RRE法では、『現代の生物のゲノム配列と形態』ならびに『化石から復元された古生物の形態』の情報に基づき、古生物のゲノム配列を推測する。ゲノムというのは、いわばその生物の設計図。その配列が分かれば、あとは現代の生物のうち、欲しい古生物に最も近い種類の生物のゲノムを編集して古生物と同じ配列に書き換えれば、古生物のできあがりというわけだ。
ゲノムはDNAという物質でできているが、このDNAはたとえ琥珀の中に入っていようと何千万年も保つわけではない。現物が存在しない以上、古生物のゲノムはこのように推測して作る他は無いのだ。
しかし所詮、推測は推測である。推測である以上、間違っている可能性がある。というか、少なくともティラノサウルスの場合は、確実に間違っている。
我らがNInGen社が誇る世界最高峰のスーパーコンピューター〝普賢〟が推測したティラノサウルスのゲノム配列、それに基づいて生み出されたものは……なんと、全長が最大でも二メートルくらいにしかならなかったのだ。ちなみに、俺が今朝出くわした奴は一メートル二十センチくらいだった。あれが十二メートルある本物だったら、さすがに俺もあんな暢気にはしていられなかっただろう。
ティラノサウルスに近い恐竜でも、グアンロンやディロングといった比較的原始的な種類は、二~三メートル程度と小型である。それが、より進化したティラノサウルスやタルボサウルスでは大型化している。だが、研究者達がゲノム配列の変遷を何度シミュレートしても、あのようなサイズになる進化の経路は見つからなかったのだという。結果、今でも大型のティラノサウルス類は再現できていない。
研究者達が頭を抱えた一方、上層部はしたたかなもので、せっかくお手軽サイズのティラノサウルスができたのだからということで、これをペット用に売り出すことにした。
全長二メートルと言われるとそこそこ大きいようにも思えるが、ティラノサウルスの場合は半分近くが尾ということになるので、二メートルという言葉から連想されるほどには大きくない。庭付きの一戸建てであれば、一般家庭でも飼える程度のサイズだ。
上層部の目論みは当たり、多くの人々がティラノサウルスを買った。
……そして、多くの人がそれを捨てた。
いくら小さいとは言っても、そこはティラノサウルスである。品種改良されてきた家畜のように人間にとって飼いやすい性質の持ち主というわけではないし、人間サイズの動物を積極的に襲うことはないものの、噛む力は強いので万が一怒らせると大怪我もあり得る。餌代だって安くはない。
しかしそれでも、NInGen社が直接販売しているティラノサウルスだけが飼われ、捨てられているうちはまだ良かった。うちの社では、作り出した古生物は全て皮下に発信器を兼ねたタグを埋め込んでいるため、捨てられて野良ティラノサウルスとなったものがいても、すぐに見つけ出して捕獲することができたのだ。
ところが、これが密養殖されたものとなると、話が違ってくる。こちらが気づかないうちに飼い主の元から逃げ出し、場合によっては繁殖までして、完全に野生化してしまうこともあり得るわけだ。これは、ティラノサウルス以外の古生物についても同様である。
当然と言えば当然のことながら、古生物についての規制が緩い新六甲島では、この野生化が他所とは比べものにならないほど酷い。人工島であるこの島の場合、生態系への影響はさほど考慮する必要が無いが、さすがに人間に危害を加えかねない危険な古生物については社の方で対策を取らなくてはなるまい――ということでできたのが、俺達の所属する危険古生物対策課というわけである。
「どうします? 今からでも捕まえに行きましょうか?」
「……いや、いい。所詮はC級だ。そっちは私の方から第三班あたりに回しておこう。我々第一班には、もっと第一班に相応しい案件がある」
思わず天を仰いだ。
第一班は、危険度が高い古生物にも対応可能な精鋭部隊。その第一班に相応しい、などとわざわざ言う以上、まず間違いなく厄介な仕事だろう。なんてこった。前みたいに、ダイアウルフとショートフェイスベアが同一地点に出没、みたいなのじゃなきゃ良いけど。
「何が見つかったんです?」
「詳しい情報は後でお前の端末に送るが、見つかったのはヤギの死骸だ」
「ヤギは古生物じゃないでしょう」
「ただの死骸じゃない。食い殺された残骸だ」
「仔ヤギですか?」
「大人のやつだよ。それもオスだ」
「それはそれは……」
大人の牡ヤギとなると、それなりに大型で力も強い。少なくとも今朝見たようなティラノサウルスだったら、そそくさと逃げ出すことだろう。あいつらもゴミばかり漁っているわけではなく、生きている動物も襲うが、獲物は大きくてもせいぜい狸サイズだ。
「凄まじい力で食いちぎられていたらしいぞ。もちろん、この島に元からいる野生動物でそんなことができるやつはいない」
