ワイバーンロード・ホライズンズ

水原麻衣
水原麻衣

映画「ドラゴン・イコライザー」

公開日時: 2023年2月12日(日) 12:35
文字数:4,770

●宣戦布告

小さなカーテンを右に寄せると、ガラスの向こうに黄金の瀑布が広がっていた。

機体は日付変更線を超えて睡魔の王国を横断する。

眼の高さに街明かりはない。ただ、キラキラと不規則な稜線が月に照らされる。

夜空を染めるグラデーション。黄土色からエメラルドグリーン。寒色かと思いきや、目が覚めるほど鮮やかなピンク。

残像がいそがしく増殖して視界が痛い。

「ブランケットをもう一枚?」

やさしい気遣いが長旅を癒してくれる。

「いや、ウオッカをくれ。氷はいらない」

タイミングよく、グラスが差し出される。

人が何に幸せを感じるのか、彼女は地母神より心得ている。

「ありがとう」

自然なやりとりが敗者復活の種火になるかと言えば、神のみぞ知る、だ。

すくなくとも広大無辺の空間を埋める目途はまったくない。


正直言って、今回の移動は旅という言葉の本質を改めて教えてくれた。

古来、離れた場所に移動する行為はやむにやまれぬ苦渋の選択だったはずだ。

住み慣れた場所を棄てて未知の環境でやり直す。その困難な過程として旅があった。

出発の動機はいろいろある。天災地変で生活の糧が得られない、外敵に襲われた。

様々な理由で生活の安全を脅かされた結果として旅がある。

そして目的地があればいが、たいていは定まらぬ未来を手探りする。

旅とは辛くて危険と困難を伴う。

現代のように快適、居住性なとと言った機能を追求する事は旅の存在理由に反する。


「アンドレイ。随分と厭世的じゃないか。もう萎えたのか」

バーグマンは、ブログの更新分に控えめな攻撃を加えた。

「ああ」

日記の主はエアタブレットを右手で払うとグアテマラを煽った。

ラム酒はコストパフォーマンスがよく、黒糖の甘い匂いが如何にも良い酒だ。

しかし、スパイシーな香りが強く鼻に抜ける。スパイスドラムほどではないにしろ。辛らつだ。

「済んだことだ。もう少し前向きに考えたらどうだ」

バーグマンは実直な男だ。いつも失敗したビジネスからチャンスを見つけようと嗅覚を鋭敏にする。

たいしてアンドレイは内向的で攻撃的で悲観論者だ。

「じゃあ、打って出るんだな? カルバートをあらゆる手段で徹底的に追い詰める!」

そして、彼はヒステリックで攻撃的だ。

「しねえよ。どうせ返り討ちに遭う。奴の顧問弁護士は救いの神って崇められてる」

「死刑無罪放免請負人が怖くて地獄のオンラインゲームを開発できるってか」

アンドレイは往生際が悪い。

それだけ次回作に入れ込んでいたのだ。

構想5年——彼に言わせばの話だ。実際には高校生時代のアイデアノートを先月まで塩漬けにしていた。

満を持した意欲作が世界恐慌のあおりで次から次へと発売延期になり、糊口をしのぐリリーフとしてアンドレイが抜擢された。

新たにコンセプトアートやシナリオを書き下ろす予算も時間のないまま、中二病の具体化が図られた。

桁外れの一撃になる。最後の1行をコーディングし終えた時、アンドレイの瞳は燃えていた。

「ドラゴン・イコライザー~機龍の兵帝者」は彼のノートに心酔したデザイナーたちの意欲を焚きつけ。

急場しのぎとは思えない素晴しい操作性と少女が夢見るような美麗キャラクターが暴れまわる傑作となった。


それをカルバートが奪った。


ピヨピヨと安っぽい電子音がアンドレイの傷心を逆なでした。コンペティションの席上でカルバートが配った試供品だ。

テンノウドーのポータブル端末にアルバートの魂が同梱されている。

「ワイバーンロード・ホライズンズ」

勧善懲悪そのものと戦い、善悪両方の言い分を平等に吟味して共存共栄を探る。

コロンブスの卵的な新機軸がオープニングムービーに流れている。

ただ、惜しむらくは表現が追い付いてない。のっぺりとしたポリゴンにアダルト系っぽいマダムがしなをつくっている。

カルバートはソースコードを盗み出してからコンペティションまで三日もなかったはずだ。

