ワイバーンロード・ホライズンズ

水原麻衣
水原麻衣

ルルティエは「魔龍」と名乗る

公開日時: 2023年2月15日(水) 13:00
文字数:4,881

祖国が未知の脅威にさらされている。その事実を墓場にもっていく行為は守るべき大衆に対する重大な裏切りだという呵責と守秘義務の狭間でヘンリーは苦しんで来た。

その重荷に気づいたマーサは「何か言えない秘密があるんじゃないの」と夫を促しつづけた。

それが夫婦の疑心暗鬼を深め、ヘンリーは飲み歩くようになった。夫が秘密を少しずつ話すようになったのはマーサが当てつけに男漁りをはじめだしてからだ。

「あまり思いつめないでください。ご主人も悪いんじゃない。ルルティエに鈍感な軍と政府が悪いんだ」


解放的なアンジェラを瀬戸際であしらった。ここに来るまでリカーコーナーでボトルを開けたらしい。

酒気帯び運転はバーグマンにとって神に背く行為だ。「リズの前だぞ」と一喝して黙らせた。

今、母娘は重なり合うように寝ている。

彼は介護用ロボットを操って制御室を囲むように雷サージ装置——落雷の際に過電流がコンセントから電化製品に伝わってショートさせてしまう事故から防いでくれる機械だ——を配置した。

これでルルティエは進入できないだろう。

安堵した途端に小腹がキュッと鳴った。作業に没頭するあまり、寝食を忘れていた。確か、フードコートに冷凍食品と業務用のレンジがあった。

バーグマンはピザとチキンナゲットとレンジ本体をロボットに運ばせた。籠城戦を覚悟したからだ。

自分用に一食分加熱し、頬張りながら館内とモール周辺の警戒監視を済ませた。今のところ敵の兆候はない。その作業にも眼精疲労を覚えたので専用のスクリプトを書き下ろした。

画像解析フィルターを濾過して、いくつかのパターンを条件定義した。それらしい怪異を発見したら警報が作動する仕組みだ。

これでようやく横に成れる。

夜半過ぎにリズが起き出したので、食品パッケージをいくつか解凍した。

「いつまでここにいるつもりなの?」

アンジェラはノートPCのフロントカメラを姿見代わりにして、手櫛で髪を整えている。

彼女が言いたいことはだいたい想像がつく。だから、女は扱いづらい。

バーグマンは黙ってキーボードを叩いた。自走式の介護ベッドとロボットを遠隔操作して、ショッピングモールを徘徊させた。

可能な限り平坦なルートを巡り、化粧品や生理用品や着替えを買い物かごに放り込む。それを制御室の前まで運ばせた。

「どうしてわたしに相談してくれないの」

アンジェラはぶつぶつ言いながら真新しい着替えに袖を通す。日は既に頂点にさしかかっていた。

「足りない物があったら、今のうちに言ってくれ。ただし、持ち運べる範囲内でだ。ロボットとベッドのバッテリーもじきに切れる」

バーグマンは母娘に釘をさした。出発の準備を日没後までかかって整えた。

「どうして、暗い夜道を行くの?」

「ルルティエがピカピカ光っているのを見ただろう」

リズは小妖精に騙されたような顔をしていたが、説明している時間はない。19時を回った頃、一行はモールを後にした。

「アルバートが置いてけぼりだわ。マーサも」

アンジェラが心配しているが、バーグマンはやるべきことを進めた。

「御祖母さんは大丈夫だ。あいつかついている。それよりも西を目指すんだ」

「ロンドンではなくて?」

アンジェラの問いにバーグマンは首を振った。

「ブリストルだ。テンノウドー・ヨーロッパの開発拠点がある。カルバートがワイバーンロードの急ごしらえを応援依頼するとすれば、そこしか思いつかん」

バーグマンの話では、テンノウドーがゲーム商品を充実させるために開発キットを各社に提供している。メーカー側もそれに応じて連絡調整スタッフをテンノウドー常駐させている。繁忙期には出荷寸前の最終チェックを支援する事もあるという。離反者が潜んでいるとすればブリストルの開発ラボだろう。それはドラゴン・イコライザーの最終迷宮。捕らわれの王妃救出ミッションと重なる。

