新六甲島を震撼させたあの事件から、三日が過ぎた。
あの日、脱走したフトゥロス達はその全てが仕留められ、事件は無事終焉を迎えた。輪読会が果たして約束を守るのかについては内心不安もあったのだが、結局その不安は杞憂に終わり、島の沈没もまた避けられた。
サイトBには脱走しなかったフトゥロスがまだ何頭か残っているが、それらをどうするかについてはまだ決定されていない。
そしてツツジは、あれ以来見つかっていない。班長いわく、ツツジの体に埋め込まれたタグの追跡記録では、あのまま海に沈んでそれっきり反応が途絶えているとのことだった。
電波の届かない深い海ではタグの位置追跡はできないが、たとえ島から離れた場所だったとしても浮かび上がってくれば検知されないはずはないから、今も海底のどこかで眠っているのだろうと上では判断しているらしい。
「後のことはよろしく、か。まったく、勝手な奴だ」
壁にもたれかかり、橋で拾ったものを手の中で転がしながら、俺は独りごちる。そんな俺の袖を、隣に座っていたパックが引っ張った。どうしたんだと思ってそちらに目を向けると、ミナ班長がこちらへやって来るところだった。
「ハルツキ、そろそろ時間だ。行くぞ」
「あー、もうそんな時間ですか。俺としては、それこそ『どうも気が進まないな』なんですけどね」
俺が皮肉っぽくそう言うのを聞いて、班長は苦笑した。
「そう言うな。直々の御指名だぞ」
「だからこそ気が進まないんですよ」
よっこらせっと年寄りじみたかけ声をあげながら、もたれかかっていた壁から背を離す。
「それにしても、お前は本当にここがお気に入りだな」
班長は俺の正面にある檻に目を遣りながら、そう言った。
「まあ、今回はこいつのおかげで命拾いしましたしね」
檻の中では、あの巨大なティラノサウルスが腹ばいになって気持ち良さそうに昼寝をしている。
事件の収束後、この恐竜は自発的にここへと戻ってきた。決まったねぐらで寝る習性があるため、もう一度閉じ込められることになるとも知らず戻って来たのだろうという推測は成り立つ。
だが俺には、このティラノサウルスが自分の役割を果たすためにここを出て、それを終えたから戻って来たような気がしてならなかった。
こいつがライナーの前に立ち塞がらなければ、フトゥロス達は島からの脱走に成功していたかもしれない。
そして、対峙するミナ班長とミキの前に現われなければ、班長はミキを見逃してしまっていたかもしれない。
古生物の多くが飼育区画のロック解除に気づかなかった中、このティラノサウルスが脱走したことも、その後でライナーの前に立ち塞がったことも、そして班長とミキの前に現れたことも、全部起こり得ないことではない。
だが、それら全てが起こる確率は極めて低いはずだった。
このティラノサウルスの一連の行動はフトゥロス達にとって、起こり得なくはないが起こる確率は極めて低い不運だったのだ。そして、そういうものの存在を、俺は知っている。ヒトウドンコ病をはじめとした、歴史の復元力による災厄だ。
このティラノサウルスは、それらと同じ役割を与えられていたのではないだろうか。
班長から聞いた、ミキの最期の言葉を思い出す。
『私達は、お前達に負けたわけじゃない』
多分きっと、その通りなのだろう。
ネアンデルタール人達は本来の歴史において既に絶滅している古生物だが、ミキ達フトゥロスに至っては、本来の歴史では一瞬たりとも存在していない生物種だ。歴史の復元力が、ネアンデルタール人達に対するものよりも更に強い力で彼らを排除しようとしたとしてもおかしくはない。
小さな人工島に隔離され歴史の流れに影響を与えることなく存在していた間は見逃されても、広い世界へと飛び出し歴史を動かそうとすることは、歴史そのものが許さなかったのだろう。
A+級特定危険古生物、ホモ・フトゥロス。コードネーム〝挑戦者〟。
彼らはその名の通り、本来の歴史に対して果敢に挑み、戦い……そして、敗れて散っていったのだ。
歴史に与えられた役割を拒絶した以上、次にそうなるのは俺なのかもしれない。
おまけに、厄介なのは歴史の復元力だけではないのだ。輪読会だって、いつ掌を返してまた俺達を島ごと沈めようとしてくるか分かったものではない。
「ハルツキ……?」
ぼんやりとしたまま動こうとしない俺を怪訝に思ったのか、班長が心配そうな表情で声をかけてきた。
そんな班長の顔をしげしげと眺める。
もしかすると、本来の歴史に逆らった俺には悲惨な未来が待ち受けていて、その時になって選択を間違ったと後悔するのかもしれない。
それでも、一つ言えることがある。
もし本来の歴史に従い、班長達ネアンデルタール人を絶滅させる未来を選んでいたら、『かもしれない』ではなく『間違いなく』後悔していただろうということだ。
だから何度歴史をやり直したとしても、たとえ間違いだったとしても、俺はきっとこの道を選び、進むに違いないのだ。
「……いえ、何でもありません。行きましょう」
俺は手に持っていたものを上着のポケットに突っ込むと、班長が待つ方へと一歩を踏み出した。
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