ありがとう。川村から発せられた最初の言葉だ。とにかく外では暑くて敵わないので、川村を家に入れた。私が氷を入れたお茶を出すと、川村は悪そうにした。遠慮する必要はないと言ったが、やはり川村はお茶を飲まない。川村はいじめの被害者として事情聴取を受けて、今日も成績には影響しない扱いで早退になったらしい。
しかし、私に何の用だろうか。学校のお知らせなんかのお便りを届けに来たのなら余計なお世話だ。空調も効いてきたところで、色々と話を聞くことにした。
どうやら、私が暴力事件を起こしてから、西岡とその子分たちが川村をいじめていたことが確実であると決まったそうだ。
最初、西岡は子分らと共にいじめを否認したらしい。しかし、これ以上の抵抗は無駄と悟ったのか、意外にもその場でいじめの事実を認めたらしい。その光景は、かなりあっさりしていたという。
その他、クラスメイトの目撃証言なども多数集まったことで、西岡たちの非行は全て白日のもとに晒されることとなった。西岡とその子分が揃って退学になることは、もはや避けられないという。いじめを止めなかった担任も、クラスメイトの証言によって退路を断たれ、懲戒処分を受けることになるようだ。
うむ、従えてきたはずのクラスメイトに最後の最後で裏切られて破滅とは、川村にとっては爽快な展開だろう。私も思わず笑ってしまった。
川村はとにかく感謝の言葉を言い続けた。早田さんのお陰で救われたとか、自分を犠牲にしてまで申し訳なかったとか。別に、私は川村を救うつもりで西岡を殴ったわけではない。ただ、西岡が気に食わなかっただけだ。それに、自分を犠牲にした覚えもない。だがしかし、川村本人がそう感じているならそうなのだろう。
こんなにありがとうと言われたのは初めてかもしれない。私は冷静にそうかいそうかいと返していたが、内心悪い気はしなかった。
すると、川村は唐突に勉強のことを聞いてきた。そんなものやっている訳がないだろうと答えると、それでは駄目だと言われた。どうも川村は、私が停学になって授業が受けられなくなったことに罪悪感を持っているようだった。
川村からすれば、私は西岡のいじめから自身を救った救世主らしい。その恩返しに併せ、川村なりの落とし前をつけようと私に勉強を教えに来たという。何とも余計なお世話だ。私は丁重にお断りしたが、川村は一歩たりとも退かなかった。頑として私と一緒に勉強するのだと言い張って聞きやしない。停学期間中に学力が落ちて、成績が下がってしまったら、それは私のせいだと川村は言った。いやいやそこまで憂う必要はない。もともと私は追試の常連客で、成績に関しては失うものは何もない。しかし、それでも川村は聞かなかった。よせと言うのに、通学用鞄から教材とノートを取り出して机に広げる。
思っていたよりずっと頑固な奴だ。その元気をなぜ西岡にぶつけなかったのか、不思議でならない。とうとう私は参って、筆記用具を片手に川村の特別講義を受けることとなった。しかも、私が学校に復帰して間も無く始まる定期テストに向けて、毎日やると言い出す始末だ。
そんなことをしたら、私の脳が強制シャットダウンされてしまう。それでも川村はなるべく短時間で良質に教えると言って強制講義を始めた。
私のバカンスは早々に終わりを告げたのだ。
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