「本来の脚本ならどうなっているんです?」

「それはゲームプレイヤーの進行具合に拠るよ。シナリオは分岐するんだ」

バッドエンドのいくつかには救出ミッションが省かれる結末もある。

「王妃が殺されるか、何らかの原因で死ぬか…ですか?」

「それ以外にも2つほどある」

「2つ? 私が思いつくのは王妃が自力で脱出する。例えば、何か強力な隠しアイテムを発見するとか」

「それもあるが…」

バーグマンは口ごもった。何か表に出しにくい秘密があるようだ。ぶつぶつ言葉を選んでいる。

「何なんです? はっきり言ってください。事と次第によっては人命がかかっているんですよ!」

食い下がられて、男はしぶしぶ明かした。

「超展開の一つさ。王妃が悪魔に憑依される。そして…」

「そして…?」

「ルルティエを使役するんだ。正確にはルルティエに魅了されてね。勇者に勝ち目はない」



足が決して自由でない老婆を伴って瓦礫と化した街を移動することは死の危険を伴う。さりとてマーサひとりを残してバーグマンと合流する事もできない。

アルバートはテンノウドーを壁際のLANコネクターに接続してメールを送信しようと試みた。

だが、加入しているプロバイダーのサーバーが反応しない。電源がダウンしているか物理的にオフラインなのだろう。

つづいて、フリーメールやSNSのアカウントを試してみたがログイン手続きすらままならない。

「無理せず、バーグマンの所にお行き」

キーボードを叩き続ける背中をマーサが圧してくれた。もう何年も忘れていた人の温もりだ。愛情がバーグマンとの間にあるにはあるが、それはビジネスパートナーであり、男同士の友情でもあり、濃度やベクトルが異なる。

