ワイバーンロード・ホライズンズの失敗を悪魔的存在に支援してもらう代償に全世界を生贄した。
ならば、陰謀論的人口削減工作者の駒として突き進むしかない。
わざわざ飛んで火にいる夏の虫になるのか、とバーグマンは渋った。
「勝手にしやがれ。俺は西へいく」
アルバートは躊躇する相方を見捨ててでも”彼女”を救出する腹積もりだった。
先の見えない旅路ではない。食糧が尽きる範囲にゴールがある。
そこでカルバートは自分を待ち受けているに違いない。なぜなら、彼が黒歴史の著者だからだ。
悪魔と一体化した者でも”彼女”を始末できない。
ならば、その処分方法を知る唯一の人間を呼び寄せて、代行する。
「西だ」
アルバートは銃口をハッサー市場のホールへ向けた。
通路の先で電光が瞬いた。
五、六人。いや、もっとだ。老若男女が瀬戸際の攻防を繰り広げている。初老の紳士と見るからに格闘家っぽい男が曲がった鉄筋を振り回している。
柱の陰で老婆と母娘連れが縮こまっている。彼らの脅威は見えない敵だ。ターコイズブルーの蛍が龍の形相を隈取っている。
玄関ポーチの丸電球っぽい眼球。よれよれのナマズ髭。そして、歯並びのよい口が忙しく開閉している。
それは日本の獅子舞のごとく獲物に向けてカウンターパンチを繰り出したり、無駄に虚空を噛んで見せる。
男たちは龍を打ちのめそうと鉄筋を揮うが、空振り三振の連続だ。
アルバートは彼らが最後の生存者であることを悟った。通路のそこかしこに焼死体が散乱し、今にも塵に帰さんとする人がいたからだ。
女が髪をなびかせて振り向く。二言三言、嘆願しているが、もう手の施しようがない。
やがて美しい顔が頭蓋骨と化して崩れ落ちた。
「どうやって助けるんだよ」
なすすべもないまま、遠巻きに見守るバーグマン。
「うろたえるしか能がないなら、どこかに潜んでくれないか」
チッ、と舌打ちするも、言われるままに男は物陰に隠れた。
「おぅい、そこの二人」
何を思ったのか、アルバートは身振り手振りで戦う男たちに避難を呼びかけた。
しかし、彼らは一心不乱に素振りを続けている。
「仕方ない」
アルバートは切り替えの早い男だ。瓦礫伝いに身をかがめ、小走りで女性陣に駆け寄る。
「逃げてください。勝ち目はない」
いきなり話しかけられて老婆はすくみ上った。
「何なんです?貴方」
「主人と祖父を連れて行かないと」
「パパ―!」
三人は異口同音に異論を唱えた。しかたなく、バーグマンと一緒に声を張り上げるが、男二人は振り向かない。
呼びかけは届いているはずだ。アルバートはルルティエのスペックを思い出した。
魅了する機能を持っている。彼は守護神なのだから。臣民に愛されなくてはならない。
「助けている暇はない。早く」
アルバートが促す。しかし、いくらなんでも大切な家族を放ってはおけないだろう。
そうこうしているうちに祖父が力尽きた。棒を振り下ろし、肩で息を整えている。一瞬の隙を突かれた。
くわっとターコイズブルーのあぎとが老人の右足を救い、逆さづりにする。
そして小さい触手のような電光がふくらはぎから膝まで駆け上がり、そこから塵に変わった。
「おお、ヘンリー!」
老婆が泣き崩れる。
「リチャード! あなた!!」
妻が格闘家を説得するが、逆にスイッチが入ってしまたようだ。
「この野郎!」
夫は渾身の一撃をルルティエに叩き込んだ。
ギャッと短い悲鳴をあげて、黒人は光の粉に成り果てた。
「だから、逃げろと言ってるだろうが!」
アルバートは女三人を焚きつけた。
大の男二人を屠った雷竜はくるりと鎌首をこちらに向けた。
「つべこべ言わずに来るんだ」
アルバートが未亡人のアンジェラを引き連れ、バーグマンが娘のリズを抱きかかえる。
マーサは舅を弔うと言って動こうとしない。
「おばあちゃんが」
リズの要求をかなえてやる時間がない。ルルティエは五人の存在を把握し、攻撃のタイミングを見計らっている。
「こっちに非常口がある」
バーグマンが壁の鉄扉を叩く。従業員専用と注意書きしてあるが、今は非常時だ。
