マーサ婆さんの温かい眼差しが心に染みる。彼はマーサ婆さんに言われた通りに涙を拭って顔を上げた。アルバートはマーサ婆さんの手を握り返した。
「ああ、そうだ。こんなのは嘘だよな。俺、本当は逃げ出したいんだ!」
アルバートは振りほどこうとするがマーサ婆さんの強い腕と力で振りほどくことはできない。
「だったら泣くんじゃない」
マーサ婆さんはアルバートの守護霊として強いきずなを結んでくれたのだ。
●無力は人の為に何を成すか
その時々の情動から人生訓を学んで誰もが成長する。ただ、抽象概念を具体的な人生目標に翻訳する作業は難しい。過程で人は感情の沼にとらわれがちだ。
ショッピングモールの出口を目指していると通路の配電盤がバチバチと火花をあげた。そこにぼうっと青白い人影が浮かんだ。
「なんだ!? この臭いは! 」
人の体臭ではなかった。どこかで嗅いだことのある薫り。
「まさか、まさか、これ…!」
その匂いにアルバートは戦慄する。この匂いを辿ればどこかにたどり着く。そう思って一気に距離を詰めて振り向いた。
「お前!!」
目の前に、人の顔があった。全身を覆う黒い布地を風化させ、髪の毛を赤く色付けた少女であった。
「救われてるか?」
アルバートは俯き体を震わせたが答えなかった。少女は濡れそぼった前髪の隙間から殺気に満ちた視線を投げた。
「身勝手な感情で天国に逝くべき死人を繋いでいる。お前のその姿が人間の醜悪さを表している。いつまでもそれがある限りお前は、そんな姿になってしまう」
「お前が何者か知らんがマーサの思い出を貶すな」
「それはもうな。お前は何でもかんでも思いどおりに動かせると奢ってるんじゃないのか?」
「面影を支えにして何が悪い」
「私はお前みたいな奴は嫌いだ」
「なんだと?」
アルバートの言葉に呆れたように女は言った。
「そうだな。マーサ婆さんみたいな善人が、お前みたいな馬鹿でお人好しの子供を慕っているのは嫌いだ。その命、私に差し出せ。私はマーサ婆さんの怨念だ」
少女はぼうっと発光した。
通路の配線に火が着く。
「もう、これ以上、これ以上俺なんて……」
こんな悲しい死に方は二度としたくはない。彼は自責の念にとらわれた。
そして気付いた。このままでは、いけない。自分がこれから行う任務は――
「マーサ婆さんの意思は自分が何のために生きるか。その意志を尊重してくれるのはお婆さんだけだから」
「ははそうだね。そう言うことなら、アルバート君の本職ってことだね、アルバート君。マーサ婆さんの命を護ること以上の何かを望んでいることに薄々気付いては居らんのかね。それがお前にとって命取りになるのに」
自分にとっては知らん顔をする。なぜお婆さん自身が幸せになることこそが一番不幸なのだろう。これ以上不幸になることを望んではいけないのだ。自分の命は生きるためのものではない。お婆さんの命を護るためなのだ。
「……俺がお婆さんのために何をすべきか」
マーサ婆さんには本当は聞きたくない思いだが自分に聞いてみる。
「自分のために何をしろって言うんだい」
「お前自身ですら見失ってる本分を聞きたい。お前は技術者か、英雄か?」
マーサ婆さんはアルバートの方を向いて言った。
「人を護りたい。自分の命を自分の物にしたい。……例えば俺が本当に好きなのはマーサ婆さんだったけれど、マーサ婆さんが俺を護るには自分の命以外の一切を護りたいと思ったのかな。だから俺はマーサ婆さんのために何をすべきか知りたい。誰かの命が必要なら、自分の命と交換しないとならないからだ。それがどうして君の本職を知りたいと言うんだい」
女の表情が曇った。
「お婆さんのためにどんなことをしても無駄だと思っていたからだ。マーサ婆さんの命を護ることしか出来ない俺なんか要らないと思っていたのだろうよ。でも俺はマーサ婆さんの命が必要なのではなくて、自分が幸せでいられる場所があるのだなあと思ったわけだ」
その言葉を自分に向けてもあまり実感は湧かなかったが少しずつどこかで奮い立っている。
