両親は私を愛さなかった。父はあの有名な銀行の幹部、母は大学の教授である。幼い頃から勉強を強いては、お前は必ずあの大学に行き、あの企業に就職するのだと言い聞かせる。2人の兄と、1人の姉もそうやって育っていった。
皆、有名な私立高校付属の一貫校である中学校から成績トップで高校に入り、父の定めた大学に合格している。2人の兄は某大手企業への就職も果たしている。こんなことを自分から言うのには少々の抵抗があるが、この家族は自他ともに認める、いわゆるエリートなのだ。
父も母も、結果を出せば褒めてくれた。兄も姉も、常に成績はトップを独占しているものだから、父に怒鳴られているところなど見たことがない。結果がすべてなのだ。結果が良ければ、夜遅くまで遊んでいても何も言われないし、小遣いだって貰えた。
順調に結果を出し、敷かれたレールの上ではあるが、華々しい道を行く兄と姉。その背中を見て育った私は、エリートになって当然だということに違和感を抱かなかった。私もきっと、輝かしい成績や賞を取り、父と母を喜ばせて見せる……そうしたら褒めてくれるに違いない。
しかし……。私には才能がなかった。私立中学の頃から成績不振となり、付属高校に上がれなかったのだ。遊んでいたわけではない。むしろやりたい部活を我慢して勉強に励んだ3年間だったのに……。私の頑張りは結果に響くことなく、教師からは無慈悲に他高校の受験を命令された。進路面談が終わった後、家で父は私の髪を掴み、頬をカー杯叩いた。何度も何度も……。母はただ見ているだけだった。その目は冷徹そのものである。私は泣いて、やめてくれと頼んだ。だが父の怒りは収まらない。誰も助けてくれなかった。父は顔を真っ赤にして、止めどなく私に罵詈雑言を浴びせる。
一家の恥さらし、学費泥棒、出来損ない、お前はうちの子ではない……。容赦ない物言いが冷たい風となって、私の胸の火を吹き消していった。
一家の恥晒しとなった私が私自身に対して心が冷めていったことは言うまでもない。高校では休むことなく頑張ります。必ず学年1位を取って見せます。だから私にチャンスを下さい。土下座した……。家族に土下座など、家族にあるまじき所業である。父は顔を歪ませて私を見下ろしていた。
その時か? 私の中で何かが切れる音がしたのは。今となってはもうわからない。ただその時、私ははっきりと思考した。脳裏に鮮明に文字が浮かぶほど、はっきりと、こう思考したのだ。
私の人生は誰のものだ……?
これが引き金になったのか。家族に逆らえないことで募る反抗心と、エリートの道を行く兄と姉への嫉妬、一番になりたいという欲が私を歪ませた。
高校の女子生徒が皆、穏やかで大人しいことを悟ると、女子生徒の頂点に立ち、支配してやろうと企んだ。むろん、実行もした。私の予測は正しく、少し脅せば何でも言うことを聞く奴ばかりだ。意のままに人が動くところを見た時の快感は忘れらない。そんな私の威を借るようにして、側近のような奴らも数人できた。私にとって、そいつらが何よりの友達だった。
高校1年生の頃は成績トップを取り続けた。先生からも大いに期待された。同時に女子を支配する立場にあることから、生まれて初めて味わう頂点に立つことへの優越感は、まさに蜜の味と言っても過言ではない。私はそうして自信をつけた。これが私のやり方だ......。
2年に上がる頃には、私に逆らう者は皆無だった。厳密に言うなら、進級して同じクラスになった早田という奴だけは私に従わなかった。というよりかは、私がそうしなかった。もちろん何度か圧力をかけたことはある。だが、そのすべてを早田は睨み返すだけで拒絶した。私も早田も、舐められたら終わりだという理念は共通しているらしい。こういう奴は何を言っても聞かない。それに、早田の尖った目つきはただ者ではない。こうして、必然かのように私と早田は不干渉となった。
仲間からもなぜ早田に手を出さないのかと問われたが、大した理由ではないと言って、答えなかった。私の邪魔をしなければそれでいい。その代わり、お前の居場所を失くしてやる。クラスの女子生徒に、早田と仲良くした者は容赦しないと脅しをかけた。これだけで見事、早田は孤立した。それでもあいつは顔色ひとつ変えなかったが、居心地は悪くなっただろう。
なんと気持ちのいい……。人の上に立つことで、こんなにも素晴らしい景色を見られるとは。私の居場所はここにあった。クラスに転入生が来ることが分かったのは、まさにその時だった。
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