紘達は街の雑踏をかき分けて、駅へと足を運ぶ。
やがて、密集するように家が立ち並ぶ住宅街から、次第に桜の木と欄干に挟まれた遊歩道の道筋が広がる長閑な景色へと移り変わる。
木々生い茂る噴水広場の周りを、魚達の群れがゆったりと泳いでいた。
いつもと変わらぬ穏やかな風景。
しかし、周囲の様子は明らかに平常とは異なっていた。
「美羅様……」
通勤途中で、サラリーマン風の男性は目を閉じ、手を合わせた。
周りの人々も、美羅に対して訥々と祈り始める。
「怖い……」
紘の背後に隠れていた愛梨は、その異常な光景に怯えるようにして俯いていた。
不安そうに揺れる瞳は儚げで、震えを抑えるように胸に手を添える姿はいじらしかった。
望ならまず見せない気弱な姿に、紘は優しく微笑んだ。
「愛梨、心配することはない。私達がそばにいる」
「帰りも、一緒についていてやるからな」
「うん……」
紘と徹は、肩を震わせる愛梨を気遣って、一緒に並んで歩いていく。
小鳥と待ち合わせしている駅に着いた紘達は、愛梨を連れ添って、足早に人込みの中を歩き、駅の電光板の時刻に目をやった。
見れば、小鳥が来る三分前だった。
「何とか間に合ったな」
ギリギリではあったが、とりあえず間に合ったことに、徹は安心する。
「すごい……」
いつもとは違う朝方の駅の喧騒に、愛梨は息を呑み、驚きを滲ませた。
「美羅様による理想の世界ではーー」
駅前で行われている、美羅に関する演説会。
政治家が声を露わにして、大袈裟な動きで演説を始める。
内容は、美羅であるリノアがいつ目覚めるのか、そして今後の美羅による神託のスケジュールについてだ。
「「美羅様!」」
会場の前には、人だかりができ、時折拍手喝采が上がっている。
ビルに備えられた巨大なデジタルサイネージでは、この世界の今後の成り行きが表示されていた。
美羅のご加護によって、移住や食糧、必要な生活用品などはどの人々にも安定供給され、病気や事故もなくなり、そして、紛争や天災などさえも起こることはない。
『レギオン』と『カーラ』のギルドマスターの明晰夢の力で、どの人々も自身の夢を叶えることができ、なりたい職業に就くことができる。
それは、美羅の神託を聞き続ける限り、自身の夢だけを邁進することも可能な世界。
そんな理想の世界が広がったことで、全ての人々は穏やかな平和を享受することが可能になる。
それはかって、かなめが、望に見せた明晰夢の内容そのものだった。
「私の力も完璧ではない。同じ特殊スキルの使い手の力が働けば、それを覆されてしまうこともある」
紘は神妙な面持ちで、デジタルサイネージを眺める。
紘達の苦悩も虚しく、美羅の特殊スキルの力はあっという間に世界中へと広まっていた。
「美羅の特殊スキルは、全ての人々にご加護を与え、一部の者達に神のごとき力ーー『明晰夢』を授ける力か。紘の特殊スキルさえも覆す力。厄介だな」
徹は瞬きを繰り返しながら、賢達が語った美羅の特殊スキルの内容を思い出してつぶやいた。
やがて、待ち合わせの時間を告げるアナウンスが辺りに聞こえる。
「そろそろ、来る頃合いだな」
「愛梨!」
徹がそう言った矢先、不意に少女の声が聞こえた。
声がした方向に振り向くと、少しばかり離れたコンビニで、ポニーテールの少女が愛梨達の姿を見とめて何気なく手を振っている。
愛梨達の元へと駆けよってきた少女が、柔らかな笑顔で言った。
「愛梨、おはよう」
「おはよう……」
少女が気兼ねなく挨拶すると、愛梨は戸惑いながらも応える。
愛梨の友人、木花小鳥だ。
「愛梨、無理はするなよな。何かあったら、すぐに携帯端末で知らせろよ」
「……うん」
徹の配慮に、愛梨は小さく頷いた。
「それにしても、世界が異常な方向へ突き進んでいるな」
徹はそう言って空笑いを響かせると、ほんの一瞬、複雑そうな表情を浮かべる。
心細そうな愛梨のもとまで歩み寄ると、紘は優しく微笑んだ。
「愛梨、大丈夫だ」
「……うん」
愛梨は寂しげにそう口を開いた後、何かを訴えかけるように自分の胸に手を当てる。
そのタイミングで、小鳥は誇らしげに言った。
「愛梨のお兄さん、心配しないで下さい。愛梨は、私達が絶対に守りますから。『レギオン』と『カーラ』に関する人達から、愛梨を守ってみせます」
「どうして、『レギオン』と『カーラ』を知っているの……?」
「えっ? そ、それはーー」
愛梨の指摘に目を見張り、息を呑んだ小鳥は、明確に言葉に詰まらせた後ーー
「愛梨を守る。それが、私達に課せられた使命だからだよ」
胸に手を当てて穏やかな表情を浮かべる。
まるで、それが当たり前のことのように、小鳥は告げたーー。
「使命?」
愛梨は不思議そうに小首を傾げる。
「ああ。二度と、愛梨を死なせるわけにはいかない。そのためなら、私は何でもする」
「お兄ちゃん」
紘の感情のこもった言葉。
だけど、ただ事実を紡いだだけの言葉。
愛梨の心を読み、その先を推測するような受け答えに、愛梨は強い懐かしさを覚える。
私が困っていた時、苦しんでいた時、いつもお兄ちゃんが助けてくれた。
特殊スキルを使って、守ってくれた。
否応なしに思い出す記憶を支えに、愛梨は紘を見上げる。
「愛梨のことは、先生やクラスメイト達に『守ってくれるように頼んでいる』。そこには、美羅の力も及ばない」
曖昧だった紘の言葉に与えられる具体的な形。
違和感を感じることに、違和感があるようなメタ構造を持った疑問。
不可解で不自然な現象。
それは紘の特殊スキル、『強制同調(エーテリオン)』によってもたらされたものだった。
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