我知らず言葉か表情によほど力がこもっていたのか、イエナオさんは一瞬、気圧されたように言葉に詰まった。そして結局、先ほどの俺の言葉自体は否定しなかった。
「……そうかよ。つまりお前は当たりを引いたってわけだ。だからそんな風に、本国人の奴らを見る目が脳天気になんだな」
「いやいや、俺だって俺達島民を見る時に嫌そうな顔をしたり、避けたがったりする本国人がけっこういることは知ってますよ?」
さすがにそこに気づかないほど脳天気だと思われるのは心外だ。
「でもヒトウドンコ病のことを考えたら、それも仕方ない面はあるでしょう」
いかに高価なワクチンを打ってからここに来ているとはいえ、なにしろ乳幼児以外が感染したら致死率百パーセントの凶悪伝染病だ。向こうの立場になって考えれば、その病原体保有者との接触に不安を感じるのも無理は無い。
「ヒトウドンコ病か……」
イエナオさんはなぜかそこで言葉を切り、無言で考え込み始めた。いったいどうしたのかと思っていると、今度は突然、情報端末のAI〝メガネウラ〟に指示を出した。
「メガネウラ、この付近にいる危険古生物は?」
「ここは地下だから電波が届かないって話だったと思いますけど」
「そうみたいだな」
イエナオさんの返事から察するに、オフラインのため調べられないとかそんな感じの答えを〝メガネウラ〟は返してきたのだろう。
それにしても、今の話の流れでいったいなぜそんなことを試すのか。
俺は訝しく思った。
「だったら、ここなら盗聴されてる可能性も無いってわけだ。正直迷ってたんだが、こんな機会は滅多にねーしな。ハルツキ、ちょっと止まれ」
言われる前から、俺は立ち止まっていた。というのも、ちょうど目の前で道が左右に分かれるT字路になっていたからだ。
オフラインでも見られるよう、予め端末にダウンロードしておいた地図を確認する。この先にあるのは、旧理科学研究所の地下施設二つ目のようだった。左に進むと数メートルほどで扉に突き当たり、その先には広い部屋があるものの、今は扉自体が閉鎖されているらしい。右は地下施設を横断する廊下に通じていて、そこを通過するとまた別の地下施設とを繋ぐ地下連絡通路へと抜けられる。
いかに薄暗いといっても、数メートル程度なら見通せるし、とりあえず左側の通路を見て誰も(あるいは何も)いないようなら、右に進もう。
俺がそんなことを考えていると、「ちょっとこいつを見てくれ」と言いながらイエナオさんが何かを手渡してきた。そちらに目を向けると、数枚の書類だった。こんなものをどこに仕舞っていたのやら。
受け取って文面に目を走らせる。
「ヒトウドンコ病は、本来は植物に感染する病原体であったウドンコカビが突然変異によりヒトへの感染力を獲得したものである。動物を宿主とする病原体由来の感染爆発には対策を立てていたが、ウドンコカビがこのような変異を起こすことは完全に想定外であったため対策が後手にまわり、これが甚大な被害を出す一因となった。これほど性質を大きく変える突然変異が自然に生じる確率は非常に低く、歴史の復元力が働いた結果と考えられ……ヒトウドンコ病についてのレポートじゃないですか。わざわざ印刷したやつを持ち歩いてるんですか?」
「いつも持ち歩いてるってわけじゃねえ。地下は電波が入らなくて、しかもチームを分けるって聞いた時に閃いたんだよ。ここであの本国人の女と別行動をとれるようにしときゃ、これを見せるチャンスが手に入るってな」
「いや、ちょっと待って下さいよ。じゃあ、作戦会議中に班長に喧嘩を売ったのはわざとだったんですか」
確かに、いつも以上に大人げなくつっかかるなとは思っていたが。
「そうまでして読ませたいものなんですか、これ。歴史の復元力っていうのがなんか意味不明ですけど、それ以外、特に目新しいことは書かれてないように見えますが……」
「重要なのはその次のページだ」
