちらりと武美は墨田区方面に視線をやる。
そこでは、警察のガードフェンスなどの機材を用いたバリケードが築かれていた。
まだ何人もの警察官が残り、橋をなんとか通りたい運転手たちが詰め寄るのを身体を張って阻止しているのが見える。
本来なら強引に引き剥がすか催涙弾を使ってでも排除しなければ双方の命が危ないのだが。
急場だけに機材も人員も間に合わないのだろう。
「なんつーか、東京って基本的に戦争するように出来てないのよねぇ」
「かれこれ80年近く戦争してこなかった国ですから、仕方ありませんわ」
武美の答えに不満そうな顔をしながらも、智香は仕事を続行する。
21式のスコープのレンズ保護カバーを跳ね上げると、左右調整ノブを操作した後に、今度は上下調整ノブを調整する。
スコープの視界に照準点調整用の目標として用意した、無人の小型の釣り船が映る。
釣り船の上には源平合戦の那須与一の故事に出てくる日の丸の扇よろしく、複数の円形からなるターゲットが設置されている。
「気圧1020.9ヘクトパスカル、射程への影響は軽微。射撃距離は800ってところかしら。照準調整の対象としては適当かもね」
智香はそうつぶやきながら、深呼吸をする。
呼吸によって射撃がブレることはままある事態だ。
射撃の時は空気を吐ききった状態で行うのが狙撃の基本だ。
重い引き金を引くと、12.7ミリNATO弾が大きな反動を肩に残しながら空中へ放り出される。
音速を超える速度で放り出された銃弾は肉眼では捉えることの不可能な弾道を描きながら、標的を通り越して着水する。
「遠弾。上下角0.5ミル調整、それで命中するはず」
武美軍曹はどこまでもクールな声で言う。
「了解。0.5ミル調整、と」
エレベーションノブをクリックして照準を調整する。
すぐに再び引き金を引くと、今度は標的の紙製ターゲットを引き破り、勢いあまって船体に大穴を開ける。木製の船体は浮力を徐々に失って沈み始める。
「さすがは対物狙撃銃だけあるわ。直撃を食らって、無事な航空機はないでしょうね」
智香は半ば呆れながらも、スコープ越しに沈みゆく標的船を見つめる。
「なにしろあの、M2重機関銃で使われている銃弾ですから。砲弾といっても間違いは無いと思いますわ」
「キャリバー50、ねぇ、そりゃ強力な訳だわ」
M2重機関銃は1933年から第一線で活躍し、21世紀のアメリカ軍でも使われている傑作重機関銃だ。絶大な対敵行動阻止力を誇り、未だに後継銃の決定打がないと言われている。
「問題は相手が航空機であるということですね。相手は動体目標、その中でも速度の早い航空機」
その辺りを上官の不動が考えていなかった訳ではない。しかし、さすがにドローンならまだしも米軍の無人攻撃機というのは想定外だった。
急行出来る場所にいる部隊で対空機関砲や、対空誘導弾を保有している部隊は首都圏にはいない。正確にはパトリオットミサイルを装備した部隊が上野公園に展開していた。
しかし、弾道弾やミサイル相手ならともかく、無人攻撃機を相手には出来ない。たとえ撃墜できたところで、飛び散る破片等で周辺地域の被害が甚大になりかねなかった。
一番良いのは電子戦によって無人攻撃機の遠隔操縦を遮断することだが、これも敵の移動速度が速すぎて部隊が間に合いそうにない。
「事情は分かってる。だけれども、困難な状況は変わらないわね。その上、こっちに来てくれないという事も十分に考えられる」
狙撃ポイントを両国橋にしたのは、攻撃機を遠隔操縦する敵側の意図を読んだ上での事だった。敵側も通報によって攻撃機の存在が暴露する危険は承知しているだろうが、それでも高層ビル群等の障害物の多い場所を飛行させることは避けるだろう。
燃料を節約する上でも、河川沿いを低空で飛んだ方が有利だろう。
問題はそのまま荒川を南下して横須賀を目指すのか、隅田川方面へ向かって首相官邸を狙うのか分かりかねた事だった。不動は移動距離が短く可能性が高いと判断した両国橋へと、2人を向かわせたのだ。
隅田川方面へは警視庁の特別急襲部隊や、他の陸軍部隊が狙撃チームを派遣しているらしい。
「さて、こっちに来てくれるのかしらね」
智香がそう呟くのを待っていたかのように、武美軍曹が単眼鏡を見ながら告げる。
「どうやら、こっちが当たりのようですわ」
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