笑顔を振り撒く者ほど怖いのかもしれない。今しがた、私は京子の父にこの宗教について教えを説かれた。信じたくはないが、これは紛れもなく宗教の勧誘だろう。私の隣に座る京子の表情が、見る見る暗くなっていく。
しかし、心配はいらない。私に宗教を理解し信仰するほどの教養はないし、学もない。そもそも頭が悪いのだから、宗教に魅了されることもない。京子の父は優しい口調で語りかけてきた。
「尖った目つきだ。そう怖がらなくてもいい」
生まれつきの悪い癖だと嘘をついてみせた。
「早田君、君は神をじるかね」
「わかりません」
この男の、この満面の笑みは……。
「もうじき、世界は悪魔の手によって滅亡の危機に直面する。慈悲深い主は、我々に悪魔を倒す力をお与えになった。早田くん、君も私の宗教に入信し、聖戦士とならないか。共に戦って悪魔を討ち取り、楽園に行こうではないか」
もちろん、丁寧にお断りした。話のヘンテコさときたらない。下手なファンタジーアニメでもここまで酷くはならない。京子の父は残念がるわけでもなく、にこにこと笑っている。それがこの男の異常性を倍増させていることは言うまでもない。
だが、私は負けない。私には、京子という何者にも代えがたい友人がいるんだ。京子の父よ、折角の勧誘を蹴った挙句、口を挟むようで悪いが、私の一声を胸に刻め。
「京子を宗教から解放してあげて下さい」
京子は驚いた様子で私を見た。驚くな。私は京子の思いを代弁しただけだ。本来、家族なら気軽に本音を語り合えて当然のはずだ。それが理想の家庭環境というものだ。他人の家の教育理念にケチをつけるつもりはないが、この家族が行っていることは教育ではない。それなのにこの家ときたら、父の教えが絶対だと? ふざけるな。
京子の両親から笑顔が消えた。今までの笑顔が嘘に思えるほど無表情になってしまったではないか。怒っているのが分かる。禁句に触れたことは百も承知である。しかし、だからと言って、報復を恐れてたった一人の親友を見殺すことはこの私が許さない。
「なんということだ……。私としたことが、一人娘の心情も理解せぬまま教えを押し付けていたようだ。大いに反省せねばなるまい」
京子の父から発せられた意外な言葉に、私は呆気にとられた。
「私は父親としてまだまだ甘かったようだ。京子、すまなかった。どうかこの私を許してくれ」
京子にとってもこの状況は意外だったのだろう。京子は小さな声でいいよと言って許した。すると、京子の父は再び笑顔に戻り、にこやかに話し始めた。
「さぁ諸君、夕食を続けよう。冷めてしまってはおいしさが減る」
その後は、他愛のない談笑で空気が和んだ。なんだ、やはりいい男ではないか。京子を宗教の鎖からあっさり解放してみせた。京子と私は顔を見合わせ、静かに歓喜した。帰り際、京子の父が私に言った。
「早田君、ありがとう。君に指摘を受けなければ、私はこのまま京子を苦しめていたに違いない」
感謝などしなくてもいいのに、なんて丁寧な人だろう。礼には及びませんと言ったが、京子の父は感謝の言葉を絶やさなかった。帰路で京子からメールが来た。ありがとう、と。よかったな、とだけ返信すると、この照屋さんとからかわれた。照れてなどいない。私は当然のことをしただけだ。しかし、物わかりの良い父親で安心した。これで京子も自由になることだろう。暗い夜道で誰もいないことを確認すると、柄にもなくスキップをして帰った。
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