「人のためになら何でもすると思うからそうしてみたのに……。俺がどうしてマーサ婆さんのために何が欲しいのか、知りたいと言うんだ……。君は人間に生まれ変わって良かった。自分の心にあるモノを誰かが護ってくれるのなら、私のように誰かに護ってもらうのは嫌だ」
女は悲しげに顔をそむけた。
「だから君のために何でもする。君自身のために何でもすると言って欲しい。何か欲しいものがあるなら、俺の命に危険があるなら、人を傷つければ良い。君に俺の血や命を護れるだけの能力があるなら、その血も、命も差し棒のように奪ってくれても構わないのだよ。命を奪う機会なんてないはずの君の命が欲しいのだ。だから君の命の危険があるものまで護れるのは俺だけだ。それに君の命に危険があろうが何ろうが護れることは俺しか出来ない」
彼女は少し震えて、そして強い意志を持った瞳で俺を見上げた。
「俺はこうして生きて生きて生きて生き永く生きて生き続けて……。君が命と一緒に命を繋いでくれる……。だから俺は俺の生き方をしなくちゃならない。そのために必要なのは俺の命だ。マーサ婆さんの命を護るために、君の命の危険を取り払うために必要なのは俺の命だ。それが、俺の目的……。あなたの命が必要なのは俺の命。俺の命で君には君の命を護ることだと俺は思ってるんだ。だから、マーサ婆さんは俺にとって命の危険な存在なんかじゃなく、命の大切な人たちを救うために必要なことだと俺は思うんだ」
だから、君は君の生き方をして、それがあなたが望んだ俺の生き方なんだと、アルバートは切に思った。
マーサの怨念はぽつ、ぽつと雫を垂らして項垂れる。
「そうかい。もういいよ。アルバート。ここは私に任せてお行き」
そう言い終えぬ内にテンノウドーが警報を鳴らした。自家発電機の燃料タンクに火が回ったのだ。アルバートは物思いから覚め全力で逃げ出した。
モールが爆発炎上し、鉄骨が瓦解していく。それを高台から眺めていると煙が昇竜のようにのたうち回っていた。アルバートは少しだけ肩の荷が下りた。
モールとは商魂と物欲のるつぼだ。あすこに滞留していた雑念はルルティエの恰好の餌場になっていたのだろう。喰われて穢れた魂がマーサの無念を怨念に書き換えたのだ。末端は潰した。それは枝葉に過ぎないとしても本体を潰さねば世界は不幸のどん底へ落ちる。
第二章 終わりの始まり I -
1. 第一節「最後の勇者の物語I・終幕の序章II(中編)」
「あの……、この先は関係者以外立ち入り禁止となっております……」
第5区ショッピングモールは爆破されて炎上中である。そこを訪れた二人は怪しげだっただろうか? 否、怪しいどころではない。二人とも顔に火傷を負った包帯姿の少年だ。
警備員が声をかけるのも致し方ないことである。
警備員が止めに入るのは無理もない。だが、その瞬間、アルバートとカルエルの身体が淡い紫色の燐光に包まれて、その燐光が渦を巻き二人の姿を隠してしまう。次の瞬間には、二人の姿が跡形もなく消えてしまっていた。
(一体どこに行ったのだ……)
警備主任はしきりに頭を捻った。
アルバートが目覚めたとき、視界いっぱいに白い壁があった。
起き上がろうとしたが力が入らずまたベッドに横になった。頭がズキズキする。
ここは何処だ? 病院にしては薬品の匂いがない。
窓の向こうで木々が揺れていて爽やかな朝の訪れを予感させる。
病室の扉が開いた。入ってきたのはこれでもかというくらいに眉毛の長い女だった。女はこちらに目を向けると驚きに目を大きく開けた。そして口角を上げて、歯を剥き出して笑った。「すごい!『ふじみのじゅもん』が本当に効いたわ!」
失礼千万な女を突き飛ばして長身のプエルトリコ系青年が叱りつける。「勇者様に無礼だぞ」
そして非礼を詫び自己紹介を始めた。
「申し訳ありません。私は、スコットランド公国で公宮騎士団団長を勤めておりますバルバトス=ヴィノグラートと申します。」
アルバートは、まだ状況を把握しきれずにいた。
「それで、俺は何故ここにいるのですか?」
