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迷子の句読点
迷子の句読点

【第七話】生徒指導室

公開日時: 2024年5月21日(火) 06:00
文字数:2,119

 最後にこの感触を味わったのはいつだったか。握り拳に響く鈍痛に、私の全身は鳥肌を抑えきれなかった。まるで懐かしの友と再会するかの如く、私は歓喜した。

 私に突然殴られた西岡。その可愛らしい顔を守る余裕もなく、もろに私の拳がめり込んだ。西岡は音を立てて床に倒れこむと、顔を手で押さえ、唸りながら悶絶した。だから歯を食いしばれと言ったのだ。ものの数秒で起こった出来事に、教室にいる者は皆唖然とした。ほとんどの奴らが目を丸くして口を大きく開けている。


 しかし、さすがは西岡の子分だ。親分が殴られたと理解するや否や、私に向かって罵詈雑言の嵐を浴びせてきた。だがどうだ。奴らときたら死ねだの最低だの、挙句の果てには卑怯だの。いったい、どの口が言っているんだか。ほとほと呆れる。

 やがて、子分たちが暴言を吐きながら私に詰め寄ってきた。うるさすぎて何を言っているのかよく分からなかったが、強烈な敵意はしっかりと感じる。子分のひとりが、鼻息を荒くして勢いそのままに私の肩を強く叩き押した。

 その直後、私はそいつの顔面にも拳を放り込んでいた。西岡と同様、そいつも床に倒れ込み、顔を手で押さえて悶絶した。そしたらどうだ、たった今まで見せていた威勢が嘘のように泣き喚き出したではないか。つまらん奴だ。


 もう2人殴った。退学だな……。


 そうと決まれば、中途半端はしない。ひとり殴ろうが10人殴ろうが、結果は一緒だ。

 失うものがない人間は何をするかわからない。この言葉を今更理解した気がする。震えて動けなくなった最後のひとりに拳骨を喰らわせたところで、教室に担任が飛び込んできた。何をしているかと怒鳴り散らし、私を睨みつけてくる。

 いつの間にか、教室の周りには大勢の野次が集まっている。物好きな奴らだ。これが人間の本質なのかもしれんがな。

 野次と化した生徒の群れをかき分けて、数人の先生まで入ってきた。無傷の私の周りで4人も悶絶しているんだ、先生たちが驚くのも無理はない。先生に連行されるとき、今しがた登校してきた川村と目が合った。もちろん生徒指導室行きだ。私や西岡たちの親も呼び出された。事情を聴いた母の顔は真っ青だった。朝からそんなんじゃ、夜になるころには干からびてしまうぞ。


 さて、生徒指導室には校長と教頭、私のクラスの担任、生徒指導の先生と、勢ぞろいだ。契約の儀式をするでもなし、早く退学にすればいいのに。顔に絆創膏やら湿布やらを張った西岡と、その子分たちと向かい合うように座らされた私と母は、向かい合う奴らの親に睨みつけられた。


 なんだあんたら。私に喧嘩売ってんの?


 気に食わないから、ひとりひとり丁寧に睨み返してやった。気にする事はない。挨拶代わりだ。うむ。子が子なら親も親。睨み返せば一瞬であちらから目を逸らしてしまった。だったら最初から睨むなと言いたい。

 そんな私の隣で、母はしきりに頭を下げている。何度も何度も。申し訳なさそうに。

 母よ、こんな奴らに謝る筋合いはない。だから頭なんて下げるな。まるでこっちが悪いみたいじゃないか。まぁ、確かに私が悪いんだが。軽くため息をついて、やれやれと言わんばかりに少し首を振った。そんな態度だから、担任の堪忍袋の緒が切れたようだ。突然怒鳴りだした。


「お前には悪いことをしたという気持ちがないのか!」


 .....は? なんだこいつ。脳みそ半分溶けてるんじゃないの? 


 そうよそうよ、と同調する敵の声が響く。母も謝りなさいと強く迫ってくる。


「なんとか言え! 謝らんか!」


「いじめを止めようともしなかった腰抜けが、また随分と威勢の良いものですね」


 満面の笑みでそう言うと、一瞬で部屋が凍り付いた。沈黙し、重苦しい空気へと一変する生徒指導室。さっきまで黙ったままだった長と教頭が少し動いたのが分かった。

 私にまずいネタを暴露された担任と西岡たちは、慌てたのか顔を真っ赤にして騒ぎ出した。それにしてもうるさい。私は聖徳太子ではない。文句があるならひとりずつゆっくりと言え。それからいじめが暴かれるのに、そう時間はかからなかった。


 その後、生徒指導の先生に説教を貰ったが、なんだか優しい物言いだった。

 校長と教頭も、私に人生の教訓のようなことを言っただけで、怒鳴ることはしなかった。その時に校長が言っていたことが妙に頭に残っている。私はその場で停学処分となった。てっきり退学と思っていたものだから、素直に喜ぶと、頭を下げていた母が私の頭をはたいた。

 しかし、何故校長は私を停学にとどめたのか。4人も怪我させたのに、これでは張り合いがないだろう。まあともかく、幸運だった。今はそこに感謝するべきだろう。

 私が恐怖を覚えたのはその直後だった。校長の優しかった目つきが豹変し、担任と西岡たちに校長室に移動するように伝えたのだ。その表情は怒っているという範疇はんちゅうをとうに通り過ぎたもので、校長には悪魔の化身が宿っていると思ったほどだ。まだ陽が昇って数時間しか経っていないのに下校した。母も一緒で、なんだか新鮮な感じがする。

 しかも珍しく褒められた。さっきは悪く言ってすまなかった、お前は自慢の娘だ、だと。停学になったのに褒められるとは、私もなかなかどうしてヘンテコな人生を歩んでいるものだ。

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