新六甲島古生物ワールド

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人鳥暖炉
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襲撃! 巨大古生物ー3

公開日時: 2020年11月24日(火) 20:54
文字数:5,791

「さて、そうと分かれば善は急げですね」


 俺は肉の入った容器を担ぎ上げた。持ってくる前の時点で、予め睡眠薬入りのカプセルを埋め込んでおいたのが幸いした。今この場でそこからやらなければならないとなったら、相当焦ったことだろう。


「危険な役だぞ。そんなあっさり引き受けてしまって良いのか?」

「グズグズしてたら、そのぶん危険度が増しますからね」


 車外へと半分身体を出したところで、振り返ってそう答える。どうでも良いが、車体が横倒しになった上に歪んでいるせいでドアの開閉がしづらい。


「それに、この中では一番足が速いのは俺なんで」


 武器の扱いや格闘なども含めた総合的な戦闘スキルではツツジに大きく差をつけられているが、外に肉を置いてくるだけならそれはあまり関係ない。


「待て、ハルツキ。さっきこれを見つけておいた。役に立つかもしれん」


 車を出た直後、班長が身を乗り出して何かを差し出してきた。一般人が見たら手榴弾と勘違いしそうな形状をしている。しかし班長が殺生を嫌うこともあって、今の第一班ではそんな物騒なものは常備していない。


 受け取って確認する。

 なるほど、熊相手だとあまり意味の無い代物だが、対ティラノサウルスでは確かに役に立つかもしれない。

 ありがたくそれを頂戴してから、車から離れる。


「おっと、忘れるところだった。メガネウラ、UVカットをオン」

『UVカットモードをオンにします』


 アシスタントAI〝メガネウラ〟の返答と同時に、眼鏡型情報端末のレンズ部分がUVカットモードになる。紫外線は目に良くないので、やっておくにこしたことはない。


 さて、誘因材料である肉をどこに置くかだが、気持ち的には車からできるだけ離れたところに置きたいものである。しかしあまり離れすぎていると、ティラノサウルスがここに戻ってきた時に肉に気づかず、また車の方に狙いを定めてしまうかもしれない。

 まあ、ティラノサウルスが戻ってくるとしたら、パックが走って行った向こう側からに違いない。あちらの方向に向かって車から百メートルほど離れたあたりに肉を置き、その後はさっさと車に戻ろう。

 そんなことを考えながら二、三十メートルほど進んだ時だった。左手からバキッ、バキバキッ、と木が折れる音が聞こえてきたのは。

 まさか……。

 たかだか首を左に向けるだけのことに、これほどの勇気が必要なのか、などと頭の片隅で考えながら、そちらを向く。


 そこに、奴がいた。

 迂闊だった。やっぱり今日は、頭が回っていなかった。

 森に入ったのだから、森のどこから出てきてもおかしくないのだ。わざわざ律儀に元来たルートをそのまま引き返してくるなんて、思い込みも良いところだった。

 やばい。怖い。どうしよう、体が動かない。

 これまで散々、危険な古生物と対峙してきたはずだった。ショートフェイスベアもティラノサウルスも、ただの一撃で人間を屠れるという点において違いはない。しかしそういう理屈とは関係なく、至近距離で見たその巨体の威圧感は圧倒的だった。

 何もしなければこのまま喰われて死ぬというのに、何もできない。

 こちらに向かってくるティラノサウルスの顎の動きが、まるでスローモーションのように見えた。


 ああ、死に際って、本当にこんな風になるんだな。そろそろ走馬灯も見え始めるんじゃないか、と思った直後。

 ターン、と一発の銃声が響き、ティラノサウルスの動きを止めた。ダメージを受けた様子は無く、それどころか当たったのかどうかすら不明だ。しかし向こうにしてみれば銃声自体が聞き慣れないものだったのか、少なくとも驚きはしたようだった。


 そして同時に、俺の硬直も解けた。

 

 体さえ動けば、野生の世界では即断即決。一瞬の迷いが命取りだ。俺は迷わず、班長から渡されたあれのピンを抜き、ティラノサウルスに向けて放り投げた。

 一瞬の後、破裂音が響く。しかしただそれだけで、他にはなにも起こらなかった――かのように俺には見えたのだが、ティラノサウルスは苦悶の叫びをあげて後退った。

 その隙に、車へ向けて全力で走る。途中で、肉の容器をそのまま抱えていたことに気づき、蓋を外して放り出してきた。


 背後で、ティラノサウルスが怒りの雄叫びをあげる。

これまで聞いてきたミニチュアティラノサウルス達の鳴き声を、俺は間抜けだとすら思っていた。だが、今浴びせられているこれは、完全に別物だ。まるで世界が震動しているかの如く感じる。悪くすると、声だけで足をもつれさせられそうだ。それでも必死で走り、車内へと飛び込んだ。


 はぁはぁと肩で息をしながら背後を振り返ると、ティラノサウルスは地面に落ちた肉の臭いを嗅いでいるところだった。途中までは俺を追おうとしたものの、肉の臭いには抗えなかったらしい。そのままあれを食べてくれれば、捕まえることができる。


