二度目の大東亜戦争

―平成32年の開戦―
高宮零司
高宮零司

第60話 ノックダウン作戦

公開日時: 2020年11月30日(月) 14:08
文字数:2,115

1942年(平成32年)12月31日 国防軍統合参謀本部立川司令部


萩原英司参謀総長は、大型有機ELモニターに表示されている事態の推移を示す作戦要図を、厳めしい顔つきで睨んでいた。今回の作戦を統括する作戦司令部が置かれているこの地下司令室には陸軍と空軍の将校たちがずらりと雁首を揃えている。

「コンコルド1、予定通り25分後にディアブロ1を降下させる予定。先行潜入部隊の支援を受けつつ、敵HQ制圧作戦を開始。」

「ホークアイ1より報告。敵軍の対空砲火および戦闘機の接近を認めず。|降下作戦《ヘリボーン》に支障なし」

次々と舞い込む報告に萩原は手元のタブレット端末にタッチペンでメモを書きこんでいく。

「よろしい、『ノックダウン作戦』は第三段階へ移行する。ディアブロ1に通達。非殺傷兵器の優先使用につとめよ」

「了解。あらためて念を押します」

「彼女は優秀な指揮官だが、手綱はしめておかんとな」

萩原はいつの間にか皮脂で汚れてしまった眼鏡をはずすと、ポケットから取り出した眼鏡拭きで丁寧に汚れをふき取る。

「予想外に敵の抵抗が見られませんな。事前の対空陣地爆撃もなしに降下部隊を投入するのは肝が冷えましたが」

国防空軍トップにして、国防軍統合参謀本部長を兼ねる紫香楽参謀長は、実年齢以上に好々爺然とした顔で応じた。現役のパイロットを務めていたころから校長先生というあだ名で呼ばれていた人物だ。

「偵察衛星の写真で作戦に支障が出るほどの対空陣地がないことは確認済みです」

「とはいえ、小火器や重砲でもまったく被害が出ないとはいえないはず。『菊の盾作戦』の霊験あらたかというところでしょうかな」

「提案を聞いた時には正直正気を疑いましたが、現実にシミュレーション予想より損害が低下していることは認めざるを得ません。特殊戦略調査班には面白い人材がいるようだ」

『菊の盾作戦』は、以前から特殊戦略調査班が国防軍に対して、旧帝国軍人による反乱が発生した場合の心理作戦であった。菊の御紋をあしらった『錦の御旗』や『御真影』を押し立ててつつ、君が代を流して『我ら官軍、貴様ら賊軍』とアピールするというシンプル極まりない手法であった。

ドローンや自動運転車両を組み合わせて反撃された場合の人的損害をも押さえられる、一石二鳥の作戦であった。余談だが、この作戦を提案した現役女子高生作家は、『私のオリジナルという訳でもないがね。とある漫画のパクリだよ。とはいえ、頑迷な旧軍人であればあるほど効果があるだろう』と語ドヤ顔で語ったものである。

萩原は率直に提案の有効性を認めつつも、複雑な表情だった。

「たいした効果と言えるでしょう。我々も心理戦研究は行っていましたが、あの突飛なアイデアというのは素人の強みでしょうな」

専門家ほど、専門分野のの常識にとらわれて柔軟な発想が出来なくなるのは普遍的真理である。その辺が分かっているからこそ、萩原の心中は複雑なのだった。

「今後は心理戦研究にもっと予算をかけるように提案しますよ。さて、問題はここからです。なにしろ市街戦だ」

紫香楽は感情の読めない糸目で、刻々と変わる戦況を見ながら答える。

「装備と情報はこちらが有利、ですが…」

「時間は向こうの味方ですからな。満州国市民に犠牲が出ることは可能な限り避けねばならない。難しいことです」

何度もシミュレーションしたとはいえ、一抹の不安が拭えない。

萩原の表情がどこか冴えないのも道理ではあった。

市街戦とは、遮蔽物が無数に存在して視界がきかない意味においては密林と似たようなものだ。 その厄介な戦いの代表例が、『現在』スターリングラードで繰り広げられている戦いだ。かつての史実では、装備で勝るはずのドイツ軍が瓦礫と化した市街地で狙撃や奇襲に苦しめられ、結局は撤退を余儀なくされている。

それに加え、今回は保護国の国民という要素さえある。

野戦砲や重機関銃の類を市街地で使用すればたちまち一般市民に犠牲が出る。その犠牲は今後予想される満州国との外交交渉において、不利な材料として最大限利用されることになるかもしれない。

―外務省のお公家連中からお小言を言われる程度では済まないだろうな。

そんな事態を想定するだけで頭痛がしてくる。

「世はすべて事なし、といけば良いのですがな」

紫香楽はそう言いながら小型の魔法瓶のキャップを外し、ほうじ茶を注ぐ。時間が経ち過ぎているせいか魔法瓶の中に入っていたにしてはぬるくなりすぎていた。

かつては官庁でも自衛隊でも会議などにはペットボトルのお茶が支給されていたが、それはもうはるか昔の話に思える。民需品の石油化学製品は資源不足を理由に大幅に規制され、昨今ではペットボトルは執念深く回収され再資源化されてスーパーやコンビニエンスストアから姿を消した。

そのスーパーやコンビニにしても24時間営業の店舗は都市部でもすでに皆無となり、空になったまま商品が補充されない棚も珍しくもない。

先の戦争時の統制経済への反省もあり、政府や業界の必死の努力でごく一部の生活必需物資を除いて配給制度への移行は免れてはいる。しかし、今後どうなるかは予断を許さなかった。

戦時体制は静かに国民の生活に影を落としつつあった。

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