しばらくの月日が経った。特別変わったことはないが、微々たる変化はやはりある。ひとつは京子の髪形が変わったことだ。もともとは眼鏡にポニーテールと、いかにも地味なヤツだったのだが、共に過ごす時間が増えるにつれて、素顔が女優顔負けの美人であることに気が付いた。思い切ってショートヘアにしてみてはどうだと言ったら、恥じらいながらも了承したので美容院に連れて行った。美容院から出てきた時の京子は、まるで別人であった。どんよりと霧が張ったような雰囲気が一気に晴れ、輝きを帯びていた。ついでに眼鏡を外せば、道行く人の目を引くことはまず間違いなさそうである。それからというもの、京子は眼鏡を外し、コンタクトを付けるようになった。
学校の男子生徒からの見る目も明らかに変わっている。京子のあまりの変貌ぶりには少しだけ嫉妬したというのが、私の正直な気持ちだ。
もうひとつ変わったことと言えば、京子の目つきだろうか。明らかに以前とは比べ物にならないほど自信に満ちている。あの感情もクソもない、虚ろで濁った瞳が、いつの間にか透き通る赤茶色のガラス玉のように美しく、つつけば弾けてしまいそうなほど瑞々しいものになっていた。
もちろん、髪形を変え、コンタクトにすることで、美しくなった自分に自信がついたというのも多少はあるだろう。しかし、この不気味なほど自信に満ちた瞳には、明らかに不自然さを感じさせるようなものがあった。人形の目ん玉のような瞳と言えばいいのだろうか。どこかこう、生きているとは到底思えない「造った表情」をしていると思うことがある。
しかし、このことは本人には言わないことにした。言ったところで何かが分かるわけでもない。
受験生になる頃には、私の成績はかなり向上していた。学年の上位10人に食い込んだときは、追試の試験監督を常任していた先生に泣かれた。恥ずかしいからやめてくれ。校長や教頭にも、自らの成長を結果で示すとは見事、あっぱれ、と褒められた。
特に私の場合は、過去に西田だったか西岡だったか、気に食わない奴をひとり殴り飛ばして停学処分を喰らっている。そんな問題児がここまでの成長を見せたら、そりゃあ誰だって喜ぶだろう。
何もかも京子のお陰である。まず遅刻することがなくなった。勉強するときは集中し、遊ぶときは思い切り心を解放させ、メリハリを持って生活した。京子がいなければ、今の私はいない。京子も相変わらず成績が良かった。
しかし、やはりどこか変わった気がする。何がと問われても言葉にできない。独特の雰囲気と言うか、何というか。最近の京子は、どこか別の場所をよく眺めるようになった。それは遠い山の頂上か、どこまでも続く青空かはわからない。ただ、あの透き通った赤茶色の瞳で、ここには無い何かを見ようとしている。
……そんな京子が嫌いだった。そんな顔をしてほしくない。ずっと私だけを見ていて欲しい。京子は私の唯一の友達なんだ。生まれてこの方17年、やっとできた親友なんだ。ふたりは一心同体、以心伝心だ。
なのに、置いて行かれる気がしてならない。虚空を見つめる京子の瞳の中に、私はいない。このまま京子が、私の元からいなくなってしまいそうな不安があった。京子がいなくなれば必然、私は再び孤独となる。以前の私ならそれが常であった。しかし、今では到底考えられない。孤独というのがどんなに退屈で面白くないか。寂しくて平凡なものか、この私がよく知っている。
……京子に依存するようになっていたのはいつからだろう。相応しい選択方法ではないが、京子と一緒ならばという気持ちもあって、あの有名な国立大学を目指すようになった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!