「確かにメインコントロールルームは敵に押さえられているようだ。母のあの話し方、あれは誰かに脅されているとみて間違いない」
ハンナ・カウフマン研究統括部長との通話終了後、ミナ班長は確信ありげな顔でそう言った。俺には班長達が親子喧嘩をしているようにしか聞こえなかったが、二人にだけ通じる何かがあったのだろう。
それにしても、敵がどういう勢力で何が目的なのかが見えないのがどうにも不気味だ。輪読会内のプランA反対派という線も考えたが、そうだとすると普賢の管理権限を奪おうとしたのが解せない。そんな風に無理やり権限を奪おうとしてもうまくいかず、ジーランディアシステムを発動させてしまうだけであることは彼らなら間違いなく知っているだろうからだ。
それとも、本気で管理権限を奪うつもりはなく、ジーランディアシステムを発動させて島を沈めること自体が目的だったのだろうか。しかしそこまで島を沈めたがっているのなら、さっき白髪の男が一席ぶって状況次第ではジーランディアシステムを停止させようと提案した時にもっと抵抗する方が自然ではないだろうか。
これはなんとなくの感触だが、今の状況はプランA反対派も含めた輪読会の全員にとって不測の事態であるように見えた。
もう一つ言うなら、ジーランディアシステムの発動自体が目的であった場合、発動後に追加でフトゥロスを脱走させたりする意味も分からない。
俺はフトゥロス二十五頭が脱走した正確な時刻は知らないが、俺がそれに気づいた時点でまだ二十五頭全てがサイトB付近にいたことを考えると、ジーランディアシステムの発動よりは後だと考えた方が自然だ。
そういえば、その脱走したフトゥロスは今どこにいるのか。深く考えず地上に出てきてしまったが、万が一この付近にいたりすると危険だ。
「メガネウラ、登録済み飼育区画外にいるA+級特定危険古生物の位置情報を表示」
『登録済み飼育区画外にいるA+級特定危険古生物の位置情報を表示します』
情報端末に表示されたマップを見ると、幸いにしてこの近辺にはいないようだった。二十五頭が一丸となって移動して……いや、違う。よく数えると、二十六頭だ。残りの一頭はいったいどこから来たのか。
最も可能性が高いのは、最初に脱走した五頭のうちの最後の一頭、タグの追跡ができない地下空間に逃げ込んでいたヒョウ型だろう。地下空間の出入り口は全て封鎖してあるはずだが、どこかが突破されたのかもしれない。
気になる点はもう一つあった。
フトゥロス達の移動速度が、妙に速いのだ。スピード特化のヒョウ型ならこのくらいのスピードを出すのは余裕かもしれないが、足の遅いセンザンコウ型はもちろん、クマ型にもこの速度で走り続けることは不可能だろう。しかし二十六頭全てがヒョウ型というのは、それはそれで不自然なように思える。
訝しく思いながらマップ上を移動していく『A+』の表示を睨んでいるうちに、あることに気がついた。移動経路が、新六甲島全土を巡る列車〝新六甲ライナー〟の線路と完全に一致しているのだ。
「まさか、新六甲ライナーに乗って移動しているのか……?」
もしそうなら、二十六頭全てが同じスピードで移動できていることにも説明がつく。さすがにフトゥロスが自分でライナーを運転しているということはないだろうが、メインコントロールルームを制圧してフトゥロスを逃がした人間がいる以上、そいつの仲間が何らかの目的をもってライナーでフトゥロスを輸送しているというのはあり得る。
俺は今の考えを、ユーレイ社長と班長に話した。
「ライナーを使ってフトゥロスを輸送……? いったい何のために、どこに輸送するつもりなんだ」
班長は例によって例のごとく眉間に皺を寄せている。
「何のためにかはともかく、どこにという点について言うなら、このままずっと進み続けると本土と島とを繋ぐ橋に到達するよね。最悪、フトゥロスを日本本土に逃がすつもりなのかもしれないねぇ」
そう答えたのは、ユーレイ社長だった。
「あそこから本土に? 待ってください、そんなことが可能なんですか?」
確かに新六甲ライナーは、本土と新六甲島の往来にも使われてはいるが……。
「メインコントロールルームを押さえているのならそこで橋の制御もできるし、例えそれができなかったとしてもフトゥロスの身体能力なら不可能とは言えないだろうね」
広い本土に逃げられてしまったら、フトゥロスの駆除は格段に困難になる。そしてそれ以前に、俺達がフトゥロスを追って本土に渡ること自体が許されないだろう。
つまり本土に逃げられた時点で、ジーランディアシステム停止のための条件の一つ『脱走したフトゥロス全ての駆除』は事実上不可能になる。
「ライナーを止める方法は?」
「あれはいったん走り出したら自動運転だけど、発車や停車の指示を出すパネルはライナー自体の運転室にある。ただ、メインコントロールルームからなら遠隔操作もできたはずだよ」
「ちなみになんですが、メインコントロールルームの代わりにすぐ下にある普賢のコントロールルームから遠隔操作することはできないんですか? 確か、NInGen社のメインコンピューターは普賢って話だったと思いますけど」
