「望くん!」
その場に崩れ落ちた望を見て、『アルティメット・ハーヴェスト』のメンバー達の拘束から解放された花音は悲痛な声を上げる。
望はーーぐったりしたまま、微動だにしない。
「……っ」
代わりに、愛梨の喘ぐような声が聞こえてきた。
寝覚めたばかりのように薄く目を開けている。
「……愛梨」
「……お兄、ちゃん」
紘の言葉に返ってきたのは、透き通るような小さな声。
触れただけで溶けてしまいそうな、雪を彷彿させる繊細な声だった。
「目的は果たした。ギルドに戻る」
「はっ」
紘の言葉に、『アルティメット・ハーヴェスト』のメンバー達はそう答えると丁重に一礼する。
立ち去ろうとする紘の背中に向かって、花音は咄嗟に声をかけた。
「ねえ……。望くんに何をしたの?」
「彼に、魂分配(ソウル・シェア)のスキルを使ってもらっただけだ」
紘のその反応に、花音の背筋に冷たいものが走る。
意味は分かるのに、意味を成さない言葉。
花音は意を決したように、先程と同じーーだけど、別の言葉を口にした。
「望くんはどうなったの?」
「特殊スキルは、仮想世界のみならず、現実世界をも干渉する力だ。魂を分け与えたことで、愛梨としての意識がある間は、彼が目を覚ますことはない」
長い沈黙を挟んだ後で、紘は淡々と答える。
冷酷な事実に、花音は思わず感情を爆発させた。
「望くんをもとに戻して! もとに戻してよ!」
「なら、私達を止めてみるがいい。平等に、彼と彼女を取り合おう」
微笑とともに決然とした言葉を残して、紘は愛梨を抱きかかえるとその場から姿を消した。
「お兄ちゃん、望くん!」
紘とともに、『アルティメット・ハーヴェスト』のメンバー達が立ち去った後、花音は必死になって二人に呼びかけた。
思考がまるで追いつかない。
『ログアウト出来るようになるアイテム』を生成するために、初心者用ダンジョンに訪れたこと。
そこで紘達、『アルティメット・ハーヴェスト』による奇襲を受けたこと。
そして、望が使うことができる特殊スキルーー魂分配(ソウル・シェア)。
どれもあまりに突然過ぎて、現実感がまるでなかった。
「お兄ちゃん、望くん」
泣き出しそうに歪んだ花音の顔には、はっきりと絶望の色が浮かんでいた。
「私、これからどうしたらーー」
涙を浮かべた花音が、さらに疑問を口にしようとした瞬間ーー
「…………何もしなくていいぞ」
響き渡ったその声に、花音は大きく目を見開いた。
「心配するな、妹よ。俺は生きている」
「……お兄ちゃん!」
先程、使った回復アイテムの効果によって、かろうじて立ち上がった有を見て、花音は顔を輝かせる。
「妹よ、助かった」
「うん、お兄ちゃんが作った回復アイテムだもん。効果覿面だよ」
有の感謝の言葉に、涙を拭いた花音は人懐っこそうな笑みを浮かべて答えた。
「でも、お兄ちゃん。望くん、大丈夫かな?」
「とにかく、ギルドに戻るしかないな」
花音の戸惑いに、有は思案するように視線を巡らせる。
「心配するな、妹よ。望がこの程度で倒れるわけがない」
「……うん。私、望くんを信じる」
どこまでも熱く語る有をちらりと見て、花音は今も眠り続けている望の手を取り、微かに頷いた。
『なら、私達を止めてみるがいい。平等に、彼と彼女を取り合おう』
だが、最後に聞こえてきたその紘の言葉は、花音の耳にいつまでもこびりついていて、ギルドに戻っても消えることはなかった。
所は湖畔の街、マスカット。
地平線まで続く金色の麦畑を風が撫でていく。
のぞかな田園の真ん中を貫く道の奥に、有達のギルド『キャスケット』はあった。
「望くん……」
一夜明けても、望は一向に目を覚まさなかった。
ベッドに眠り続ける望の傍らで、花音は祈るようにつぶやいた。
「望くん、大丈夫だよね……」
花音の訴えに、望の返事は返ってこない。
不意に、花音は初めて、三人で『創世のアクリア』の世界へログインした日のことを思い出していた。
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