「はい、我々は現在、聖剣エクスカリバーを探し求めて各地を旅しているのですが、実は、先日、我々の旅の途中で、あなた様が倒れているのを発見したのです。最初は、盗賊団に拐われたのかと思いましたが、よく調べてみると、どうも様子がおかしい。そこで、とりあえず、保護したという次第でございます。ご気分はいかがでしょうか? もし、よろしかったら我々に同行していただいても構いませんが、どういたしましょう」
「えーっと、じゃあ、お願いします」
「はい、承知しました。では、早速ですが、出発の準備が出来次第、バーグマン国王と会見していただきます。何しろルルティエの巣を叩くためにはイングランド王国に入らねばなりません。しかし、我々スコットランドは領土問題を抱えておりまして」
ヴィノグラート・スコットランド公の説明を要約すればバーグマン国王はルルティエ騒動で荒廃したイングランドを率先して立て直した功績を称えられて三顧の礼で王位に就いた。ブリテン連合王国は瓦解しておりウェールズが独立を宣言するや、コンピューター技師のヴィノグラートを大急ぎで指導者に擁立する動きがスコットランドで出た。荒廃しきった国で議会制選挙などやる余裕もなく取り合えず電脳のバケモノであるルルティエに対抗できる知恵者がリーダーに相応しいということになった。
「バーグマンも出世したものだな」
アルバートは遠くを見る目つきで続けた。
「それで公爵閣下。国王陛下と何を…」
「ああ、公爵でいい。あなたとは一緒に戦う仲間だ。勇者様」、とヴィノグラートがへりくだる。
「アルバートでいいよ」
「では、せめて敬称で呼ばせてくれ。勇者殿」
「好きにしろ。で、バーグマンと何を話せばいいんだ?」
「うむ、単刀直入に言うと、勇者殿と国王お二人に関わる話だ」
というなり、彼は人払いをさせた。誰もいなくなると声を潜めて露骨に言う。「ルルティエ討伐の暁には残骸をこちらに引き渡していただきたい」
それはアルバートにとってとうてい呑めない条件だった。ルルティエはゲームのキャラクターだ。版権はアルバートとバーグマンにある。いくら魔王を倒した英雄であっても、他人に所有権がある物を、おいそれと手放すわけにいかない。ましてや、ゲームのキャラだ。
だが、相手はスコットランド公国。つまり、封建国家。中世的世界観のRPGにおいて絶対君主主義をとる国においては王の命令は絶対的に優先する。しかし、この国の王様がそんな命令を出すとも思えない。なにか事情がありそうだ。
さあ、どんな言い訳をするのか。と興味深く聞いてみると。
「ううっ…….うぅ……..ふぐ」嗚咽するばかりで言葉にならない。
「あの〜。もしもし。ちょっと。」
どうも要領を得ない。しばらく考えてようやくわかった「あっ、もしかして。俺がいなくなったと思って心配してくれたんですか?」。どうもそうみたいだ「はは、馬鹿だなぁ」涙がこみ上げてくる。「大丈夫だよ。ほら元気でしょ」両手をバタつかせて見せると安心したようだ。それから、二人でこれからのことを話し合うことにした。まず、アルバートはルルティエ討伐に最後まで付き添うつもりはないと説明した。そもそもアルバートは戦闘向きではない。むしろ苦手分野だ。そして、自分はもう若くない。老後を考えねばならない歳だ。いつまでも冒険者稼業を続けるつもりもない。
「ということでだ。今回の作戦はお前に任せたいと思う」
「待ってくれ。アルバートはどうするつもりなんだ」
「俺は、どこか田舎に家を建てようと思っている。幸い、こっちに持って来れなかった物もあるしな」
と言って鞄の中を見せる「これじゃ、ないよ。僕が探してるのは」
「ああ、知ってるよ。でも、まあ、あれだ。これは俺からのプレゼントだ。あとは任せたぜ」
「アルバート!!」
彼は荷物を抱えて、去っていった「じゃあな、頑張れよ。相棒」
そして、決戦の朝がやって来た。
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