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迷子の句読点
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【第八話】バカンス

公開日時: 2024年5月22日(水) 06:00
文字数:2,179

 これはバカンスだ。昨日の一件で停学処分になり、2週間の自宅学習を命じられたのだが、この私が大人しく勉強に勤しむはずがない。朝は母に叩き起こされて、しっかりなさいとは言われるが、そこまでだ。両親とも仕事に出たら、家に残るのは私ひとり。つまり、やりたい放題なのだ。

 しかし、何をしようにも私には趣味がない。ドラマも観ないし、ゲームもしない。下手に買い物に行けばなんとなく先生と鉢合わせそうな不安がある。時計の短い針は10の数字を回ったばかりだ。何をするかと考える時間は十分にある。だが、考えることに気を取られて何もせず終いでは本末転倒だ。ある程度は何の根拠もない、突拍子のない行動も大切であるというのが、私の信念だ。

 いやはや、人を殴ったのに実質2週間の休暇が貰えるとは。なんとも喜ばしい限りだ。またロクでもない考えをする私は、窓から外を見た。吸い込まれそうになるほどに濃厚な青空。胸が空っぽになりそうなほど大きな入道雲。草木の緑の艶は弾け、太陽が燦燦さんさんと照り付ける。どこからか、蝉の鳴き声も聞こえてくる。


 夏だ。


 久方ぶりに、季節の趣を感じた。そうなると、空調の利いた箱の中に閉じこもるのは勿体ないという思考に至るのはもはや必然である。私は胸を躍らせて外出の支度を始めた。数少ないお気に入りの私服を求めて、埃っぽい箪笥を開ける。なかなか見つからないので、奥の方を探ると、懐かしいものが出てきた。

 夏用のワンピース。白を基調とした可愛らしい服だ。確か中学3年のころ、少しは可愛くなれと母が買ってきた物だ。着た記憶は数えるほどしかないが。丁度いい。今はまさに夏で、あの頃から成長は止まっている。これを着よう。家には誰もいないのに、私は少し恥じらいながら鏡の前に立った。もともと男勝りな性格だから、なんだか小恥ずかしい。けど、今日はこのワンピースを着ないと後悔するような気がするので、思い切ってこの姿で外に出る。

 玄関に行き、サンダルを履いたところで気が付いた。そういえば、おばあちゃんに貰った麦わら帽子があったはずだ。折角おしゃれをしたのだ、徹底するに越したことはない。

 私はサンダルを脱ぎ棄てるとクローゼットに直行した。そこには色艶の良い、水色のリボンが巻かれた麦わら帽子が眠っていた。小さい頃は、これを被ってよくおばあちゃんと散歩していたものだ。少し大きくて、よく前が見えなかったのを覚えている。

 帽子がずり落ちるたびに立ち止まり、両手でヒョイと帽子を上げて、先に行くおばあちゃんに走って追いつく。柄にもなく、胸に熱いものがこみ上げてきた。

 感傷に浸っている場合ではない。私は外出がしたいんだ。麦わら帽子を被り、白いサンダルを履くと、気持ちよく玄関の扉を開いた。

 家の近くにある河川敷を歩いた。熱気に包まれる体。普段は不快なだけなのだが、今日は気持ちがいい。川の水が太陽の光を乱暴に反射している。川岸に近づき、そっと手を入れてみる。夏だというのに、鋭い冷たさだ。少しはぬるくなるものだと思っていた。なるほど、先入観ほど役に立たないものはないのか。

 冷たい川の、澄み渡る清涼感が、私をさらに楽しませた。立ち上がると、視線の先に山が見えた。山の中にはごま粒ほどの鳥居が見える。神社だ。山の中に神社があるのはそう珍しくはないだろう。

 あの神社は、古くからこの山自体を御神体として祀っており、どうやら神社の中でも由緒正しい、格式の高い神社だという。実は、我が早田家は、あの神社の氏子だ。毎年正月の初詣は決まってあの神社に行く。


 そうだ。私が停学処分で済んだのも、あの神社の氏神様のお陰かもしれない。日頃から健康な生活が送れるも、氏神様が私を見守っておられるお陰かもしれない。

 自然と、私の足は神社に向いた。山中にあるので少々疲れるが、登山するほど険しい道ではない。少し急な坂を登るだけだ。

 もっとも、神様に感謝の気持ちを伝えるためならこのくらい何ともない。私は駄目な奴だが、ある程度の信仰心というか、神様に対する畏敬の念はあった。親がそういうことにうるさかったのもある。神社での所作もそれなりに知っている。

 夏だというのに、境内は心地良く涼しかった。山の中にあるのもひとつの理由だろう。それに、とても静かで落ち着いた場所だ。まるで、俗世から隔絶された別世界のようだ。照り付ける太陽に耳障りな自動車の走行音、喧騒の日常から離れたという実感……。神聖だ。これほど身近に自然を感じたのは初めてだ。

 手水舎で身を清め、参道のわきを通り神前に向かう。小銭を賽銭箱に入れ、一度姿勢を正す。深いお辞儀を2回したら、胸の高さで手を合わせ、少々右手を引き、肩幅程度に両手を開いて2回打つ。手を合わせたまま心を込めて祈り、深いお辞儀をした。


 神様、ありがとうございます。


 帰り道、汗をかいたので近くにあったコンビニでアイスクリームを買った。これが格別に美味い。普段、この時間は授業中である。そう思うと尚おいしい。久しぶりに楽しかった気がする。

 だが、まだ昼過ぎだ。気分がいいから、家に帰ったら家事でもしょう。そう思いながら家の前まで来ると、誰かが立っているのが見えた。制服姿の女子......。あれはウチの高校の制服だ。すると、その人物はこちらに気づき、走り寄ってきた。段々と明瞭になっていく顔に、私は心底驚いた。


「川村……?!」

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