聞いているだけで気が重くなってきた。相手はかなり大型かつ凶暴な肉食獣に違いない。ホラアナライオンとかティラコレオだろうか。
「現場付近で観測されてるタグは?」
「数自体はそれなりにあるが、C級と、あとは危険指定されていない一般古生物のものだけだ。今回の事件の犯人はタグ無しだろうな」
まあそんなところだろうと思ってはいた。A級やB級のタグ有りが登録済み飼育区画以外の場所にいたら、そんな死体が見つかるよりも先に俺達に声がかかっていただろう。
「歯形とか、噛みついた時に付着した細胞のDNAとかから分からないんですか?」
「ヤギの死骸は回収してないそうだ」
「何でですか。重要な証拠ですよ」
班長は、呆れたようにため息をついた。
「何でってお前、何の武装も無い人間にそんなことさせて、万が一相手がショートフェイスベアだったりしたらどうするんだよ?」
「ああ、それは確かに……」
一万年ちょっと前に絶滅した熊であるショートフェイスベアは、RRE法で復活させてみたところ、現代のヒグマと同じように、自分が仕留めた獲物に対してやたらと執着する性質の持ち主だった。ショートフェイスベアのこの性質により引き起こされた数年前の事件は、今でも語り継がれている。
事件は、当時の第一班がショートフェイスベアを捕獲しようと試み、班員の一人が返り討ちに遭ったところから始まった。いくら危険古生物相手の仕事とはいえ、実際に死人が出ることは稀であり、この時点で既に惨劇と呼ぶに値する事件だった。
しかし、惨劇はここで終わらなかった。仲間の死体を放置するに忍びなくて連れ帰ろうとした他の班員達までもが、死体を取り戻そうと追ってきた熊によって次々と殺されてしまったのだ。結果、当時の第一班は全滅。この一件を機に、第一班は殺傷能力のある銃火器の使用が認められるようになった。
今の俺の感覚からすると、そのくらいの武器も無しにA級やB級の危険古生物をどうにかしようとしていたことの方がよほど異常に思えるが、なにしろこの新六甲島では、警察業務を委託されているNInGen社警備部門ですらスタンバレットのような非殺傷兵器しか保有していない。そんな島において例外的に強力な銃火器の使用を認めて良いものかと、当時はずいぶんともめたらしい。
ちなみに、この事件についてはもう一つ、伝説的なエピソードがある。
精鋭たる第一班を全滅させたこの熊を、なんと研修中の新人が一人で仕留めてしまったのだ。
新人にそんな危険な任務を任せるはずもなく、独断での行動だった。通常であればそのような独断専行は許されないが、なにしろ挙げた成果が成果だ。第一班が全滅して急遽補充が必要となったこともあり、その新人は研修も終えないうちに第一班に配属されるという異例の抜擢を受ける。
何を隠そう、その新人こそが俺……だったら自慢もできたのだが、もちろんそんなはずもない。実際はツツジである。普段のぼけっとした様子と間延びした喋り方からはとてもそうは思えないが、こと戦闘に関して言えばツツジはまごうことなき天才なのだ。
もっとも、さすがのツツジも非殺傷兵器のみで件の熊を無力化するのには手こずったらしく、その時には腹に穴が空くほどの大怪我を負ったそうだが。
「死骸の写真だけは撮ってきてもらったらしいが――」
班長の声で、俺の意識は現実に引き戻される。
「解析担当者の話では、それだけだとやはり何の動物か特定するのは難しいそうだ。歯形を見る限り、犬歯とか臼歯とか複数の種類の歯がある哺乳類の可能性は低く、恐らくは爬虫類だろうとは言っていたがな」
爬虫類で大人のヤギを仕留められる奴となると、巨大オオトカゲのメガラニアか、巨大ワニのデイノスクスあたりだろうか。メガラニアなら危険度はB、デイノスクスだとAだ。
爬虫類と言っても、肉食恐竜の可能性は低いだろう。RRE法による復活は、現代の生物と系統的に遠いほど難しいので、恐竜はあまりやられていないのだ。恐竜に一番近い現代の生物というと鳥になるが、それだってメガラニアとコモドオオトカゲとか、ショートフェイスベアとメガネグマくらい近いというわけではない。
ティラノサウルスやヴェロキラプトルは人気が高いため、苦労してなんとか復活までこぎつけたそうだが、それだって結局、ティラノサウルスの方は本物とはかけ離れた全長二メートルのミニチュアしかできていない。
「デイノスクスだと厄介ですね。外皮が硬くてスタンバレットを撃ち込んでも電極が刺さらないし、水中にいたら探しづらい」
「幸いにしてと言うべきか、死骸の発見場所は水辺じゃない。ワニの可能性は低いだろうな」
「それは良かった」
メガラニアの外皮だってまあまあ頑丈だし、出血毒があるせいで噛まれると血が止まらなくなるという厄介な性質の持ち主でもあるが、それでもデイノスクスと比べればまだマシだ。
「三十分後に出発する。それまでに装備を整えて、資料をよく読んでおけ」
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