ツツジの言うことも理解はできる。なにせ俺達はあのフトゥロスを超えるSランクがつけられるほど危険視されているのだ。島から出ることが許されるのがいつになるのか、本当にそんな日が来るのか、俺にだって確証は持てない。
最悪の場合、輪読会がやっぱり島ごと沈めようと言い出す可能性だってある。
それに、カウフマン研究統括部長は実の娘であるミナ班長にすら〝交配相手〟をあてがおうとしていたくらいだ。サピエンスの遺伝子を取り込むために俺やツツジにもそういう相手が用意されるというのは、十分にあり得る話だろう。ネアンデルタール人達に対して差別意識を持っているかどうかは別としても、自分の意思とは関係無くそういう相手が決められてしまうのが嫌だというのももっともな話だ。
しかし理解できるかどうかと、受け入れられるかは別だ。
「ツツジの言うことも分かる。でも、だからといって、このまま島を沈めるわけにはいかないだろ。どれだけの人が死ぬことになると思ってるんだ」
「みんな私と同じように島から逃げれば良いんじゃない?」
「制限時間内にこんな話を全員に信じさせて、しかも大した交通量を想定してないこの細い橋一本から全員を逃がすのか? 仮にそれができたとして、こっちがそうやって逃げ出すのを向こうがおとなしく見ていてくれると思うか?」
あれほどサピエンスを怖れていた輪読会のことだ。十中八九、島内のメインコントロールルームより上位の権限で島と本土を繋ぐ旋回橋を島外から制御できるようにくらいはしてある。仮にそれが無かったとしても、その代わりに橋を爆破するくらいのことはするだろう。
島から逃げ出そうとする人々で密集した橋が爆破され、人がゴミのようにばらばらと海へ落ちていく様を想像して、俺は気分が悪くなった。
「まーみんなで逃げるっていうのは適当に言っただけだからさ。でも、なんとかなるでしょ」
「なんとかなるって……何か策でもあるのか?」
「ハルツキ君、私は悲しいよ。私達それなりに長い付き合いだと思うけど、ハルツキ君は私のことなんにも分かってないんだね」
確かに、ツツジが今いったい何を考えているのかは本気で分からなかった。
「……何が言いたいんだ?」
「私が策とかそんなの考えてるわけないじゃーんってこと」
「何も策が無いっていうなら――」
言いかけた俺を、ツツジは遮った。
「でも、ハルツキ君は考えてるよね?」
「何を言って……」
「ハルツキ君が私のことを分かってなくてもさー、私の方はハルツキ君のことよく分かってるんだよねー。輪読会とかいう人達が出した条件を頑張ってクリアして、それで島が沈むのを止めてもらおうなんて、そんな他人任せの方法にハルツキ君が全てを賭けるわけないよね? それでうまくいったら良いなーくらいには思ってるだろうけど、向こうが裏切ってやっぱり島を沈めまーすって言われた時にどう対抗するかはちゃーんと考えてるでしょ、ハルツキ君ならさ」
「それは……」
その点では、確かにツツジの言う通りだった。考えていないわけじゃない。
普賢の防壁になっている防弾ガラスについて、ユーレイ社長は『そこらの銃じゃ傷一つつけられず、対物ライフルの弾すら受け止めるくらいさ。もし島が沈んで今私達がいるこの部屋に水が流れ込んだとしても、その水圧に問題無く耐えることができる』と言っていた。『そこらの銃』では『傷一つつけられず』、『対物ライフル』なら『受け止める』。これは裏を返せば、対物ライフルで撃たれた場合は弾き返せるのではなくあくまでも受け止められるだけであり、傷くらいはつくということだ。
では、至近距離から何発も撃った場合はどうなるか。
その場合も、あくまでも防弾ガラスに傷がつくだけであってその向こうの普賢にまでは手出しができないかもしれない。
しかしもしも、一箇所に集中して傷がつけられた状態で高い水圧がかけられたら?
万全の状態であれば新六甲島沈没時に流れ込む水の圧に耐えられても、局所的に弱い部分ができた状態でも果たして耐えられるだろうか?
