ああ、あぁ……。あぁぁあああぁ…………。
私は、私は……。
教えを受ける。
信じる。
やる。
見られる。
変な目で見られる。
怒られる。
恥をかく。
泣く。
疑う。
教えを破る。
打たれる。
強く打たれる。
痛い。
怖い。
泣く。
目が死んでいく。
考える。
何が正しいか考える。
正しさの壁に挟まれる。
ひたすら考える。
やってみる。
見られる。
変な目で見られる。
怒られる。
恥をかく。
打たれる。
強く打たれる。
痛い。
怖い。
泣く。
繰り返す。繰り返す。
信じて、信じて、信じる。
笑われて、笑われて、笑われる。
泣いて、泣いて、泣く。
考える。
わからなくなる。
わたしが、死んでいく。
ただ苦しいだけだった。
もう終わりにしたかった。
大切な人を守りたかった。
大切な人と一緒に、いきたかった。
突然開いたドアの音。アキの手を握っていた私の手はするりと解かれ、離れていく。一瞬だったその光景は、私にとって、まるで、数分にもなろうかというほどに、ゆっくりに感じられた。
屋上に現れた人物は、その場から動こうとしない。ただ、微かに口を開き、眉が狭まり、目を少しだけ見開かせている。
風が吹く屋上。どこまでも続くあおぞら。3人を囲み込むような入道雲。
思わず、私はわらっていた。
「ひさしぶりだね」
自然と笑みがこぼれる。
また、私をいじめにきたのね。
「……ここで何してるんですか」
その人物はこちらに歩み寄ってきた。
「ここは立ち入り禁止ですよ。今すぐ戻ってください」
風になびく髪を手で押さえ、その人は背後のドアに向かって指をさした。
「……すみません。……京子、行こ」
謝り、戻ろうとするアキがこちらを振り向く。だけど、私の足はその場から動かなかった。一歩も。
「西岡さん……だよね?」
もう、微笑むことしかできなかった。
西岡さん……。昔、あなたは私を虐げた。私はやり返さなかった。たった今だって、やり返そうだなんて思いは微塵も無い。だって、試練だったから。父の教えでは、あなたは私に試練を与える人だったから。
あなたの目は私と同じだった。何かと戦っていた。あなたは聖戦士だった。そう思ってた。
けど、違った。あなたは震えていた。迫り来る何かに、静かに怯えていた。あなたは、聖戦士なんかじゃなかった。ただの可哀想な人。いつ来るのか分からない罰に、今も怯える哀しい人。
わかる? あなたは私と同じなのよ。
どこに向かえばいいのかわからないけど、どこかに辿り着きたい。考えて考えて、考え続けて。やっと出した答えに向かっても、行く先々にいい景色なんて広がってなくて。変な目で見られて、笑われて、認めてくれなくて。……挙げ句の果てには、頬を叩かれて。最後には疲労と迷いの混じったため息が出るだけ。
けど、それは不幸じゃない。むしろ、贅沢な悩みなのよ。暖かな幸せの中に生まれ育った者が持つ嗜好品なの。ただ、私たちには環境が合わなかった。それだけ。
幸せな環境に居るのに、不幸を感じる自分に嫌気がさして、圧し潰されそうになって。
偶然なのかな。そんなときにアキと出会えた。
彼女は何も知らない。何でもかんでも気分次第。後も先も見ていない。そこに、根拠はない。
わかる? 彼女の醜さという光が、濃霧の中で途方に暮れていた私たちを、今日という日へ導いていたのよ。
「私のこと、覚えてる?」
「………」
西岡さんの、少し戸惑ったような表情。しかし、その表情はすぐに変わった。
「……覚えてるよ」
彼女は、まっすぐに私を見た。射抜くように。貫くように。まっすぐと。まっすぐと。
「早田と、川村だよね」
「そうだよ。あの時はいろいろあったよね、西岡さん」
「まぁね。あなたとも、早田とも、いろいろあったね」
「なんでここにいるんだ」
アキが、西岡さんに聞いた。西岡さんは、すぐにアキにこう返した。
「あんたこそ、なんでここにいるのよ」
どちらも、私に向けられた言葉ではない。なのに、ふたつとも私の胸の中の奥深くを大きく揺さぶった。何重にも積み重なった錘が嘘のように消えていく。足がふわりと浮き上がるほどの浮遊感と解放感が、私を襲ったのだ。
そうか──。
少しだけ、楽になった。
「西岡さん。学園祭、楽しんでる?」
長い沈黙から、突然話し出した私に驚いたのか、西岡さんはハッとした表情で私の方を向いた。
「うん。楽しいよ。いま、ここの3階でアイスクリーム屋やっててさ。すごく繁盛してる」
「ほんと? いいなぁ。おいしそう。私、アイス買って帰ろうかな」
久しぶりに、楽しくなってきた。ドアに向かって歩き出す。アキも、西岡さんも私に続く。
階段に続くスライド式のドアを開けた。吸い込まれるように、風が屋内に吹き込んでいく。
ねえ、ふたりとも。わかる? わたし、今ね、嬉しいの。だって、やっと見つけたもの。悩むようなことでもなかった。
私たちは、どこかに行かなきゃいけないわけではないし、どこかにいなきゃいけないわけでもない。学校も、家も、楽園も……。そんなものが、いったい私の何を決められるの?
この屋上だって、本当に私の行きたかった場所なの? 違うでしょ。私を追い詰めた何かが、私をこの屋上に連れ込んだのよ。そんなのいやだ。
いま、したいことは何? いま、私が行きたいところはどこ?
……屋上、暑い。
涼しい所でアイスが食べたい。
「アイス、楽しみだな」
それでいい。
ー完ー
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