 食べろ。食べてくれ。

 心の中で、そう念じる。

 俺のそんな思いを知ってか知らずか――いや、知るわけはないのだが――ティラノサウルスは落ちた肉をくわえあげ、そしてそのままそれを飲み込んだ。


「よし!」

 思わず、声が出る。周囲の面々も、歓声をあげたり安堵の溜め息をついたりしていた。

 

 ぽん、と肩に手を置かれた。

「よくやった、ハルツキ」

「班長が渡してくれたあれのおかげですよ」

 紫外線閃光弾。本来は、デイノスクス対策として持ってきた武器の一つだった。

 人間を含めた哺乳類と違い、爬虫類や鳥類は紫外線を見ることができる。それを逆手にとり、強い紫外線を一瞬発することで、人間の視界は奪わずに相手の視界だけを奪う武器だ。

 もっとも、認識はできなくとも紫外線は人間の目にも良くないので、なにかしらの方法で目を保護した状態で使うのが望ましくはあるのだが。

 ティラノサウルスも鳥類同様に紫外線が見えるため、眩しい閃光を感じて怯んだのだ。


「やれやれ、せっかく探し出してきたってのに、これの出番は無いわけか」


 イエナオさんが、重そうな銃を床(実際は壁なのだが)に置いた。

 対物ライフルだ。これもやはり対デイノスクス用として、生け捕りが無理そうでこちらの身が危険だった時に備えて持ってきたものだった。確かにこれで撃てば、ティラノサウルスとて無事では済まないだろう。


「そういえば、さっきティラノサウルスが出てきた時、撃ってくれたのは誰だったんです?」

 あの銃声が無ければ、俺はあのまま喰われていたかもしれない。


「ああ、あれはツツジだ」

「助かったよ。あれが無かったら、俺はきっと死んでた」

「でも全然効いてなかったよねー。確かに命中したはずなんだけど」


 やはり通常のライフルでスタンバレットを撃っても、ティラノサウルスの外皮に電極を刺すのは難しいらしい。


「まあそれでも、あいつの動きが止まったのは確かだし、俺もあの時の銃声で我に返ることができたわけだから」

「浮かれているところ悪いんだが」


 外を見つめる班長の表情は、強張っていた。


「どうも私達は大事なことを忘れていたようだ。つまり、睡眠薬は飲んだらすぐに効くってわけじゃないってことを」


 それを耳にして、場の雰囲気が一瞬にして静まりかえる。

 班長の視線の先を追って後部ドアの隙間から外を見た俺の目に映ったのは、猛然とこちらに向かって突進してくるティラノサウルスの姿だった。

 直後、もう何度目かも分からない衝撃が車を襲う。

 これは時間との戦いだ。

 睡眠薬が効いてきて、ティラノサウルスが動きを止めるのが先か。それとも車の壁が完全に壊され、俺達が引きずり出されて貪り喰われるのが先か。

 となれば、なんとかして時間を稼がなくてはいけない。


「班長、紫外線閃光弾はまだあります⁉」

「持ってきたのはもっとあるはずだが、見つけられたのはさっきお前に渡した一つだけだ」

「じゃあ他に何か時間稼ぎに使えそうなもの!」

「トウガラシスプレーならここにあるけど」

「それは熊とか狼相手ならいけるけど、ティラノサウルスには効かない」


 哺乳類の神経にある痛覚センサーはトウガラシの成分であるカプサイシンにも反応するため、カプサイシンを顔面に吹きつけられると人間や熊などは苦悶で身もだえするはめになる。しかし鳥や恐竜では、痛覚センサーがカプサイシンには反応しないため、トウガラシスプレーは無効なのだ。


「もうこうなったら、これで脳天ぶち抜くしかねーだろ!」


 イエナオさんが対物ライフルを構える。


「おいっ、班長! まさかこんな時まで、殺すのは嫌だとか言わねーよな! 俺ら全員の命がかかってるんだぞ⁉」


 イエナオさんがわざわざこんなことを言うのには、理由がある。危険度が高い古生物を相手にすることが多い第一班を率いる身でありながら、ミナ班長は古生物を殺すことを異様に嫌がるのだ。これまでも、やむを得ない場合以外はできるだけ対象の古生物を生け捕りにしてきた。

 しかし、さすがに今回はそのやむを得ない場合だと判断したのだろう。班長はぐっと唇を噛んだ。


「……分かっている。ここにいる全員の命が最優先だ」


 その表情を見て、俺は内心で溜め息をつく。


 やれやれ、まったくこの人は。まあ、ここでほうっておけない俺も俺なんだけど。

 

 生け捕りにしたところで、その後の引き取り先があるとは限らない。これまでだって、そうだった。引き取り先が見つからなかった場合に捕獲された生物がどうなるのかを考えれば、班長の方針は偽善と言えるかもしれない。

