「ねえ、望くん。明日は愛梨ちゃんの日だよね?」
ログアウトフェーズに入った望を引き止めたのは、花音の不安そうな声だった。
飛びつくような勢いで、花音は両拳を突き上げて聞いてくる。
「ああ。『創世のアクリア』のプロトタイプ版にログインしたから、愛梨の時間は元に戻っているはずだ」
「そうなんだね」
望が苦虫を噛み潰したような顔で渋ると、花音は寂しそうに俯いた。
「愛梨ちゃん、ゲーム内から突然、現実に戻ったんだよね」
「目覚めたら、びっくりしそうだな」
花音の気遣いに、望は殊更もなく同意する。
愛梨としても生きているためか、目覚めた途端、怯えて隠れる愛梨の姿が容易に想像できた。
愛梨の想いも、彼女の生前の記憶さえも、全てが自分の感情であり、記憶であるように感じている。
望にとって、愛梨は誰よりも自分に近い存在なのだろう。
「愛梨の側には、椎音紘達がいる。だから、大丈夫だ」
「うん。望くん、ありがとう」
望の励ましの言葉に、花音は嬉しそうな顔で勢いよく抱きついてきた。
反射的に抱きとめた望は、思わず目を白黒させる。
「花音?」
いつもどおりの花咲くようなーーだけど、少し泣き出してしまいそうな笑みを浮かべる花音に戸惑いとほんの少しの安堵感を感じながら、望は訊いた。
いろんな意味で混乱する望の耳元で、花音は躊躇うようにそっとささやいた。
「望くん、愛梨ちゃん、無理はしないで。私達、望くんと愛梨ちゃんを支えられるように頑張るから。すごーく頑張るからね」
花音の包み込むような温かい言葉が、望の心に積もっていた不安を散らしていった。
「花音、ありがとうな」
「うん」
花咲くように笑う花音の姿を、望はどこか眩しそうに見つめた。
「……っ」
一夜明けたことで、愛梨は自分の部屋のベッドで目覚めた。
先程まで、ゲームの中にいたはずなのに、いつの間にか、自分の部屋のベッドで眠っている。
「私の、部屋?」
愛梨のその声音は弱々しく、あまりにも脆い。
まるで、ここに存在していること自体に恐怖しているようだ。
無意識のうちに、現実世界と仮想世界を行き来する。
まるで瞬間移動してしまったような状況に、愛梨は記憶が混雑したように頭を抱えたーーその時だった。
「愛梨、目を覚ましたのか?」
「ーーーーーーっ!」
唐突に響いた少年の声とドアが開く音に、愛梨は声にならない悲鳴を上げる。
「よお、愛梨、おはよう!」
「…………っ」
徹の気楽な振る舞いに、寝間着姿の愛梨は怯えたように部屋の隅に隠れた。
「そうやってすぐ隠れるところは、いつまでも変わらないな」
「徹。愛梨を驚かせるな」
徹が陽気な声で言うと、後から部屋に入ってきた紘は不服そうに眉をひそめる。
紘の姿を見て、愛梨はゆっくりと歩み寄ると躊躇うように口を開いた。
「……お兄ちゃん。今日は、一緒に登校できるの?」
「問題ない。今日は、夕方まで用事はないからな」
表情を曇らせる妹の頭を、紘は全てを察しているように穏やかな表情で優しく撫でる。
紘の優しい眼差しに、愛梨は蕾が綻ぶように柔らかく微笑んだ。
「俺も大丈夫だからな!」
「……う、うん」
徹がここぞとばかりに口を挟むと、愛梨は掠れた声でつぶやいた。
「愛梨。外が大変なことになっているけれど、大丈夫か?」
「……不安」
愛梨は徹から顔を背け、恥じらうように胸に手を当てる。
「愛梨のことは、先生やクラスメイト達に『守ってくれるように頼んでいる』。怯える必要はない」
「……うん」
紘の意味深な言葉に、愛梨は噛みしめるようにそう答えた。
愛梨達が住む住宅街は、街並み自体はさほど変わっていない。
今日も大勢の人で賑わい、人々の行き来も激しかった。
だが、美羅の特殊スキルが発動されてから、明らかに異質な行動をする人の姿を見かけるようになっていた。
「美羅様……」
通学途中で、愛梨と同じ年頃の少女は目を閉じ、手を合わせた。
周りの人々も、美羅に対して訥々と祈り始める。
愛梨の部屋の窓から見える景色には、今日も美羅を敬う人々によって溢れ返っていた。
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