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迷子の句読点
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【第十三話】京子の父1

公開日時: 2024年5月27日(月) 06:00
文字数:1,397

 「今日はもう帰るよ」


 京子のすべてを知った私は、絶交などしないと約束して帰る支度をした。今日はもう遅い。それに、京子もこんな話をした後で勉強などしたくないだろう。確かに川村家が信仰する宗教は気味の悪い……というか、ポンコツとさえ思える宗教だった。だが、それが私と京子の繋がりを断つ魔力を持っているわけではない。たかが宗教ごときに、人間関係を左右されてたまるものか。強い意志を胸に鞄の紐を肩にかけたところで、一階から声が聞こえてきた。


「おーい、早田さん、夕食を食べてお行きよ」


 京子の父の声だ。京子の顔は強張った。父は言い出すと聞かないと、私に謝る始末だ。しかし、私は喜んで夕食を頂くことにした。そりゃあ、宗教の代表で、しかも熱狂的信者だなんて裏を知ったら、少しくらいは怖いものだ。だが、相手は人間である。断じて悪魔などではない。そのことを忘れさえしなければ、怖いものは無いのだ。

 京子と一緒に1階に降りると、おいしそうなクリームシチューの香りが食欲をそそった。丁度、京子の父もいい香りに誘われて来たところだ。私はお礼を言った。


「夕飯までご馳走していただいて、ありがとうございます」


 京子の父は、私たちは既に家族のようなものなのだから、そんなにかしこまった礼はいらないと笑った。うむ、やはりいい人じゃないか。人間性においては比類のないお方だ。京子の案内に任せて席に着いた。テーブルには真っ白なテーブルクロスが敷かれ、その上にいくつかの小さなキャンドルが置かれており、こんがりと焼かれたパンがある。清潔すぎてどうも落ち着かない。お行儀よく食べないと恥ずかしい雰囲気だ。

 すると、キッチンから配膳を終えた京子の母が姿を現した。おいしそうなシチューが湯気を上げて、私の前に置かれた。ひと口サイズに切られたジャガイモに柔らかそうなカリフラワーをニンジンの鮮やかなオレンジが彩る。そこから覗く鶏肉もおいしそうだ。なんと羨ましい。毎日ここでご馳走になりたいものだ。すると、京子の父が言った。


「すまないが、決まりだからわかってくれたまえ」


 どうやら、命を頂き今日も飢えることなく生きられることを感謝するための礼拝を必ず食前にするらしい。いわゆる「いただきます」だ。

 京子の父は左手を右手に被せる形で両手を握り合わせると、目を閉じて少し上を向いた。それにつられて、京子と京子の母もその動作を行った。何ひとつわからない私はその様子をポカンと見ていると、京子の父が優しく所作を教えてくれた。

 形だけだが、私も祈りを捧げることになったのだ。京子の父は何やら訳の分からない呪文を唱えると、そっと目を開けて「諸君、頂こう」と言った。

 食卓は静かであった。まるでどこぞの王家の会食だ。まあ、食と宗教が密接に関わっているのならこうなるのも至極当然だ。しかし、私はあの賑やかな食卓しか存じえないから、この静けさは逆に落ち着かない。これじゃあシチューの味も分からないと思っていたら、京子の父が話しかけてきた。その時、私の隣に座る京子の表情が曇ったのが何故か分かった。


「早田さん、私が怖いかね?」


 突然の質問に、私は理解が追い付かなかった。京子の父はにこやかな笑顔と柔らかな口調でさらに続けた。


「私の宗教に興味があるかね?」


 京子の表情はますます暗くなっていく。

 その瞬間、悟った。この男がなぜ私に夕食を馳走したのか。他の何物でもない。これは宗教の勧誘だ。

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