輪読会が、新六甲島の沈没を止めない……?
「いやいや、そんなことはないでしょう。そりゃ、ここまでの話で輪読会内にプランAを潰したい勢力がいるっていうのは俺にも分かりましたよ。でも、現に今までプランAが進められてきたってことは、輪読会内でもプランA推進派の方が多数ではあるんですよね? だったらその多数派は、せっかくここまで進めてきたプランAを、サピエンスの大規模反乱が起こったわけでもないのにこんなところで潰してしまうのは避けたいはずです。普賢の件にしたって、奪おうとした奴がいたってだけで実際に奪われたわけじゃないんですから、その程度の理由でプランAごと島を沈めるのはもったいないと考える方が自然でしょう」
「あー、君は輪読会について誤解をしているよ」
ユーレイ社長は苦笑した。
「確かに君の言う通り、輪読会内にはプランA推進派と反対派の両方がいる。でも、そのどちらも全体から見れば少数派なんだよ。そうだね。全体を百とすると、推進派が十五、反対派は十ってところかな。残りの七十五はどちらとも決めていない人達で、そしてその大半はどちらとも決められない人間だ」
「どちらとも決められない?」
「そう。プランA反対派は、ホモ・サピエンスを復活させるというプランAに自分達が手をつけたことそれ自体が歴史の復元力によるものなんじゃないかと怖れているってさっき言ったよね?」
「言いましたね」
「輪読会にはね、それ以外の決断についても同じような怖れを抱いている人間が多いのさ。自分達が何を選択しどんな決断をしても、実はそれこそが歴史の復元力の作用によるもので、自分達の決断は全部裏目に出てしまうんじゃないか――そんな風に怯えて、その結果として何の決断もできなくなっているんだよ。そんなわけで、いったん島を沈めるというプロセスが動き始めてしまったら、それを止めるという決断は彼らにはできないと思うよ。これまでプランAが着々と進められてきたのだって、推進派がそれだけ強いからというよりは、既に動いている計画を途中で止める決断ができなかったからだと言った方がいい」
頭が痛くなってきた。
優柔不断というかなんというか……。世界を裏から牛耳る悪の組織じみた存在のくせに、あまりにもらしくない。
「俺の理解が正しければ、輪読会っていうのはこの世界の絶対的権力者みたいな存在なんですよね? それがなんですか、その腑抜けっぷりは……」
「まあ、そんな風になるだけの経験を今までさんざんしてきたからっていうのもあるから、一概には責められないけどね。いくら人間社会の中で絶対的な力を持っていても、歴史そのものが相手ではあまりにも無力だということを嫌というほど思い知らされてしまっているのさ。学習性無力感みたいなものだね」
彼らがどれほどの苦難を味わってきたのかを知らない俺にとやかく言えるようなことではないのかもしれないが、しかしこれは困ったことになった。輪読会がそこまで弱気になっているというのは想定外だ。
どうする? 自ら決断することを怖れるようになった相手に、こちらに都合の良い決断をさせられるような手があるか?
俺はしばし考え、そして答えを出した。
賭けにはなるが、打つ手が無いわけじゃない。
「それでは、こうするのはどうでしょう」
そうして俺は、たった今立てたばかりの作戦をユーレイ社長に伝えた。
ユーレイ社長はにやりと笑う。
「なかなか面白いことを考えるね。私の見るところ、勝算は五分五分ってところかな。まあ、どうするかは君が決めるといい。私はそれに従うよ」
さっきそのことで俺を怒らせたばかりだというのに相も変わらずどこか観客気取りの物言いだったが、協力が得られるのならひとまずは良しとしよう。
「それじゃ聞いての通り、俺達はこれから輪読会と対決するので、班長は一足先に地上に戻っておいてくれません?」
俺が班長の方に向き直ってそう伝えると、班長は心外だと言わんばかりの表情になった。
「私だけ蚊帳の外か?」
「えっ、だって班長がここにいたって何の役にも立たないですし……というのは半分冗談で、忘れてるかもしれませんが、今、上ではフトゥロスが二十五頭も脱走してるんですよ? それなのに、フトゥロス対策を指揮するよう言われている第一班のうち、上に残ってるのはツツジだけです。これがどれだけまずい状況かは言わなくても分かりますよね?」
ツツジが指揮能力についてはからっきしなのは班長もよく知っているだけに、これには反論できないようだった。そこへ畳みかけるように、言葉を重ねる。
「島が沈むのは俺達でなんとか止めます。だから班長は、その後のことについて今のうちに対策を立てておいてください」
「……分かった」
班長はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、結局はそれを飲み込んで先に地上へと戻っていった。
その背を見送ったところで、背後から声がかかる。
「あの様子だと、君の本意に気づいてたんじゃないかな」
「本意? なんのことです?」
「輪読会に、君をここに連れ込んだのはミナ君じゃないかと疑われるのを避けたかったんだろう?」
俺はミナ班長の直属の部下なので、その俺と班長が揃ってここにいた場合、班長が連れてきたのではという疑いを輪読会側が持つのは自然なことである。そして歴史の復元力相手には弱気になっているとはいえ、輪読会が今の人類社会において絶対的な権力を持っていることに変わりはない。そんな輪読会に睨まれてしまったりしたら、班長の立場がかなりまずいものになるのは想像に難くないし、班長に止められておきながら勝手に後をつけてきた俺としてはそういうかたちで迷惑をかけるのは避けたかったのだ。
そんな俺の本意をあっさり見抜くとは、この社長、無責任男のくせに勘だけは妙に鋭いようだ。
いや、班長も気づいていたというのが事実なら、単にさっきの俺が分かりやすすぎただけか。
「まあ、俺の本意に気づいた上で『そんな気遣いなど無用だ!』とかごねずに素直に言うこと聞いてくれたんだとしたら、うちの班長もずいぶんと成長したものですよ」
「君のそれは、いったいどこから目線なんだい? ……ところで、それだと君をここに入れてしまった責任は私が問われることになるんじゃないかと思うんだけど、私のことは庇おうとはしてくれないのかな?」
「社長が査問にかけられようと死刑になろうと俺は気にしないので」
「これは酷い」
酷いとか言いつつ、当人もまったく気にしてなさそうである。その証拠に、愉快そうな表情で次に言った台詞はこうだった。
「まあそんなことより、ミナ君も行ったことだし、さっそく輪読会と対決といこうじゃあないか」
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