すべてカルバートの仕業だ。バーグマンは彼の出方次第でACL—アメリカ人権監視機構に訴える構えであったが、出鼻をくじかれた。
原告の財産と生命に多大な危険および損失が発生するおそれ、という理不尽な理由だ。
「まるで、独房だな」
バーグマンが愚痴った。
殺風景なロフトに窓はない。スチール机と座り心地最悪な椅子。そして硬いベッドだけがある。
トイレとシャワーは備え付けてあり、三度の食事はデリバリーされるという。
それ以外は外部との接触を遮断される。
「公判開始まで大人しくしておくんだな」
ローソン弁護士はぴしゃりとドアを閉めた。
「いきなり虜かよ」
アルバートは監獄を見まわすなり、バッドエンディングのセリフを暗誦した。
「ああ、パターン23。勇者、獄死す、だったな」
バーグマンはデバッグを突き合わされた夜を思い出した。あの晩も雷鳴が轟いていた。
「で、どうするよ」
アルバートはベッドにひっくり返る。机に冷めたドミノピザが平積みされているが、手を付ける気になれない。
「あの龍の事なんだが」
着陸までにループした議論を蒸し返すバーグマン。
「いい加減にしろ。ルルティエの雷竜が人間に仇をなす理由なんぞない」
「逆に考えるんだ。アルバート」
「はぁ?」
「彼奴は三賢者の忠実なる眷属。性善の権化だろ」
「ああ、それがどうした。守護神だ」
「そこが引っかかるんだ。味方ならなぜ人を襲う?」
「知るかよ。雷竜の反逆まで想定してなかったからな。そもそも勧善懲悪の物語に必要ない仕様だ」
通りいっぺんな反駁にバーグマンは安心した。アルバートは必然を好む。
「そこで問題だ。俺がクライアントだとしよう。倫理の主客転倒を実装してくれと発注する。金に糸目を付けぬ。さぁどうする」
「どうするってもなあ」
アルバートは天井をみあげた。
しばし考えたのち、逆質問をした。
「いったい何処のド変態がそんなプレイを望むんだ。つか、売れるのか? そんなゲーム」
「ああ、売れるともさ。病んだ世の中には真逆こそ正義と考える輩がわんさといる」
「そいつらの需要、どれくらいの市場規模を見込めるんだ?」
「パイは小さくないと思うね。勧善懲悪を裏返しで遊びたいニーズはひねくれ者の特許じゃない」
「ねーよ」
「いいや、お前だってクリアしたシナリオを敵方目線で遊んでみたい誘惑に駆られた経験はないか?」
「ん~」
「どうだ?」
「そうだなあ」
プログラマーは耳の後ろを掻きながら投げやり気味に言った。
「コーディングに煮詰まった時に納期ごと滅びちまえと思う事は無きにしも非ず」
「それだ!」
バーグマンは表情を明るくした。
「ワイバーンロード・ホライズンズの出来栄えを思い出してみろ。とてもリリースできたもんじゃねえ」
彼は言う。カルバートはコンペティションで発表するにあたって、相当な無理を開発陣に強いたはずだ。
当然ながら反発するプログラマーもいただろう。アルバートと同じく、技術者という種族は理不尽と圧力が大嫌いだ。
そして陰険だ。順応的ガバナンスを装って面従腹背する者もいる。
その一部にはコッソリと想定外の、そして場合によっては雇い主を害する処理を仕込むケースがある
「イースターエッグか!」
アルバートはようやく気付いたようだ。
「そうだ。ワイバーンロード・ホライズンズ開発者の誰かがトラップを仕組んだ」
「フムン」
バーグマンの推理にアルバートは再び考え込んだ。
「だからと言ってよ」
カルバートごと世間と心中するほど愚かな技術者はいないだろう。彼らだって人間だ。家族や友人もいる。
「身寄りのない世捨て人もいるだろう」、とバーグマンが突っ込む。
「それはごくごく少数だ。プログラマーは人嫌いじゃない。人付き合いが不器用なだけだ」
「でも、いなくはないだろ」
「しつこいぞバーグマン。そこまでヒネた奴は希少種だぞ。まるで、腐った女みたいに…あっ」
「女だったら」
その時、窓の外に雷鳴と女の悲鳴が響いた。