その間にグラフィックと音楽をでっちあげ、マスターアップまでこぎつけた実力は評価できる。

テンノウドー4Dワオ!のローンチタイトルとしては十二分に通用する。

バーグマンほど目は肥えてない親子に限っての話だが。

とまれ、アルバートとバーグマンが極秘の実行ファイル本体とプレゼンテーション動画を携えて意気揚々と到着した時、コトは始まり、すべてが終わっていた、


「ワイバーンロード・ホライズンズ! 誰も見た事のない空想郷とカッコよさを実体験してください」

ピヨピヨと気の抜けた旋律がフルオーケストラで演奏されれば、それなりにゴージャスに聞こえる。


「どういうことだってばお」

絶句するアルバートにカルバートが歩み寄った。

「悪いが、先に始めさせてもらった」

「なんなんだよ! これは」

「ああ、気に入ってくれたかい。この素晴らしい世界をお客様にいち早く届けたくてね」

「届けるって、これは俺の!」


バーグマンも開いた口が塞がらない。これから自分たちが披露しようとしている作品がそっくりそのまま俗物的なタイトルで紹介されている。

プレゼンテーションしている女の衣装も悪趣味だ。露出度で観客の目線を逸らそうとしている。

事実、誰もプロモーションビデオより短いスカートに釘付けだ。

「届けるも糞もこれはドラゴン・イコライザーじゃねーか!」

アルバートはテンノウドーを開いて見せた。そして、バーグマンが鞄から4Dワオの開発環境を取り出す。

プログラムソースも原画ファイルもテンノウドー本社のデジタル認証が埋め込まれている。つまり、お墨付きだ。

だが、カルバートは眉をひそめる。

「そうだな。これはワイバーンロード・ホライズンズのオリジナルファイルだ。どうやって盗み出した?」

「盗んだって?!」

予想外の反応にアルバートは驚きを隠せない。

「とはいっても、ここは晴れ舞台だ。君たちの醜聞で汚されてはかなわん。相応のライセンス料と慰謝料で和解してやる」

何という事だ。カルバートは図々しくも著作権を主張した。

「あ、アンタってやつは」

耳たぶの先まで真っ赤になって怒るアルバート。バーグマンはカルバートの戯言に付き合わず、粛々と知り合いの弁護士に電話していた。

それを屈強な警備員が没収する。

「もしもし? うわっ!!」

「会場内での通話はご遠慮ください」

「通話って、おい! こんな横暴が法的に…」

ドラゴン・イコライザーの作者たちは手錠で拘束され、いずこかへ連行された。

「法的に認められない。ああ、そこで僕は君たちを特別に見逃してやろうと思ったんだ。共有特許クロスライセンス契約を逆手にとって、”僕”が心血を注いだ傑作を

”丸ごと盗み”出そうとした、その矮小さを」

会場の入り口が騒然としている。重機関銃を構えた特殊部隊が到着し、玄関に警官がひしめいている。

けばけばしい雑音が二人の身柄や素性について交信している。


ラスベガスにやってきた若いIT企業家は億単位の保釈金とカルバート社に賠償を支払い、ようやく釈放された。


そして這う這うの体で機上へ逃げ込んだ。


「で、これからどーすんだよ」

アルバートはひとおおり思いの丈を吐き出したらしく、両腕を頭の後ろで組んでいる。

彼らの「アシッドアーツゲームスタジオ」はカルバートの会社に比べれば吹けば飛ぶような工房だ。

プログラマーやデザイナーを含めて二十人にも満たない。もちろん泣いて馬謖を斬った。発売中止タイトルの版権やソースコードの権利は丸ごと人手に渡った。

開発済みのドラゴン・イコライザーもだ。さらに不幸が降りかかる。アルバートは同業他社を含めたソフトハウス全般への転職を今後二十年間禁止された。

事実上の強制追放である。アルバートは子供時代からナード一筋で育っており潰しが効かない。

「どうするも何も、黒歴史を召し上げられたんじゃな」

例のノートをカルバートは手袋をしたままつまみ上げ、アルコール消毒液をたっぷりふりかけた後、抗菌ボックスに回収した。

「あんなもの、どうするんだろうな?」

