兄と妹とVRMMOゲームと

留菜マナ
留菜マナ

第八十九話 この声はずっと届かない①

公開日時: 2020年12月16日(水) 17:57
文字数:2,319

今回から夕方のみの更新になります。

時は、望が明晰夢から目覚めた後ーー『カーラ』のギルドホームで賢達と遭遇していた頃に遡る。


「ううっ……助けて……」


真っ暗な部屋の隅に、幼い少女達がうずくまって泣いていた。

小さく響く助けを求める声。

張りつめた空気が漂う中、少女達の周囲では慌ただしく研究員達が行き来している。


「お父さんとお母さんのところに帰りたい……!」

「私、女神様の器になりたくない。死にたくないよ……!」


少女達のうち、何人かが半狂乱になって悲鳴を上げる。

ここは、現実世界で選ばれた少女達が、美羅の意思を受け入れられるようにするための研究施設。

言わば、少女達は美羅の器の被験者であり、美羅の力を行使するためだけの実験体でもある。

そんな嘆き悲しむ少女達の姿を背景に、明らかに異質な声が木霊した。


「私、女神様になりたいのになれないの」


少女の声が、嗚咽に遮られ、虚空に溶ける。

艶やかな茶色の髪は肩を過ぎ、腰のあたりまで伸びている。

少女は、美羅を救世の女神として崇め、その身を捧げていた。

畏れ多くも、彼女は現実世界での『美羅の器』になれることを光栄なことだと受け続けていた。


「どうして、女神様とシンクロしてくれないの。どうして、私になることを拒むの」


歌うように言葉を紡ぐ少女は、疑問を口にしながら決して答えを求めていなかった。

求めているのは、問答というダンスのパートナー。

目の前に不可解な問いを提示されて、少女の両親は知らず思考を刺激される。


「大丈夫だ」

「そうよ、リノア」


少女の両親は申し合わせたように、調度を蹴散らすようにして久遠(くおん)リノアのそばに駆け寄ると、小柄なその身体を思いきり抱きしめた。


「……お父さん、お母さん。私、女神様に生まれ変われるの?」


『レギオン』のギルドメンバーであり、この施設の研究員でもある両親の言葉に、リノアが率直に疑問を抱いて小首を傾げる。


「ああ。リノアなら、他の候補者達を退けて、女神様の意思を引き継げる」

「賢様が、あなたの願いを叶えてくれるから」

「賢様が叶えてくれる」


力強い両親の声に、リノアの心は大きく揺さぶられた。

リノアの脳裏に、両親が語ってくれた賢の言葉が閃光のように蘇る。


「特殊スキルの使い手を手中に収めれば、全ては美羅様のお望みのままに」


今にも壊れてしまいそうなリノアの繊細な声が、賢の言葉を紡ぐ。


銀髪の姫君に忠誠を誓う騎士。

それは、あの『創世のアクリア』というゲームの世界を焼き写したような光景。


「私は、美羅様の器。私は、この世界の救世の女神」


リノアの透き通るような小さな声が、流れるように口ずさむ。

それは触れただけで溶けてしまいそうな、雪を彷彿させる繊細な声だった。


「望くん、愛梨さん。早く、美羅様を受け入れて。そして、私に賢様の願いを叶えさせて」


昏(くら)い瞳を伴い、虚ろな笑みを浮かべて言うリノアの頭を、リノアの両親は優しく撫でる。

何もかも現実味が欠けた世界で、穏やかな家族の笑顔だけが確かだった。

ほのかな部屋の灯を背景に、季節外れの雪が真っ暗な空を白く染めていたーー。






「ここは?」

「お帰りなさいませ」


望達が店内を見渡していると、NPCの店員が声をかけてくる。


「ど、どういうこと? もしかして、元の場所に戻ってきたの?」

「そうみたいだな」


花音が戸惑ったように訊くと、望は顎に手を当てて、真剣な表情で思案した。


「徹。アクアスライムは、変化以外にも別の場所に転移させる力を持っているのか?」

「……ああ。アクアスライムは、変幻自在なモンスターだ。姿を変えたりする以外にも、別の空間や座標に転移させたりすることができるんだよな」

「そうか。厄介なモンスターだな」


徹が事実を如実に語ると、望は納得したように首肯する。

だが、その直後、望の背筋に突き刺すような悪寒が走った。


「ーーっ。元の場所に戻ってきても、シンクロは続いているのか」

「の、望くん、大丈夫?」


頭を押さえる望を見て、花音は不安そうに顔を青ざめた。


「お兄ちゃん。望くん、大丈夫かな?」

「とにかく、ここから離れるしかないな」


花音の戸惑いに、有は思案するように視線を巡らせる。


「有様。電磁波の発信は、シルフィ様によって防がれていますが、『カーラ』のギルドマスターによるマスターへの干渉は今も続いています」

「望、奏良、プラネット、徹、妹よ。ここに戻ってきた以上、『カーラ』のギルドホームに再び、赴いてシンクロを妨害することは不可能だろう。あのクエストが破棄されたことを確認するためにも一度、湖畔の街、マスカットへ戻るぞ」


プラネットの思慮に、有は詮索しながらも、アイテム袋から転送アイテムを取り出す。


「なっーー」


望が思わず、驚きを口にしそうになるが、咄嗟に花音が人差し指を立てる。

ジェスチャーの意味は、『静かに』。

そのとおり、黙った望を確認すると、花音は次いで小声で囁いた。


「あのね、望くん。多分、美羅ちゃんも、望くんと同じ台詞を口にしていると思う」

「……っ」


探りを入れるような花音の言葉に、望は窮地に立たされた気分で息を詰めた。

つまり、今までの望の言葉は全て、美羅も口にしたことになる。

もし、望がマスカットのことを話してしまえば、賢達に望達のこれからの行き先を知られてしまうことになるだろう。


「ーーっ」


花音が語った衝撃の事実に、望は凍りついたように動きを止める。


「よし、望、奏良、プラネット、徹、そして妹よ、戻るぞ! ギルドへ!」

「うん!」

「まあ、目的はほぼ果たしたからな」


有の指示に、花音が頷き、奏良は渋い顔で承諾した。

望達が転送アイテムを掲げた有の傍に立つと、地面にうっすらと円の模様が刻まれる。

望達が気づいた時には視界が切り替わり、望達のギルドがある湖畔の街、マスカットの前にいた。

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