バーグマンは悲鳴を聞きつけて部屋の隅に寄った。天窓一つしかない部屋だ。それでも耳をすませば薄い壁ごしに喧騒が聞こえる。
時刻はちょうど20時をまわったばかり。お世辞にも治安がよろしくない立地で住民のほとんどは年金受給者だ。
絹を裂くような声には色つやがある。ガタガタと何か小物が石畳を転がっている。そして、荒い息遣い。
熱く、激しく、浅く、速い。様子は見えずとも彼女の緊迫感が伝わってくる。
「アルバート…」
言いかけて、シィっと制止された。
彼も気づいているのだ。若い女が何者かと対峙している。それも至近距離だ。ギシギシと舗装が軋んでいる。
「ドラゴンだ」
小声で相方が断言する。
「ああ、ルルティエ…」
「その名前を言うな」
迂闊にもバーグマンは禁忌を口にしてしまった。アルバートはそれがどんな恐ろしい結末を迎えるか熟知している。そして、心の底で悔いる。
何という怪物を設定してしまったのか。
あたり一面を粉々に打ち砕くような咆哮が女の断末魔をかき消した。直下型地震かと思うほど部屋全体が揺れる。
そして、バシッと稲光が天窓を貫いた。
「終わった…」
アルバートはへなへなとその場に座り込んだ。
「何が起こったんだ?」と、バーグマン。
「焼け跡を見る勇気があるんなら、表に出てみろ。焦げ跡と脊柱管の欠片ぐらいは残ってるかもな」
言われるまでもなくバーグマンは戸外へ出た。監視カメラやセキュリティーのたぐいはサージ電圧で死んだらしく、赤ランプが明滅している。
おそるおそる螺旋階段を下ると、惨状が否が応でも目に入った。
ちょうど、女の首から下が順に砕けている最中だった。
「うわああ」
声にならない声をあげて、部屋に逃げ帰った。
「言わんこっちゃない。ルルティエの捕食だ」
アルバートが鼻汁を啜りながら解説する。
「こんな馬鹿な話があるか! 非科学的だ。ルルティエが現実にあろうはずもないっ!」
バーグマンは柄にもなく大声で否定した。彼が落ち着きを失う時はたいてい理不尽そのものに憤っている。
「あんたのせいだよ。獲物の前でNGワードを口走った」
「自分を棚に上げてよく言う。そもそも原作者はお前だろう。お前の妄想が人を殺したんだ」
アルバートがおかしなアイデアをしたためなければ、彼女は食われずに済んだのだ。
学生時代の能天気な邪悪が雷龍という悪夢を呼び覚ました。
「いや、俺じゃない!」
血走った眼でアルバートが睨む。
「じゃあ、誰だ?」
「決まってる。カルバートの野郎だ」
「どういう意味だ?」
バーグマンが問いただす。天才プログラマーが言う。仕組まれているのだと。
アルバートの黒歴史ノートは若気の至りというよりは若きウェルテルの悩みだ。多感な思春期に誰もが思い悩んで行き詰る。そして、極端な厭世論にたどり着いて自己憐憫に酔うのだ。
そして、彼も破滅願望の成就と救世主再臨を望んだ。その方法が突飛を好む子供らしい。無力な木偶の坊な自分を救済する手段は一つしかない。
悪魔的な何かにすがり、凡百をしのぐ超人力を授かればよい。ダメな自分をどうやっても克服することなど不可能だと知り尽くしている。
したがって、ずる賢い手口で成り上がる他に救いはない。他人を俯瞰する立ち位置で不幸な過去と一線を画せばよい。
「そのために生贄を捧げるんだよな。全人類と地球を」
バーグマンは思い出した。ゲーム山場に来るバッドエンドの一つである。
「ああ、あいつも同じ考えだろうよ。ワイバーンロード・ホライズンズをどう味付けしようが糞ゲーは糞ゲーだ。マーケターの目は誤魔化せない。化けの皮が剝がれて会場から退却する前に奴は手を打つはずだ」
「何を言っているのか、さっぱりわからん」
「ダークブラウン卿だ。場末の辺境伯は生娘を捧げようとしていた。カルバートなら絶対に目をつける。利用するはずだ」
「なるほど、よくわからん」
「最後まで聞いてくれ、バーグマン。奴は俺の黒歴史、いやドラゴン・イコライザーを悪魔に捧げたんだ。ワイバーンロード・ホライズンズを成功させるために」
「落ち着け、悪魔なんかどこにいるよ」