「待ってくれ。こっちから行こう。いろいろとまだ必要なものがある」
アルバートが家電製品売り場を指さす。ルルティエを迂回して反対側の通路だ。
「お前だけ死ね」
バーグマンは二人の女の命運を握ることになった。
とはいっても、アルバート抜きでどうしたものか。凡人なりに知恵を巡らせる。
熟考している猶予もない。敵のセンサーを出し抜く方法を発見する前に餌になる。
「鉄だ! 金属製の扉だ」
雷竜の五感がどういう性能かは知らぬ。だが、金属は避雷針になり得る。。
反射的にノブを引っ張った。不幸中の幸い、鍵が開いている。
尻込みする二人を急きたてて、最後にバタンとドアを閉める。
ざらついたコンクリート壁だ。非常灯はついている。自家発電設備がまだ生きているらしい。
「上だ。階段を昇れ。電気系統の制御室に逃げ込めば雷龍も混乱するだろう」
「マーサが」
リズはおばあちゃん子であるらしく、しきりに名前を叫ぶ。
「大丈夫だ。オタクのオッサンが助けてくれる」
「本当?」
「本当だ。あいつは龍の倒し方を知っている」
口から出まかせでも何でもいい。リズを空手形で勇気づけ、負ぶった、
そのまま対面通行不可能な狭い階段を急いだ。3階のフロアに変電設備があった。
モニターが所狭しと並べてあり、職員が座っていた場所に消し炭が散らばっている。
ノートパソコンの画面にウインドウが重なっていて、リアルタイムで情報を更新している。
「どうやら、ここならしばらく凌げそうだ」
バーグマンが入口付近にラックや椅子を積み上げてバリケードを築いた。
彼一人で作業する間、アンジェラがずっと泣いていた。
「ブラックフライデーのお買い物をしに来たの」
リズが言うには、リチャードの提案で近所に住むヘンリー夫妻を誘ってモールへ来た。
車はアンジェラが運転した。一族はどこにでもいる普通で善良な市民だ。
リチャードは格闘家風だがシステムエンジニアだ。肉体美は趣味だそうだ。
そして彼はサイバーマンデーという言葉が大嫌いだった。
「コンピューター関連職なのにどうして?」
バーグマンの問いに彼女は好きで選んだ道じゃないから、と返した。要するに食い詰めて仕方なく手に職を付けたパターンだ。
「わたし、テンノウドーをおねだりしたの」
リズはスカートのポケットからワオのゲームチップを取り出した。
残念ながらドラゴン・イコライザーではない。当たり前だ。本日発表なのだから。予定だったが。
「でも、あの人ったらかなり無理をしていたらしいの」
女の隠しておきたい一面が現れた。妻は夫の転職活動が芳しくない事実を知っていた。面接に行くと言って明け方まで戻らない。その頻度がここ数週間の間、増加傾向にあった。
「ああ、なるほど」
それ以上は詮索する価値も意味もない、とバーグマンは判断した。
よく女の性悪を指摘するとフェミニスト団体の回し者から猛反発を受けるというが、男の腐り具合もなかなかのものだ。
リチャードは細君に二枚舌を使う。ならば、マーサの夫もそうだろう。蛙の子は蛙という奴だ。
おぼろげながらルルティエのアルゴリズムが見えてきた。奴は腐っても鯛、いや守護龍神であるらしく、忠実に役目を果たしている。
すなわち、勧善懲悪だ。
ヘンリーとリチャード親子は食われるべくして食われた。
「リズ、よく聞くんだ」
バーグマンは噛んで含めるように女性たちを諭す。
「うん」、と素直に頷く少女。
「いい子にしているんだ。お母さんの傍を離れちゃいけない。そして、よく大人のいう事を聞きなさい。あの怪物は悪い大人たちを栄養にしている。リズが悪い子にならないようにアンジェラも見守ってあげてくれ」
そういうと、彼はとっ散らかったスチール机から瓦礫をすっかり除去した。そこにまだ使えそうなノートパソコンを並べた。
電源と通信ケーブルはまだ稼働してるらしく、ためしにネットニュースのライブ配信サイトにアクセスしてみると、無人のスタジオが実況されていた。
「よし、今夜はこれで行けそうだ」