耐えられるかもしれないし、耐えられないかもしれない。
けれども、ただ単に耐えられないかもしれないというだけで、輪読会にとってそれは十分な恐怖となるのだ。なぜなら、歴史の復元力を向こうに回している以上、低い確率でしか起こり得ないはずの不運であっても起こってしまうと考えた方が良いのだから。
そして、普賢が――正確にはその核であるアフリカのモノリスが――失われてしまっては、ネアンデルタール人達はこの先、歴史の復元力に対抗することはできなくなる。そうである以上、輪読会は新六甲島を沈めるのをやめざるを得なくなる。
だが、そうやって島の沈没を防いだところで、そこから先がジリ貧だ。俺達がそうやって普賢を人質にとれば、輪読会は今度こそサピエンスを危険な生物と断定し、間違いなく滅ぼそうとしてくるだろう。
輪読会は鹵獲された武器が逆に自分達に向けて使われることを怖れているから、地上部隊を送り込んではこないかもしれない。
しかし地下の普賢には影響が出ない程度の威力の爆弾や焼夷弾で上空から爆撃をしてくるとか、島を封鎖して補給を完全に絶ち、こちらが全員餓死するのを待とうとしてくるか、そういった手で攻めてくることは十分にあり得る。
いずれにせよ、ネアンデルタール人社会との全面戦争は避けられない。
そうなったとしても、最終的には歴史の復元力の作用によって俺達はネアンデルタール人達を滅ぼし、勝利を掴めるのかもしれない。だがそれこそ、その日はいつになるか分かったものではないのだ。宇宙の歴史のスケールから考えれば、百年二百年どころか千年二千年だって誤差の範囲内なのだから。
その間に出る犠牲は俺達サピエンスの側だけでも膨大なものになるだろうし、それに何より、俺は今この世界で生きているネアンデルタール人達を絶滅させたいとは思っていない。
「その顔は図星だねー。やっぱり何か考えてたでしょ」
顔に出てしまっていたか。どのみち、勘の良いツツジを欺けるとは思っていなかったが。
「まーそういうことなら私にとって話は簡単なんだよー。ハルツキ君をどつき回して、どうすれば良いのか白状させれば良いだけなんだからさ」
「そんなことで俺が口を割るとでも?」
「割らなかったとしても、それはそれで問題ないんだよねー。だって、サピエンスの私がメインコントロールルームを占拠しちゃったらその時点で輪読会は私達みんなを敵認定してくるだろうし、そうなったら輪読会に島が沈むのを止めてもらおうっていうハルツキ君の最初の計画はもう駄目になるよね。だから私を止められない限り、ハルツキ君は結局、輪読会と対決する方の案を使わなきゃいけなくなるんだよー」
「何を期待しているのか知らないが、俺の考えついた輪読会と対決する方の案っていうのはそんなに良いものじゃない。とりあえず島が沈むのだけは止められても、その先に続くのは俺達とネアンデルタール人がどちらかが滅びるまで延々と戦うことになる未来だ。俺は、そんな未来は選びたくない……!」
ツツジは、フッと微笑んだ。
「ハルツキ君のその意見もさ、間違いじゃないんだろうね。でもハルツキ君も分かってると思うけど、この世界は正しいから勝つわけじゃないし、間違ってるから負けるわけでもない。力があれば勝つし、無ければ負ける。それだけ。私を止めたいなら、力づくでそうしてみなよ。私も力づくで押し通るからさ」
そしてツツジは、拳銃をこちらへと向けた。
「安心して。私の方はスタンバレットだから。ハルツキ君が死んじゃったら島が沈むのを止める方法が分かんないし、その後でネアンデルタール人達と対決するためにみんなをまとめ上げるのも、私よりはハルツキ君の方が向いてると思うんだよね」
ネアンデルタール人を滅ぼす役の適任者として俺が選ばれたというユーレイ社長の話を思い出す。その役はすっぱりお断りしたつもりだったのだが、どうやら歴史の復元力というやつはなかなか諦めが悪いらしい。
C級のティラノサウルス・レックス、B級のケツァルコアトルス・ノルトロピ、A+級のホモ・フトゥロスときて……ここでS級特定危険古生物との対決を用意してきた。
いやしかし、これは本気でまずいぞ。
今までで一番、勝てる気がしない。
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