言われて、俺はページをめくる。上の方にはやはりこれといって特筆すべきことは書かれていない。だが、中程まで読んだ時、俺の視線はそこで釘付けになった。
「ヒトウドンコ病感染者の致死率は百パーセントであり、感染して助かった例は現在のところ報告されていない。ワクチンの開発も目処が立たず、現状、予防・治療法ともに存在しない。全感染者の隔離ならびにその後の死亡によってヒトウドンコ病パンデミックはいったん終息したもののヒト以外の生物では不顕性感染している例があり、こうした生物からの感染が散発的に……いやいや、なんですか、これ」
「読んでの通りだよ」
「読んでの通りなわけないでしょう。ヒトウドンコ病の致死率が百パーセントで感染して助かった人がいないっていうなら、今ここにいる俺達はなんだって言うんです? ワクチンの開発が失敗したっていうなら、班長達本国人だって怖くてこんな所にいられないでしょう⁉」
「その両方に対して説明がつくシンプルな答えがあるだろ。ハルツキ、お前くらい頭が回る奴なら、すぐ思いつくはずだ」
イエナオさんの言った通り、既に俺はそれを思いついていた。
だが、まさか。そんな馬鹿な。
有り得ないとは思いつつも、恐る恐る俺はその思いつきを口にする。
「俺達は最初から、ヒトウドンコ病の感染者なんかじゃなかった?」
もしそうなら、俺達がヒトウドンコ病で死んでないのも当然だし、俺達から感染する危険性も無いから本国人達もワクチン無しで俺達に接することができる。
それに、俺を育ててくれたあの人の不可解な死に方にも説明がつく。
ずっと、心の奥底では引っ掛かっていた。ワクチンを打った上でこの島に来ていたはずのあの人は、なぜヒトウドンコ病で死んだのか。そして、感染し隔離されたあの人との接触を、無症状とはいえ既に病原体保有者である俺まで禁じられたのはなぜなのか。
担当医の話によれば、これまでのワクチンが効かない変異型の場合、既に無症状病原体保有者となった者であっても発症の危険性が否定できないからということだった。俺もいったんはその説明を受け入れたが、しかしやはり引っ掛かるのだ。
これまでのワクチンが効かない変異型なんてものがもし本当に現れたのだとしたら、もっと騒ぎになっていないとおかしくはないか? 特に、ワクチンで感染を免れているはずの本国人達はもっと動揺する方が自然だ。
だがもしも最初からヒトウドンコ病のワクチンなど最初から存在せず、感染した者は誰も助からないと最初から分かっていたのだとすれば、話は違ってくる。
俺の返答に対し、イエナオさんは無言で頷いてみせた。
「そんな馬鹿な……」
自分で思いついておきながら、俺はその考えを否定せずにはいられなかった。もしそれが真実なら、俺達のこれまでの世界観はひっくり返ってしまう。
第一、いくらこれまで信じてきた話に引っ掛かる点があるとはいっても、イエナオさんの話が真実だというなら、それはそれでおかしい点が色々と出てくる。
「ありえないですよ。ヒトウドンコ病に感染してるわけでもないなら、俺達がこの島に閉じ込められる理由だって無いじゃありませんか」
俺個人について言うなら、べつだん島の外に行きたいと強く思っているわけではない。しかし島民の中にも、外の世界に行ける日を心待ちにしている人間は少なからずいる。ツツジが良い例で、島民の島外渡航が解禁されたらここに行きたいだとかあれを見たいとか、そういう話を何度されたか分からない。それでもここを出ることを許されないのは、ワクチンが行き渡っていない外の世界に俺達が出て行ってしまったら、ヒトウドンコ病パンデミックが起き、数え切れないほどの死者が出かねないからだ。
そのはずなのだ。
少なくとも、これまではそう教えられてきた。
「理由ならあるさ。俺達が、NInGen社にとって逃がすわけにはいかない実験台だって理由がな」
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