バーグマンはアルバートに劣らないコンピュータースキルを持っている。
ノートのUSBポートにLANケーブルを接続し、ショッピングモールの制御システムに侵入した。
そして、館内の電気系統を隅々まで把握した。といっても、肉眼で構内配電線路を追っていては夜が明けてしまうので即興のアプリに代行させた。
「何をしていますか、あなた」
アンジェラが心配そうにのぞき込む。その揺れる胸元は目の毒だ。どぎまぎしてしまう。
「ええ、あの、ドラゴン除けの対策を講じているところです。3階のフロアに介護ロボットのショウルームがありましてね。展示用のロボットに二足歩行できる機種があるようです。そいつらに避雷針を持ってこさせましょう」
「素人のわたしにはさっぱりわかりません。それでリズが助かる保証は」
「ええ、あります」
バーグマンは目のやり場に困りながらしどろもどろに説明した。
この部屋を囲むように雷サージ対策機器を設置する。それでルルティエは除けられるはずだ。
「よかった」
母親は緊張の糸が途切れたのか、意識を失った。そのまま、バーグマンに覆いかぶさる。
「奥さ…ちょ…」
「それは本当の話ですか」
ひしゃげたシャッターの隙間から男女のひそひそ話が聞こえる。ここは荒廃したショッピングモールのキッズコーナー。
泥だらけのぬいぐるみやゲームソフトがまるで空爆の直撃を受けたかのように散乱している。
「ええ、ヘンリーが現役時代にドーバー海峡で確かに見たんです」
「具体的な場所はわかりませんか? それらしい手がかりやヒントになるような事は?」
アルバートのしつこい追及にも老婆は寛大な心で臨んだ。壁の配電盤から無理やりにタコ足配線した玩具のLEDが頼りなげにほのめいている。
「そうね…」
彼女はしばしこめかみを揉んだのち、明確な地名を示した。
「カンタベリーの近く、ガストンだったかしら。お城が下に見えたと言ってたわ」
聞き流しながらアルバートがテンノウドーを乱打する。手のひらサイズの液晶画面に芥子粒のようなフォントが並んだ。
エンターキーを打てば響くように検索結果一覧が並んだ。
‷セントマーガレッツ・アット・クリフのお城ですか?”
検索エンジンが候補をいくつか画像でサジェストしてくれる。
「そうよ! ドーヴァー城よ」
マーサは宝くじに当選したかのように言う。アルバートはつくづく実感する。彼女が生き残っていてくれてよかったと。
ネットのアクセス手段を確保すべく、家電製品売り場を物色していた。最初はそこでモバイルルーターとパソコンを確保しようとしたのだ。
ところが崩落した天井に目論見が打ち砕かれた。めげずに彼はおもちゃ売り場に望みをつないだ。
4Dワオのブラウザー機能はペアレンタルロックが掛かっていてアクセス制限が厳しい。
開発者ならば容易に解除できる。彼は首尾よくテンノウドーと専用Wi-Fiルーターのセットを確保した。
そこで途方に暮れているマーサと再会した。彼女は娘のためにブラックフライデーの買い物に来たと証言した。
ヘンリーと最後に手を取り合った場所だという。
「あら、あなた。これもリズが喜びそうね」
「あまり無駄遣いするんじゃないぞ」
夫婦の会話はそれっきりになった。
「残念ながらご主人を救えなかった。しかし、お孫さんに元気な顔を見せないと」
アルバートは安楽死を願う老婦人をどうにかなだめすかした。その間にライブカメラ経由で周囲の安全を把握した。
「兎も角、ヘンリー氏が第二次大戦中にルルティエを目撃したのは間違いないのですね」
マーサは弱々しく頷いた。未確認飛行物体の目撃情報を空軍パイロットはあまり話したがらない。
黙っていなければ、操縦桿を握らせて貰えなくなるからだ。しかし常軌を逸していない同僚が複数の龍を飛行中に捉えている。
それは戦闘機のガンカメラに収録されているはずなのだが、空軍は黙殺し続けていた。
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