 しかしそれでも、俺はそんな班長のことが嫌いになれないのだ。


「イエナオさん、俺に一つ作戦があるんで、先にそれを試させてもらって良いですか?」

 イエナオさんはチッと舌打ちしつつも、「駄目だったら速攻で俺が撃つからな」と一応は認めてくれた。


「ありがとうございます。ツツジ、協力してくれ」

「はいはいー。で、私は何をすれば良いの?」

 俺は上着を脱いでまるめながら、ツツジに作戦の概要を説明した。


「オッケー、それじゃ……ってちょっと待って、これ弾がもう入ってないんだった。新しいやつを装填しないと」


 ツツジが弾込めを始めようとした時、一際大きい衝撃が車を襲った。


「あっ」


 ツツジが、装填しようとしていた弾を取り落としてしまう。そして同時に、メキッ、メキメキッと嫌な音をたて、壁から天井にかけてついに裂け目ができ始めた。


 まずい。もう間に合わない。ツツジが弾を拾って銃に込め、そして撃つよりも、この中の誰かが食われる方が先だ。

 頭の片隅をそんな予測がよぎった時だった。

 アオォ――――ン

 少し離れたところから、遠吠えが聞こえてきた。

 ティラノサウルスがその声に反応して、車体の裂け目に突っ込もうとしていた頭を持ち上げ、そちらを見やる。

 今のは、パックの声だ。あいつ、あんなに怯えていたくせに戻ってきたのか。森に入れば簡単に撒ける相手だと理解して、余裕を取り戻したのかもしれない。

 だが、ティラノサウルスがパックの遠吠えに気を取られたのは一時だけだった。こちらはこちらで、追いかけても捕まえられない相手だと学習していたらしい。その視線は、すぐに俺達の方へと向け直される。

 パックの行動は、わずかな時間稼ぎにしかならなかった。だが、そのわずかな時間こそが、この時の俺達にとっては天佑となった。


「装填終わった!」

「よし、作戦通り頼む!」


 俺は先ほど丸めた上着を、壁にできた裂け目から放り出した。


 捕食者のさがとして、ティラノサウルスは動くものには気をとられてしまう。まして、この時投げた上着は、俺が着ていたものだ。車内に籠もった肉の臭い、そして俺が直接肉を運んでいた時についたそれ以上の臭いが、そこには染みついている。


 ティラノサウルスはその巨大な顎を開いて、飛んできたそれを空中でキャッチしようとした。


「今だ!」

 俺が叫ぶよりも先に、ツツジは既に撃っていた。大きく開かれたティラノサウルスの口腔内に、スタンバレットが撃ち込まれる。

 外皮は硬くて電極が刺さらない。だが口腔内の粘膜なら、話は別だ。

 それを証明するかのように、ティラノサウルスが苦悶の叫びをあげる。その声は、空気のみならず、車体をも震動させているかのようだった。


 ティラノサウルスが後退る。スミロドンやダイアウルフのような人間とさほど体格差の無い相手ならともかく、やはりこれだけの巨体となると、動きを止めるには至らないようだ。

 だが、あの様子を見るに、苦痛は感じたに違いない。しかもその苦痛は、ティラノサウルスにとっては未知のもののはずだ。デンキウナギやデンキナマズのように電撃を武器として使う生物は自然界にも存在するが、どれもティラノサウルスの狩りの対象となるようなものではない。初めて味わう種類の苦痛には、ティラノサウルスとて警戒せずにはいられないに違いない。


 そうした俺の予想を裏付けるかのように、ティラノサウルスはこちらを少し遠巻きにしたまま、様子をうかがっている。完全に諦めてはいないが、うかつに手を出してはいけない相手だとこちらを認識し、警戒しているのだ。

 そうだ、警戒しろ。俺達は怖いぞ。もっと慎重になるんだ。

 慎重になっている間に、お前には――――時間切れが来る。


 地響きが起こった。ティラノサウルスの巨体が、ついに地に伏したのだ。そして、そのまま動かなくなった。


「……今度こそ、大丈夫だよな?」


 班長はまだ不安げな顔をしている。イエナオさんも銃を構えたままだ。


 俺は車外に出ると、「お、おい、ハルツキ⁉」といういくぶん狼狽した班長の声を無視して、ティラノサウルスの方へと向かった。

 突然また動き出したら、という不安や恐怖を感じないわけではない。しかし、こいつを間近で見てみたいという好奇心が、それに勝った。

 近づくほどに、肉食動物特有のなんとも言えない嫌な臭いが漂ってくる。しかしそんな臭いをさせていてもなお、その圧倒的な大きさには、一種の威厳のようなものを感じた。

だがその巨体も、今は静かな呼吸音を響かせているだけで動こうとはしない。


 ぱん、と音をたてて手を打ってみる。背後で班長達が息を呑んだのが伝わってきた。

 だが、ティラノサウルスが動く気配は無い。


「大丈夫ですよ。完全に眠っています」


 緊張した様子でこちらを見守る班長達の方を振り返り、いつの間にか傍に寄ってきていたパックの頭を撫でながら、そう声をかける。


「そうか、終わったんだな……」


 気が抜けたのか、班長はその場にへなへなと座り込んでしまった。


「はい、これで今回の任務は終了です。皆さん、お疲れ様でした」

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