「物忘れが激しい奴だな。ゴードンだよ。辺境伯の宴で生娘を値踏みしていたが、正体を隠して奴に接近する筋書きだったろう」
「ゴードン…って、まさか?」
D席の男だ。あの時、二人の前に雷龍が現れた。いや、召喚して見せたのだ。
「そのまさかだ。D席野郎の素性はわからん。というか今は表の顔なぞどうでもいい。凡人が龍を目の当たりにして平気でいられるか?」
確かに、パニック状態に陥るでもなく、威風堂々とアルバートを睨んだ。
「ますますもって意図がわからん。カルバートとゴードンはこんな状況を俺たちに見せて何がいいたい?」
バーグマンはもう一度、おそるおそる扉の隙間から道路を垣間見た。石畳が大の字にくすぶっている。
「お前の愚かさを——ルルティエの禁忌に触れたドジと——俺の無力さを自覚させるためだ」
アルバートはそういうとわずかな荷物をまとめて螺旋階段を下りた。
「おい、何処へ行く」
あわてて後を追うバーグマン。
「女を探そう」
「探すったって」
「イースターエッグを仕掛けた女だよ。そこに転がってる焼死体はたぶんダミーだ。逆らえばこうなるというカルバートなりの脅しだと思う」
「生きてるというのか」
「ああ、そうだろうな。殺しているならリアルな死にざまを俺たちの前で再現すればいい。説得力が違う」
「カルバートですら、どうにもならない?」
「そういうことになるな。だから俺たちに探させようというんだろ」
「先回りして、抹殺…か!」
バーグマンがバチンと両こぶしを打ち鳴らした。
「ああ」
東の空が茜色に染まっている。そして、崩れ落ちた摩天楼が遠くに霞んでいる。
「これもルルティエの所業か」
バーグマンが憎々しげに言い放った。
世界は瞬く間に一変した。大通りに人影はなく、遠くに見える摩天楼の灯りも電飾も消えている。まるで街全体が暗黒面に墜ちたようだ。
「来てみろよ」
アルバートは戸惑う相方の背中を無理やり押した。手を引いて少し離れた幹線道路に出てみる。
あちこちで車が横転したり衝突して炎上しているものの、大半は渋滞をなしたまま停止している。
運転手を失った車列は赤信号のまま、アクセルが踏まれる時を待っているようだ。
「もしかして、最終戦争でも起きたのか?」
信じられない、と何度もバーグマンがかぶりをふる。しかし、いくら見渡せど人っ子一人いない。
「ああ、ご覧のありさまだよ」
アルバートは彼が事態を受け入れるまで辛抱強く待った。
日に照らされるビルに朝焼け雲が映えている。鮮やかなオレンジ色は一日の活力でなく、死んだ世界を火葬する炎に見える。
そして、雲間をいなびかりが渡っている。
「ルルティエだ。奴がゲームチェンジャーだ」
プログラマーは暗澹たる思いで空を見上げた。
★ 第二章:終末世界線上のカナリア
歩いて五分ほどのショッピングモールが丸ごと廃墟と化していた。
「まるでハッサーの市場だな」
バーグマンはドラゴン・イコライザーの序盤に登場する遺跡を思い出した。
ハッサー市場はかつて王国随一の商業施設だったが経営者の奢りとなりふり構わぬ事業拡大で破綻した。
プレイヤーキャラクターは定石通り、そこで冒険の支度を整える。ご都合主義の要請とはいえ、無料で手に入る装備は限られている。
「弾は持てるだけ持っていこう」
銃砲店を物色していたアルバートは自動小銃を数丁と弾薬ケースを床に山積した。
「バカ。これ他にも運ぶものがあるだろう」
バーグマンが持っていくべき武器弾薬を仕分けした。二人の体力を勘案したうえで、リュックに食料を詰め込む。
「持って2,3日と言ったところだ。その間に最初のステージをクリアしなくちゃいけない」
「ああ、アルバート。お前が頼りだ。”彼女”を探す当てはあるんだろうな?」
「もうわすれたのか?」
彼はうんざりした様子で装備を拾い上げた。
泳がされている。カルバートの真意を百パーセント測りかねるが、概ね一致しているだろう。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!