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迷子の句読点
迷子の句読点

【第九話】進め

公開日時: 2024年5月26日(日) 17:00
文字数:1,665

 早田による暴力事件から数日が経った。父と母は絶望していた。私が退学になることは、まず間違いないからだ。だが、その絶望は私に向けたものではないことくらい、もうわかっている。私も覚悟を決めている。どんな未来だって受け入れてやる。心の充実を感じる。もう逃げない。私は私だ。私の人生は私のものだ。


 今日は校長に呼び出しを受けている。身支度を済ませ、いま一度鏡の前に立つ。瞼の痙攣はいつの間にか収まっていた。鏡の前のあなたはもう、私を嗤ってはいない。私はにんまりと笑って、こう言ってやった。


「ふん、ざまぁみろ」


 自主退学勧告。今しがた、校長から言い渡された言葉だ。法的な効果があるわけではなく、あくまで勧告であり、これに応じる義務はないらしい。勧告を無視したからと言って、強制的に退学処分になるわけでないので、熟考して決めてほしいと校長は言った。


「いじめの件に関して、川村くんは裁判を起こすつもりはないと言ってくれた。君の事情を察してのことだろう。ここからは君の意思を尊重する」


 校長の声色は重苦しかった。見守っていた生徒が、たった今から、いじめという最悪の所業により退学になろうとしているのだ。無理もない。だが、私の意思は変わらない。私はもう、この学び舎に相応しい人間ではない。


「退学します。校長先生、本当に申し訳ありませんでした」


 そうかね……。ひと言、校長はそう言うと、ソファから立ち上がり、まっすぐに私の目を見た。


「西岡くん。君のしたことは決して許されることではない。これから降りかかる罰が、君にとってどれほど耐え難いものであっても、拒絶することなく受けいれなければならない。その覚悟が君にあるかね?」


 力強く「はい」と答えた私を見て、校長は少しだけ、ほっとした顔になった。


「君にはチカラがある。人生はこれからだ。君がすべての罰を受けた後、きっと幸せになれることを願っているよ」


 その言葉を深く心に刻んだ私は、一礼をして校長室を後にした。校長はこちらに背を向け、動かなかった。校舎を出て、もともと自分がいた教室を見上げた。お別れの言葉など言える身分ではない。謝りに行くのも身勝手である。


ただひとつ、心残りなのは、早田……お前にありがとうと言えなかったことだ。




 家の前まで来ると、大きな声が聞こえてきた。両親の声……何やら言い合いをしているようだ。最近、両親はよく喧嘩するようになった。その原因が私であることくらいはわかる。父も母も、いかに自分自身の面目が第一とはいえ、私にいい将来を与えたかったという気持ちがないわけではなかっただろう。その気持ちをないがしろにしたのは、今思えば申し訳ない。ただ、私には重荷だった。それだけのことだ。

 その日の夜、両親と話し合った。最終的に、高校卒業の資格を取るために他の全日制高校の編入試験を受けることで話は落ち着いた。全日制の高校で、編入を受け入れている高校は山ほどある。ただ、両親が出した条件は、私を親戚の家に預けるということだった。親戚の家は、私が今住んでいるこの場所から遠く離れた地方にある。既に了承を得ているらしい。このふたりは、私という疫病神を追い払いたいのだろう。一刻も早く家を出たい私にとっては、幸運が舞い込んできたようなものだ。


 数日後、正式に高校を自主退学した。家に届いた通知書を見て、胸に熱が籠った。この通知は、新たな門出の印である。私の人生は今、始まるんだ。

 早朝、大きなボストンバッグを背負った私は、大きな駅のホームに来ていた。これから、この足で親戚のもとに行き、編入予定の高校の編入試験を受ける。見送りなど、ひとりも来なかった。すでに罰は始まっているのだ。

 やがて、新幹線が到着した。平日の真昼ということもあって、車内はがらんとしていて静かであった。親戚の住む地方まで、4時間はかかる。私の生まれ育った故郷としばしの別れを告げる。発車のアナウンスが流れ、ドアが閉まった。


 ゆっくりと、進みだした。やがて加速し、流れるように景色が変わっていく。窓にうっすらと映るあなたは、いつになく微笑んでいた。

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