「さて、話を戻そうか。本来の歴史では、アフリカを出て北上したホモ・サピエンスがヨーロッパに住んでいたネアンデルタール人を徐々に追いやっていき、最終的には絶滅させることになっていた。けれど今回の歴史では、ホモ・サピエンスが出アフリカを果たせず絶滅してしまったことで、逆にネアンデルタール人の南下が可能になった。そして彼らは、アフリカに到達したところで出会ったんだよ。前回の歴史からやって来たタイムマシンの残骸、そしてその中で眠っていた、未来の情報端末に。それが――」
ユーレイ社長は、ガラスの向こうを手で示した。そこには、赤く輝く『普賢』の文字が記された直方体が多数林立している。
「――ここにある普賢のコアとなっている、通称〝アフリカのモノリス〟だ。普賢は世界最高峰のスーパーコンピューターということになっているけれど、今のこの世界にある他のコンピューターと比べて性能が桁違いに高いのは当然なんだよ。なにせ、未来から来た〝アフリカのモノリス〟がコアになってるんだからね」
俺が普賢からユーレイ社長の方へと視線を戻すと、彼は話を続けた。
「モノリス発見当時のネアンデルタール人は、まだ文明らしい文明も持っていなかった。そんな彼らがモノリスを神の使い、あるいは神そのものであるかのように崇めるようになったのは、想像するに難くないよね? もちろん、当時の人々にはモノリスが表示する文字や発する音声の意味までは分からなかったわけだけど、彼らから見れば岩の塊か何かのようなものが返事をしたり次々と違う画像を表示したりするわけだから、それだけで超常現象だ。そして彼らは、モノリスが音声として発したり画像として表示したりする『神の言葉』をなんとか解読しようと努力を続けた。文明が発展するにつれて、それを専門とする神官職もできた。彼らは会合を開き、モノリスに表示される文字の意味や、自分達が欲しい情報を表示してもらう方法について論じ合った。〝輪読会〟と呼ばれるその会合は、最初のうちこそ参加者が流動的だったものの、次第にいつも同じ顔ぶれで集まるようになり、やがて会合から組織へと変わっていった。モノリスから引き出される情報が当時の人々には知り得なかった真実であり、そしてそれらが実社会において大いに役立つことが分かるにつれ、輪読会の権力は増していった。なにせモノリスの力があれば、初めて見る植物でも食用に適しているかが分かる。行ったことの無い場所であっても、地形も気候も分かる。病気の治療法だって知ることができるし……まあ、挙げていけばきりが無いね。そしてネアンデルタール人社会は輪読会の管理の下、モノリスが持つ知識を活用して文明を急速に発展させていった。そんな風にして今回の歴史では、本来の歴史では絶滅した古生物が世界の支配者となったわけだよ。……さて、それじゃあせっかくだから、あらためてこう言っておこうか、本来の現生人類君」
ユーレイ社長はにやりと笑い、芝居がかった仕草で両腕を広げた。
「――ようこそ、古生物の世界へ!」
ややあって、俺は口を開いた。
「ここまでの話だと、少なくともネアンデルタール人にとっては絶滅を回避できて、しかもモノリスとかいうチートアイテムで文明も発展させられてめでたしめでたしという感じですが……当然、そうじゃないんですよね?」
脳裏をよぎるのは、俺を育ててくれたあの人の寂しげな笑みだ。そして、あの何かを諦めてしまったかのような顔で、彼女が漏らした言葉。
『私達はね、最初から間違ってたんだよ』
『だからね、こうなるのはきっと、当然のことなんだ』
『せめて間違いを重ねなければ良かったのに』
『もっと早く諦めて受け入れていれば、間違いを重ねずに済んだのに』
最初から間違っていたという言葉が、彼女を含むネアンデルタール人達が本来の歴史と違い生き延びたことを指すのであれば、まだその先に何かがあったのだ。受け入れるためには諦めを必要とするような、容易には受け入れられない何かが。
ユーレイ社長は、芝居がかったポーズで広げていた両腕を降ろした。
「そう、めでたしめでたしとはならなかった。時代が進み、文明が発展して人口も増加するにつれ、ネアンデルタール人社会は不自然なほどに頻発する自然災害や疫病の蔓延に悩まされるようになったんだよ。一つ一つの災厄は、確率は低くとも起こり得ないわけではないものだった。しかしそれぞれ低確率でしか発生しないはずの災厄が、あまりにも連続して起こった。しかも毎度毎度、不運にして多くの犠牲が出る場所やタイミングでね。輪読会の構成員達も、次第に何かおかしいと感じるようになった。なにせ文明化により順調に増えていたはずの人口が、頭打ちどころか急激な減少に転じるくらいだったからね。輪読会はいつものごとく、その答えもモノリスに求めた。それまでのように個別の災厄への対処について尋ねるのではなく、それらを不自然なほどに頻発させる要因なんてものがあり得るのかと、それを聞いたんだよ。たぶん聞いた時点では彼らも、そんなものが実際にあると本気で考えていたわけではなかったのだと思う。なにしろ、個々の災害は一見して何の関連性も無さそうなものだったからね。それらを引き起こすたった一つの要因があるなんて考える方が荒唐無稽ってものさ。……だけどモノリスは、そんな荒唐無稽なものの存在をも知っていた。それが、〝歴史の復元力〟だ」
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