一縷の望みをかけて尋ねてみたが、ユーレイ社長はあっさりと首を左右に振った。
「それは無理だよ。普賢は歴史の復元力の影響を検知して対抗措置を弾き出すための演算にかかりきりで、それだって追いついてないくらいだからね。自分達が本当はネアンデルタール人なのだと認識している人間が集まっているこの島は、『認識の差異』に誘発されて歴史の復元力が集中する、いわば特異点なんで仕方ないことなんだけどさ。そういうわけでライナーの制御みたいな言ってみれば俗事に関しては、普賢を介して制御させる場合を想定した設計にはなっていないんだよ」
あれだけサピエンスを危険視していながら、そのサピエンスがいるこの島に普賢を設置しているのは妙だと思っていたが、その理由がようやく分かった。現場で迅速に情報を集めなくては、いくら普賢でも対応が追いつかないのだろう。
しかしこれはどうしたものか。
こちらからすると、攻撃目標が二つに分散している。
メインコントロールルームと、ライナーで移動中のフトゥロス二十六頭。問題は、どちらを優先目標とすべきかだ。
とにかくフトゥロスが本土に逃げてしまうことだけは絶対に避けなくてはならない。そのためには、とにかくフトゥロスへの攻撃を最優先にするべきか。それとも急がば回れでまずはメインコントロールルームを押さえ、そこからライナーを強制停止させてフトゥロスの移動にストップをかけた上で攻撃に移るべきか。
「俺はメインコントロールルームにどういう機能があるのかをよく知らないんですが」
俺はユーレイ社長に向けて尋ねた。
「仮にそっちの敵をそのまま放置して直接フトゥロスを叩きに行った場合、メインコントロールルームからは何か妨害ができたりしますか?」
「そうだねぇ。まあパッと思いつくだけでも、危険古生物のタグ追跡システムを停止させてフトゥロスの現在位置を分からなくしたり、端末間の通信を遮断してこちらの連携を絶ったりするくらいのことはできるかな。逆に、あえて通信を許してその内容を盗み聞きすることで、こちらの作戦を把握してその裏をかこうとしてくるっていうのもあり得るね」
情報端末間の通信内容がだだ漏れとなると、たとえ通信が遮断されなかったとしても、こちらとしてはうかつに端末で連絡をとるわけにはいかなくなる。そういった連携に難のある状況下で更にフトゥロス側の位置情報まで分からなくなったりすれば、下手すると返り討ちでこちらが全滅する可能性だってあるだろう。なにせ連携もタグ追跡も万全の状態ですら、たった五頭相手にあれだけ苦戦したのだ。
となると、やはりメインコントロールルームを放置しておくわけにはいかなさそうだ。
「それじゃあ、こうしましょう。今から班長は、ここから一番近い警備部門の部隊のところに行ってください。で、その人達といっしょにメインコントロールルームを奪還する。一箇所にいる部隊だけでは足りなさそうだったら何カ所かまわってかき集めても良いですけど、くれぐれも敵にこちらの動きを察知されるような通信は避けてくださいよ」
「いやいや、ちょっと待て、ハルツキ」
班長が顔に焦りを滲ませる。
「仮に私が警備部門の人間が集まってるところに行ったとしてだな。そこで『上からの指示は嘘だ、なぜならメインコントロールルームが敵に占拠されてるから。敵が誰かは知らないけど、ともかくその敵からメインコントロールルームを取り戻すため本社に攻め込むぞ』なんてことを私が言ったところで、誰が信じてくれるんだよ」
「しっかりしてくださいよ、班長。そのためにこの便利アイテムがあるんでしょうに」
俺は親指でユーレイ社長を指さした。
「案山子の次は便利アイテム? 人を物扱いは良くないと思うな!」
ユーレイ社長が横から抗議してきたが、無視して話を進める。
「腐っても、いや腐り果てても社長ですからね。さすがに社長の顔は皆知ってるでしょうし、社長命令とあらば従わざるを得ないですよ」
「なんで『果てても』って言い直したんだい……? 社長なのに扱いがどんどん雑になってて、私は悲しいよ。社長、泣いちゃう」
ユーレイ社長は今度は泣き真似を始めたが、それも無視して話を進める。
「その間、俺はフトゥロスが島から逃げ出さないよう足止めしておきます。メインコントロールルームを奪い返したら、すぐに島の全実戦部隊に連絡をとって援軍をよこしてください」
「足止めって……お前まさか二十頭以上のフトゥロス相手に一人で戦うつもりか!?」
班長はぎょっとした顔で問いかけてくる。
「時間稼ぎをするだけですよ。無茶をするつもりはないんで、班長はこちらを気にせず自分のやるべきことに専念してください。まあ、できるだけ早く増援をよこしてくれたらありがたいですけどね」
そう答えてから俺は、せいぜい不敵に見えるよう表情を作って一言つけ加えた。
「A+級に、S級のたちの悪さってやつを思い知らせてやりますよ」
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