「そんな……嘘だ……。ハルツキが歴史を正す役……? そんなの、嘘だ……」
ユーレイ社長の言葉のどこがそんなにショックだったのか班長はすっかり顔面蒼白になっていて、その狼狽えようは可哀想なほどだった。
しかし今の俺には、班長の精神状態より優先すべきことがある。
「俺には今あなたが言ったことの意味がよく分からなかったんですが、ちゃんと説明はしてもらえるんですよね?」
「もちろんだとも。さて、何から話したものかな? とりあえずは君がさっき気にしていた、なぜそんな学名のつけ方がされているのか、というところから説明しようか。理由は簡単さ。ホモ・サピエンスだとかホモ・ネアンデルターレンシスだとか、そういう学名をつけたのがホモ・サピエンスだからだよ。なにも学名に限った話じゃあない。『日本』や『六甲』のような地名、RRE法のような科学技術、エトセトラ、エトセトラ――そうした今の現生人類が持つもののほとんど全てが、ホモ・サピエンスが作り上げた文明からの借り物なのさ」
「ちょっと待ってください。ホモ・サピエンスは二十万年も前に絶滅したんですよね? その時点で既にそんな文明を持っていたっていうんですか? そんな高度な文明があったのなら、何で絶滅したんです?」
「ああ、これは誤解を招く言い方をしたね。ホモ・サピエンスが作り上げた文明とは言ったけれど、それは今回の歴史のホモ・サピエンスの話じゃあないんだよ。今回の歴史におけるホモ・サピエンスは、文明らしい文明など持たない原始人のまま絶滅したからね」
「さっきから『歴史の復元力』だの『今回の歴史』だのと意味のよく分からない言葉がちょくちょく出てくるんですが、そこもちゃんと説明があるんですよね? もったいぶってるんですか?」
「悪い悪い。確かに、ちょっともったいぶっていた面はあるかもしれないね」
口では悪い悪いと言いつつも、ユーレイ社長の態度には少しも悪びれる様子が無い。
「じゃあ、事の始まりから全部説明しようか。君はさっき、君達が教わってきた歴史は大嘘だったと言ったね? だけど、あれはあれでべつに嘘というわけじゃあない。実際にそういう歴史をたどった世界もかつてあったのさ。君達が教えられた通り、ホモ・サピエンスがホモ属唯一の種となり、文明を発展させ、この星の覇権を握った世界がね。そしてその世界においてホモ・サピエンスが生み出したものの一つが、過去や未来に行くことができる装置だ。平たく言えば、タイムマシンさ。なんでも、高速で動いている物や強い重力がかかっている物は時間の流れが遅くなるという原理を応用しているそうだけど、詳しい部分は今の人類の理解が及ぶ範囲ではないみたいだね」
「タイムマシンの中だけ時間の流れを遅くできれば、タイムマシン内で一秒経つ間に外では何百年だか何千年だか時間が進む。だからタイムマシンから出るとそこは未来、みたいな感じですか」
「そうそう。飲み込みが早くて助かるよ」
「しかしその原理だと、未来には行けても過去には行けないでしょう」
「ハルツキ君、君は時間というものが、直線のようにどこまでも真っ直ぐ進んでいくものだと思っているようだね。だけどそれは違うのさ。時間はね、一周するとやり直すんだよ。この宇宙の歴史を、最初からね。だから、宇宙の歴史まるまる一周分マイナス一日だけ先の未来に行けばそこは昨日だし、まるまる一周分マイナス一年だけ先の未来に行けばそこは去年だ。もっとも、それは次の周の歴史における昨日であり、去年だけどね。ともかく、そういう方法を使って、前回の歴史における未来から今回の歴史における二十万年前のアフリカにやってきた者がいたのさ。そしてそいつは、今回の歴史におけるホモ・サピエンスの絶滅を引き起こした」
「いや、ちょっと待ってください」
俺はそこでストップをかけた。
「仮に時間というものが、俺がなんとなく思っていたように過去から未来へと直線状に進むのではなく円のように一周回ったら最初に戻ってくるものなのだとすれば、確かにそうやって過去に行くこともできるのかもしれません。でも未来のホモ・サピエンスがそうやって過去に行って、そこで自分達の祖先を絶滅させてしまったとしたら、そこでタイムパラドックスが生じやしませんか?」
「これは私の説明が不十分だったね。一周するとやり直すとは言ったけれど、時間というのは円のように全く同じところをぐるぐる回っているわけじゃあない。ある方向から見れば同じところを回ってはいるけれど、別の方向から見れば進み続けているのさ。螺旋階段とか縦に置いたコイルのようなものを想像してくれたら良いかな。ああいったものは、上から見ると、一周回りきった時には出発点と同じ位置に戻っている。でも横から見た時は、そうじゃないよね? 一周回ったら、違う高さの位置にある。歴史もそれと同じでね。見ようによっては確かに同じ歴史をぐるぐると繰り返しているように見えるのだけれど、別の見方をすれば、前の周の歴史と次の周の歴史は同一の時間上にはないことが分かる。だから、前回の歴史の未来からやって来た者によって歴史が改変されても、いわゆるタイムパラドックスは起こらないのさ」
「なぜなら、それで改変されるのはあくまでもこの周の歴史であって、改変者を生み出した前の周の歴史はそのままだからだ――と?」
ユーレイ社長はうなずいた。
「そういうことだね」
「それにしても、そのホモ・サピエンスはなんでわざわざ前回の歴史の未来から今回の歴史にやって来て同族を絶滅させたりしたんです?」
俺の質問に対し、ユーレイ社長は肩をすくめて見せた。
「そいつが歴史を変えるつもりで過去にやってきたらしいというのは確かだけど、ホモ・サピエンスを絶滅させた理由までは分かってないんだよ。思想的な理由で同族を絶滅させたかったという説を唱える人もいるけど、一番有力な説はホモ・サピエンスを絶滅させるつもりはなかったんじゃないかというものだね。つまり、絶滅は意図的なものではなく、単なるうっかりで結果的に引き起こされてしまった」
「うっかりで絶滅まで起こりますか?」
「未来からやってきたホモ・サピエンスには、未来の細菌やウイルスが付着しているだろうからね。未来のホモ・サピエンスにとっては大した危険の無い病原体でも、それに対する免疫を持たない二十万年前のホモ・サピエンスにとっては致命的ということは十分にあり得る。ヨーロッパ人によって新大陸に天然痘が持ち込まれた時のように、数多くの犠牲者が出たとしてもおかしくはないだろうさ。それに二十万年前といえば、ホモ・サピエンスは誕生したばかりでまだまだ数も少ないからね。現代の人口から考えればなんてことない数の犠牲でも、個体数の回復が不可能なほどの打撃になり得るよ」
「もし本当にそんな風にして同族を絶滅させてしまったんだとしたら、間抜けすぎやしませんか? タイムマシンを作れるほどに文明を発達させてたんでしょ、前回の歴史のホモ・サピエンスは」
「作った人間が賢くても、使う人間がどうしようもない馬鹿ってことはあるだろうさ。どんな道具でもね」
ユーレイ社長はそう言って苦笑した。
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