NInGen社の元社長マリオン・ユーレイは、本社メインビルディング屋上のヘリポートで一人待っていた。
新六甲島において航空機の使用は厳しく制限されており、このヘリポートも実際に使われているのは一度も見たことが無い。しかしさすがに元社長が島を立つとあっては、例外的に許可が下りたのだろう。
もっとも、当の送迎ヘリの姿はまだどこにも見当たらない。
「遅い遅い。社長を待たせるなんてどうかしてるよ、君達」
ミナ班長は「申し訳ありません」と素直に謝ったが、俺はこの男に対してそんな殊勝な態度をとる気分にはなれなかった。
「気が進まないのに見送りに来てあげただけでも感謝してくださいよ。それに、もう元社長でしょう」
ユーレイの後任となる新社長には、なんとハンナ・カウフマン元研究統括部長が返り咲いた。不祥事の責を負って社長が辞任したというのに、その後釜に座るのがかつて同様に引責辞任した元社長というのは、通常であれば考えられないことだ。
それでもこうなったのには、理由がある。今回の事件を引き起こした第ゼロ班班長アルベルト・ベルンシュタインの自宅から、輪読会の反プランA派――少なくともその一部――が裏で糸を引いていた証拠が見つかったのだ。
しかもそれらの証拠を元に進められた調査により、ハンナ・カウフマン社長が責任を取らされた十年前の事件も裏で仕組んだのは同じグループであったことが明らかになった。
輪読会内ではこの点を追及された反プランA派の勢力が急速に弱まり、また十年前の事件でハンナ・カウフマンを引責辞任させたのは間違っていたのではないかという意見が大勢を占めるようになったため、彼女はみごと社長に返り咲いたというわけである。
ベルンシュタイン本人が生きていれば、あるいはそうした証拠を隠滅し、自分一人で罪を被ったのかもしれない。だが、重傷を負った状態で無理を押してミキの亡骸をその兄のもとへと運んだ彼は、自らに課したその最後の仕事を全うしたところで力尽き、そのまま息を引き取ったという。
そのような無茶をしなければあるいは一命を取り留めていたかもしれないとのことだったが、俺はなんとなく、ベルンシュタイン自身はそれを望まなかったのではないかと思う。
「ああ、そう言えばそうだね。もう元社長だった。どうでも良いことだから、忘れていたよ」
ユーレイ元社長は軽い調子でそう言ったが、普賢のコントロールルームへミキを引き入れた上に島の真実を俺に話してしまったこの男を、輪読会が単なる社長の辞任だけで済ませるとは思えなかった。
恐らく島を去った後には厳しい査問が待っているはずで、下手すれば投獄、最悪の場合は処刑などということもあり得るかもしれない。
それにも関わらずいつもの如く掴み所の無い飄々とした笑みを浮かべているこの男が、俺はやはり気に入らなかった。
立場は違えど、イエナオさんも、ベルンシュタインも、そしてミキ達フトゥロスも、自らが求める未来を賭けて精一杯生きた。ミナ班長やカウフマン新社長だってそうしている。
この島においてマリオン・ユーレイただ一人が、一貫してどこか他人事のような態度を崩さなかった。
「結局、最初から最後まで観客気取りなんですね、あなたは」
棘を隠さない俺の言葉を受けて、ユーレイ元社長は苦笑した。
「心外だなぁ。べつに私も最初から観客気取りのつもりで来たというわけじゃあないんだけど」
「だったら、最初はいったいどういうつもりで来たっていうんです?」
ちょうどそのタイミングで、班長が「すみません、母から緊急の連絡が入りまして」と断り、この場を離れた。ユーレイ元社長はそんな班長を一瞬だけ目で追った後、すぐにこちらに視線を戻して口を開いた。
「どういうつもりで来たか、ね。いや、実は身内にどうしようもない馬鹿がいてさ」
「はあ……?」
唐突に何を言い出すんだこいつはと思う一方で、『どうしようもない馬鹿』という言葉が頭の片隅に引っ掛かる。以前にも、この男が同じ言葉を使うのを聞いたことがあるような気がした。
いったい誰を評して使った言葉だったかと考え込む俺に頓着せず、ユーレイ元社長は話を続ける。
「どういうつもりで来たのかと言えば、元々はその馬鹿の不始末の後始末をするつもりだったんだよ。だけど君達を見てるうちに気が変わってね。手出しはせず成り行きを見守ることにしたのさ。でもそうしたら今度は君に、すぐ隣で見物するのは悪趣味だと叱られてしまったからね。反省して今後は君の言う通り、君達の視界に入らないところで見物させてもらうことにするよ」
唐突に俺は、先ほどの言葉をどういう文脈で聞いたのかを思い出した。そしてそれが意味するところを理解し、唖然とする。
「どうしようもない馬鹿が身内って……あんた、まさか……」
その時、少し離れたところで通話している班長の声が風に流されて聞こえてきた。
「えっ、輪読会の迎えが来ているのに、ユーレイ元社長が指定した駅に来ない? いえ、ユーレイ元社長なら今ここに……」
班長は通話を続けつつ、困惑した表情をこちらへと向ける。そんな班長の様子をちらりと横目で見てから、ユーレイ元社長はにやりと笑った。
「おっと、そろそろ潮時のようだね。わざわざ迎えに来てくれた人達には悪いけど、私はこのあたりで舞台裏に引っ込ませてもらうよ」
そしてユーレイ元社長は、これが自分流の別れの挨拶だとばかりに芝居がかった仕草で被っていたパナマ帽を取って持ち上げた。
「この歴史を動かすべき主役は君達だ。一介の生物が〝本来の歴史〟にどこまで抗えるのか――今回の人類諸君、君らの意地を見せてくれ」
次の瞬間、まるで最初からそこには誰もいなかったかのように、ユーレイ元社長の姿は消失していた。
「えっ……今、消え……!? なっ、何がどうなった!? 元社長はどこ行った!?」
慌てて駆け寄ってきた班長が、つい先ほどまでユーレイ元社長がいた場所に立って当たりを見まわす。
俺は、ため息を一つ吐いた。
「……いくら探しても無駄だと思いますよ。おおかた、今の俺達の科学ではまだ作れないようなものでも使ったんでしょう」
なにせ時間移動を可能にした科学力の持ち主だ。瞬間移動を実現していたとしても、なんの不思議も無いだろう。
「ちょっと待てハルツキ、お前、何が起こったか分かってるのか!? 今のはいったいどういう……あ、いえ、すみません、こちらの話です。ユーレイ元社長は消え……いえ、その、見失いまして。いや、確かについ先ほどまではここにいたんですが……」
狼狽えながら報告を続ける班長をその場に残し、俺はビル内に戻る扉へと向かった。ここは風が強くて寒いのだ。
途中でゴミ箱を見つけ、橋で拾ったスタンバレットを上着のポケットから取り出すと、そこへ放り込んだ。スタンバレットの電極は、硬い物にぶつかったように折れ曲がっている。
まったく、どいつもこいつも。
ホモ・サピエンスという生物は実に勝手で、たちの悪い奴ばかりだ。
さすが、S級なだけのことはある。
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