「リノア!」
勇太はリノアのもとに駆け寄ると、強引に自分の方に振り向かせる。
そして、両肩をつかんで何度も揺すった。
リノアだろうーーその言葉を飲み込んで、勇太は再度、リノアと向き合う。
「リノア……」
「「ーーっ」」
しかし、勇太の悲痛な声にも、リノアの返事は返ってこない。
望と同じく、困惑した表情を浮かべているだけだ。
「なあ、俺のことが分からないのか?」
「君は、彼女の知り合いなのか?」
「君は、私の知り合いなの?」
勇太の訴えに、望は戸惑いながらも疑問を口にした。
リノアもまた、不思議そうに同じ動作を繰り返す。
「幼なじみだろう!」
勇太は荒々しい語気でそう言い放つ。
感情を爆発させた勇太の発言に、望は虚を突かれたように瞬いた。
「そうなんだな」
「そうなの」
「ーーっ」
リノアが告げた答えは、勇太が想像していた以上に最悪の代物であった。
目の前にいるのはリノアなのに、まるでどこか得体の知れない相手と対峙しているような気分に襲われた。
望と同じリノアの表情が、どうしようもなくそれを証明する。
「彼女には、もう君のことが分からない」
「……っ」
賢の断言に、勇太は苦々しく心の中だけで同意する。
今のリノアには、もう俺のことが分からないーー。
待ち望んでいたリノアとの再会は、勇太にとって悔やんでも悔やみきれないものとなった。
最早変わり果てた姿となってしまったリノアの身を案じ、勇太は目を閉じる。
『私が美羅様になったら、もう勇太くんが知っている『私』じゃない。だから、絶交中でも、最期のお別れを言いたかったの』
勇太は不意に、あの日、リノアが浮かべた寂しげな笑みを思い出す。
リノアの笑った顔も、泣いた顔も、恥ずかしがる顔も、ふて腐れた顔も、全てが愛おしいと感じる。
今のリノアは、もう俺の知っているリノアではない。
だけど、今度こそ、リノアを守りたい。
リノアを、あいつらの思い通りにはさせない。
ただそれだけの想いが激しく勇太の心臓を打ち鳴らし、ひとかけらの冷静さをも奪い去ってしまった。
「おじさん、おばさん!」
勇太は後方に控えていたリノアの両親に視線を向けると、不安げな顔で訴える。
「リノアが、このままでもいいのか?」
「ああ、もちろんだ」
「勇太くん。リノアは、女神様の意思を引き継いだのよ」
リノアの両親の慈愛に満ちた微笑に、勇太は不意打ちを食らったように悲しみで胸が張り裂ける思いになった。
「リノアはリノアだろう! 女神様なんかじゃない!」
「勇太くん、何言っているんだ」
「そうよ。これからは、リノアのことを『美羅様』と呼ばなくてはならないわね」
端的なリノアの両親の言葉を聞きながら、勇太はリノアがこうなってしまった理由に固執する。
高位ギルド、『レギオン』。
リノアとリノアの両親が所属しているギルドであり、特殊スキルの使い手の一人を元にしたデータの集合体ーー美羅をギルドマスターとして讃えている危険なギルドだ。
押し寄せる不安の中、勇太が確信したのは、このまま手をこまねいていては、もう二度と彼女に会えな
くなってしまうということだった。
その疑念を払拭するため、勇太は必死に訴え続けた。
「なら、おじさんとおばさんは、リノアの存在を否定するのか?」
「勇太くん、リノアはもういないんだ」
「そうよ」
「……っ」
既に感情も枯れ果てたリノアの両親の言葉は、この上なく勇太の意思を突き動かした。
「世界がリノアを忘れても、俺はリノアを忘れないからな!」
「無駄だ。君の言葉は届かない」
勇太の怒声に、賢は嘲笑うように冷たく言い切った。
それでも、その機械に打ち込んだようなリノアの両親の言葉の中に、勇太は一縷の望みをかける。
「おじさんとおばさんは、リノアの大好きなお父さんとお母さんだろう! 本当のリノアのことを忘れるなよ!」
「……本当のリノア」
「大好きな……」
その言葉はーー賢の想像をはるかに越えて、リノアの両親を強く刺激した。
『……お父さん、お母さん。私、女神様に生まれ変われるように頑張るね。だから、笑って、泣かないで。私はどんな姿になっても、お父さんとお母さんの娘だから』
勇太の真剣な眼差しを見ていると、リノアの両親の脳裏に、自然とリノアの言葉が甦る。
「リノア……」
リノアの父親は蚊が鳴くような声でつぶやいて、自分の袖を強く握りしめた。
リノアと美羅様の『同化の儀式』。
それは、眼前で起こった悲劇だ。
だが、自分達はそれを喜んで受け容れた。
歪で不可解な現象。
まるで魂を直接、触られているような不快感が二人を襲う。
「リノア……。うぅ、うぁぁ……。あぁぁぁぁぁっ!」
堪えようとしても堪えきれない声が、リノアの母親の口から突いて溢れた。
顔を青ざめ、身体は小刻みに震えている。
その場に崩れ落ちたリノアの母親は嗚咽を漏らし、涙を止め処(ど)もなく流していた。
何故、私達は、大切な娘を女神様の器として差し出してしまったのだろうか?
何故、私達は、娘を生贄として差し出してしまったの?
その疑問は、リノアの両親の心に底の見えない亀裂を浸食させていく。
涙が止まらなかった。
湧き水のように溢れ出してきて、止めることができなかった。
リノアの両親は、いつまでもいつまでも自分自身を責め続けた。
「洗脳が解けたか」
「洗脳……?」
賢の指摘に、顔を上げたリノアの両親は息を呑む。
それは、美羅の器を選出するために、攫(さら)ってきた少女達の家族に施されていたものだ。
『レギオン』のギルドメンバーである自分達に、それをおこなう必要はない。
「ギルドの目的のためとはいえ、君達は娘を差し出すのを拒んできたからな。美羅様が真なる覚醒を果たすために、君達には娘を差し出すことを躊躇うことなく受け容れてもらった」
「「ーーっ」」
賢が語った真実に、リノアの両親は愕然とする。
つまり、洗脳によって、娘が器の候補者に選ばれた際の恐怖心は期待へ変えられ、不安は一気に喜びへと転化させられていたということだ。
「そんな……」
それはまるで、今まで信じてきたものが、根本から崩れ去っていくような感覚。
その途方もない絶望的な事実を目の当たりにして、リノアの両親の胸に去来するのは焦燥感だった。
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