よもやよもやだ。川村が私に勉強を教えると言い出して三日経った。はじめこそ嫌気が勝って集中できなかったが、進めるうちに言葉には表せない面白さを感じるようになった。
難しいとばかり思っていた数学が意外と単純なものだったり、つまらないとばかり思っていた日本史が、実は奥の深い人間ドラマの連続だったりと、勉強というよりも、学問の魅力に触れた気がした。
正直、とても楽しい。あれほど勉強嫌いだった私がこうも勉強を楽しめているのは、どれもこれも川村の教え方にある。川村の解説は、追試常連客と呼ばれる私にでも一度で理解できるほどわかりやすく、その内容が滑るように頭に入ってくる。語呂合わせや比喩表現だけでなく、「AがAであるのは、XがXであるから」と、それそのものの仕組みと、そうなる理由を無駄なく要約して、なるべく噛み砕いて教えてくれる。
加えて、演習問題や応用問題で正解すると自分のことのように喜んでくれるのだ。逆に、私がどんなに間違えようと笑いに変えてくれた。数学の計算なんかも、私のやり方には一切ケチを言わず、どんなに苦戦しても待っていてくれた。川村はただ賢いだけでなく、人として完成している。それからというもの、川村が家に来るのが待ち遠しくなった。
母と父も川村を歓迎した。そりゃあ、無償で馬鹿娘の家庭教師をやってもらっているのだから、歓迎のひとつでもするだろう。
しかし川村は謙虚な奴で、母がケーキを出しても遠慮するし、父がなんと素晴らしい子だと褒めても謙遜する。その態度を見て、母と父はより一層、川村を気に入った。
停学処分も5日目となった。いつものように川村が家に来て、勉強を教えてくれる。今日は日本史だ。
川村は特に日本史が得意だった。単に暗記科目として点が取りやすいということもあるにはあっただろうが、それ以上にほかの教科にはない魅力があるのだという。
それにしてもわかりやすい。学校の先生よりよっぽど良い。どうやったらその小さな口から流れるように文言が出せるのか。
気になって、なぜそんなにわかりやすいのか、教えることに何か自分なりのコツでもあるのかと質問した。川村は細い首を横に振って、私は人の真似をしているだけだと答えた。どういうことだと聞くと、何故か川村から元帥海軍大将、山本五十六の名が挙がった。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
これは山本五十六の名言であり、教育訓であると川村は言った。川村は、山本五十六は私が最も尊敬する人物のひとりだと言って目を輝かせた。
どうやら、川村はこの教育訓を基に私に勉強を教えていたようだ。真似とはいえ、この場で実践できることは脱帽ものだ。川村が帰宅した後、このことを食卓で喋ると、予想通り両親はさすがだと感激した。お前も川村さんを見習えと言い出す始末だ。そんなことはこの私がよくわかっている。
ものの数日だったが、停学が明ける頃には、私の学力は以前とは比べ物にならないものへと変貌していた。成長した私を見て、川村はたいそう喜んでくれた。その笑顔を見るのが、私はたまらなく好きだった。
明日は久々の学校である。私の成長した姿を見せてやると、珍しく学校が楽しみになった。
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