「さぁ。歴史博物館にでも高値で売りつけるんじゃね?」

「んなもん、買う奴がいるかよ?」

「おま、質問に質問で返すな」

投げやりな言葉の受け渡しが険悪になっていく。

そしてついに雷鳴が轟いた。同時に機体が激しく揺れる。

キャーっと暗闇を悲鳴が裂き、ガチャガチャと物が壊れる音がする。

もう一度、乱高下したのち、唐突に照明が点いた。

「ただいま、右翼端に落雷があった模様です。運航に支障はございません。乗務員の指示があるまでシートベルト着用のままお席でお待ちください」

アテンダントが務めて冷静に装っているが、張りつめている様子が見て取れる。

「落雷だって? 墜落したらどうすんだよ。この野郎」

通路を隔てたD席の乗客が噛みついた。

「お静かに願います」

「うるせえ!」

「ひゃん☆!」

客は泥酔者らしく、よろよろと立ち上がってアテンダントのスカートを引っ張った。ファスナーが壊れる。

「おい、拙いんでね?」

バーグマンが横目で親父をにらむ。

「俺にどうしろってんだよ?」

いきなり振られてリアクションに困るアルバート。

「この展開、見覚えはないか?」

相棒は何か思い当たる点があるらしく、注意喚起している。

「急に何を…あっ!」

アルバートの検索ルーチンが関連項目を探し当てた。

「ダークブラウン卿の密会?!」

ドラゴン・イコライザーの序盤。プレイヤーキャラクターが目的も自分の素性もわからぬまま、出発点付近の森を彷徨う。

やがて日が暮れ、雷雨のなかをうらぶれた居城にたどり着く。

ちょうど、領主ダークブラウンが初夜権を行使せしめんと、近隣の村々から徴収した若い乙女を品定めしていた所にPCは飛び込んだ。

悲鳴を聞きつけて扉を蹴破ると、地元有力者のゴードンが生娘を献上しようとしていた。

「あいつはゴードンじゃねーか!」


アルバートはようやくD席の人物に気づいた。


「いや、他人の空似だろう」

バーグマンは即座に否定した。常識的に考えてゲームのシナリオと現実のシチュエーションが重なることなど山ほどある。

混乱した状況で脳がパニック状態から抜け出す糸口を探ろうとして、ヒントを記憶や過去の経験に求めているに過ぎない。

特にシミュラクラ現象と言って、人間は単純な要素を拡大解釈して全体を類推しがちだ。天井のシミが顔に見えるという奴である

D席の客の目鼻立ちが偶然、ゴードンに似ているだけの事だ。

「ゴードンだってばよ!」

アルバートと言い争っている間にふたたび揺れが襲った。

室内灯が激しく明滅し、雷鳴が窓を横切った。


その時、バーグマンは見てしまったのだ、青白い奔流にドラゴンの形相を。

ぐわっと大きな牙を彼に向けた。見開いた白目と目線があってしまった、


そして、咆哮が鼓膜を突き破った。ツーンと可聴域すれすれの高音がハッキリとしたメッセージを伴っていた。


<我、宣戦布告す>


そう言っていた。


初老のように憔悴しきった二人組が手荷物検査場を素通りしてロビーに向かう。

彼らがアルバートとバーグマンであることは長年にわたり付き合いのある親友でも一目で判断し難い。

それほどまでに異常な事件だった。玄関を出ると更なる試練が待ち構えていた。

身元保証人と名乗る男が身柄を預かるというのだ。これもカルバートの差し金らしく、有無を言わさず黒塗りのワンボックスカーに押し込まれた。

窓は金網と目張りがしてある。助手席の黒人が名乗った。当番弁護士だという。

機上の人となっている間に司法制度が随分と改悪されていて二人は公判開始までかなりの私権制限を受ける。

黒人の差し出した書類によると裁判所が指定した建物に軟禁され、出入りは監視カメラに記録される。

許可なくして外出や面会はできず、建物内の生活も選択肢が狭まる。まず、パソコンやスマホの使用は弁護士の立ち合いのもと、時間制で行われ、アクセスできるサイトも監視と検閲を受ける。

公判に影響を及ぼす情報を得たり、部外者と内密に連絡を取ることも禁じられる。

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