母、ふとそんな語句が浮かんだ。アルバートの両親は幾つかの虐待を経て数え切れないほど変わっており、生みの親の顔すら定かでない。

「さぁ!」

にっこりとほほ笑んで送り出そうとしてくれるマーサに無常の優しさを感じた時、守るべきものと、それを成し遂げるために必要な事を悟った。

「いいえ! 貴方は置いていけない。大切なキーパーソンだ」

自然に腕が伸びた。ぎゅっと年老いた女を抱きしめて、母なる存在をしっかりと確認した。そして、テンノウドーで館内をくまなく検索した。

案内図と防犯カメラの最新映像を基に介護福祉ヘルパーステーションを発見した。福祉用具の在庫があり、ちょうど新品の車椅子が入荷している。

どうにかして手に入れたい。問題はルルティエの奇襲と暗がりだ。マーサを連れて取りに行かねばならない。

肝の据わったアルバートはともかく、老婆には心臓が凍る思いだろう。

「しっかりと僕だけを見つめて。絶対に目を逸らしちゃいけない。闇に飲み込まれてしまう」

マーサを庇うように先導し、懐中電灯片手に慎重に一歩ずつ進む。老婆の負担を考えて段差の少ないルートをゆっくり進んだ。

途中、どうしてもエレベーターを利用しなければならない箇所があり、しかたなく呼び出しボタンを押した。


すると、フロアの照明が一斉に灯った。眩いスポットライトが灯台の様にくるくると売り場を照らし、場違いなロックミュージックが耳を貫く。

アルバートばとっさに固有名詞を飲み込んだ。

「奴だ!」

唐突に灯りが消えて、家電製品売り場がまだら模様に照らされる。

「オーディオ機器のコーナーを徘徊してやがる」

どうやら雷龍はハイパワーの電磁エネルギーを帯びているらしく、活動圏内にある家電製品を無差別に活性化させるようだ。

「あ、あ、あ、あ…」

万事休す、マーサが腰を抜かした。バチっと乾いた破裂音がした。

みあげると、天井を手前から奥へ火花が走っていくのが見えた。

「奴が徘徊してやがる!」

アルバートが見まわすと5メートルほど離れた場所にレジカウンターがあった。社内サーバーにつなぐタイプのPOSレジだ。

客から見えない位置にLAN端子があるはずだ。彼は身を低くして短距離をひと思いに駆け抜けた。そして、めざすジャックにテンノウドーを接続した。

キーボードを叩き、フロア全体の回路を掌握する。そして、指定した場所の電源をオンオフすることでルルティエを扇動した。

調理家電コーナーのコーヒーメーカーやポットに電源が入った。そこにスパークが集中する。

「捕まえたぞ!」

アルバートは最寄りの陳列ケースに通電し、ルルティエの退路を塞ぐ。そこだけ文明を代表するかの様に白熱する。

顔を背けたくなるほどの眩さ。彼は手探りでテンノウドーを操った。このまま、館の電力が続く限り封じ込める。

その間にアースの代わりになる物を突貫工事で設置する。タイミングを見計らって電源を落とせば、ルルティエはアースに導かれて大地に放電されるだろう。

「よーし、そのままだ。いい子にしてくれよ」

ケーブル売り場を目指そうとした、矢先、マーサが悲鳴をあげた。キリンが草を食むように稲光が首をもたげた。

「なんでだよ?!」

想定外の事態に彼はパニック発作をおこした。

「なんでだよ!なんでだよ!」

じたばた藻掻くうちにルルティエは餌に到達した。

バチバチと何かが沸騰し、煮えたぎる音がする。そして焦げ臭い煙がただよってきた。

「何でだよ!何でだよ!!」

ぼうっとオレンジ色の炎が視界をかすめる。

「うぉああ! なんでだよ!」

アルバートは本能的にテンノウドーを抱えて非常口を目指した。火災報知器が反応してジリジリと警報ベルが鳴る。そしてスプリンクラーが散水を始めた。

「何でだよ! あっ、そうか」

一瞬の決断が生死を分けた。彼は自ら洗礼を浴びた。天井から滴り落ちる雨嵐でずぶ濡れになる。4Dワオはプールサイドで遊べる程度の耐水性がある。

ルルティエらしき火花は滝のような防火水に阻まれた。それをアルバートは必死でかいくぐった。

●老婆の絆


マーサ婆さんを救えなかった。ジトジトと濡れそぼる屋内をアルバートはよろめく。雷龍ルルティエが電磁気に誘引される性質があるという知識の代償はあまりに大きかった。アルバートは無力感に苛まれショッピングモールの廃墟を彷徨う。来るべき魔龍ルルティエとの決戦に備えて必要と思われる材料を片っ端から略奪した。死に絶えた街に人と平和が戻ってくるなら安い代償だろう。どうせ在庫は朽ち果てる。アルバートが活用することが殺された人々への手向けになる。そう嘯いた。商品を盗む罪悪感で恐怖心をごまかしているが本当は赴きたくないのだ。自分でも良心の呵責が本心でないと自覚している。魔龍が怖い。アルバートは怖気づいている。割れたショーウィンドウに疲れ果てた男が映る。自分だ。その瞳にははっきりとマーサ婆さんの死にに対する後悔と謝罪が浮かんでいた。アルバートは涙腺を冷たい水道水で洗い流した。彼は自問自答する。「俺の本職はプログラマーだ。魔龍だの世界を救うだのお門違いで畑違いのミッションにふさわしい男だろうか。お婆さん、俺はあんたを見殺しにした」


アルバートはマーサ婆さんと出会ったとき、自分にもどういう事情があるのか訊ねたことがある。そしてマーサ婆さんが自分の生殺与奪権を握っているのだと知った。かつて天才プログラマーとして知られたアルバートだが、それは別におまけ程度の存在だったのだ。当時の駆け出しプログラマーは決定権を持っていなかった。そもそもプログラマーという職業自体が自分から全てを奪う職業だったのだ。ある時彼は自分の生殺与奪権から死刑宣告される自分を想像した。プログラマーとして、お婆さんが守りたいと思ったこと。お婆さんにとって大切な自分の生命。それさえ失われたマーサ婆さんが自分に与えられた価値を噛み締めて涙を流す。そんなことを想像した。

しかしマーサ婆さんの幻影は笑っていた。

「それはどうだかしらね。そもそも老い先短いあたしにとって自分の命より孫たちが大切だったよ。アルバートは自分を責めなくていいのよ。だって貴方は

あんなに悲壮な顔つきで必死に戦ったんだから。だからあたしだって同じじゃない。そうでしょ?」

マーサ婆さんは笑っていた。その笑顔がアルバートを見つけた。

「アルバート、鏡を見て。あなたの目を見て話してごらん。それが本当の自分から目を逸らす最大の武器になる」

「お婆ちゃ……」

「あたしも一緒だから。泣かないでね」

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