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迷子の句読点
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【第十一話】停学解除

公開日時: 2024年5月25日(土) 06:00
文字数:2,019

 人生とは何が起こるかわからない。ある日突然、昨日までとは違う世界を目の当たりにすることは大いにあり得るのだ。

 私の場合、それは今日起こった。停学が明けて2週間ぶりに母と一緒に登校し、校長室に向かった私は、まず校長先生に褒められた。


「君はよく勇気を持っていじめに立ち向かった。暴力はいけないが、その姿勢は誠に素晴らしい。本日をもって停学処分を解除します。今後も頑張りましょう」


 と、この上ない言葉を貰った。

 川村のために西岡を殴り飛ばしたわけではないが、周りから見れば私の行動はそう映るのだろう。素直に嬉しい。気持ちが弾みそうになるのを抑えながら教室に入ると、新しい担任とクラスメイト全員から笑顔と賞賛の声で迎えられた。勇者、救世主、かっこいい……といった所か。


 特に女子生徒からの崇められ方ときたら異常であった。助けてくれてありがとう、西岡の支配から解放してくれてありがとう、あなたのお陰で学校が怖くなくなったなど、今までに経験したことがないほど注目を浴びた。

 もちろん、川村を助けたつもりなどない。いじめは悪いことだから、弱い川村に代わって西岡に正義の鉄槌を下そうなんて考えは、この私には微塵も無かった。

 再三言うが、私が西岡を殴ったのは、単にあいつがかんに障ったからだ。何を勘違いしていたのかは知らないが、まるで女王のようにクラスメイトを従え、雑用に使ったり、気に入らなければ川村のようにいじめたり。従おうとしない私に対しては変に圧をかけてきたり、毎日のようにガンを飛ばしてくる始末。

 川村も川村で全く根性を見せないし、泣きべそかいてばかり。そんな両者の態度が気に食わなくて、私の喧嘩っ早い神経が刺激されたのだ。ただそれだけの理由なのだ。

 しかし、私の本能に任せた暴力が結果的にクラスを救う行動になっていた……少なくとも、そう見えていたというのなら、なんだか喜ばしい。

 川村からも人気者だねと言われた。ついこの間まで空気のような存在だった私が、クラスの人気者になる......。私がしたことは悪い事なのに、これでいいのだろうか……。心にわずかな引っ掛かりが残ったまま、私は日常に戻っていった。


 やがて、日を経るにつれて、私を褒める者は減っていった。しかしそれでいいのだ。クラスがあるべき姿に戻っていっている証拠だ。それからというもの、私は川村と毎日放課後に学校に残って勉強するようになった。理解することの爽快感ときたらたまらない。それもこれも、川村の教え方が上手いお陰だ。帰り道にはカフェで談笑したり、スイーツ店で流行りのスイーツを食べたり、河川敷で夕日を眺めたりした。


「私たち、立派な友達だね」


 川村からそう言われたとき、とても嬉しかった。これが友達......。本音を語り合える友がいることがこんなにも素晴らしい事だとは。川村のことを京子と呼ぶようになったのはこの時からだ。

 ある日の放課後、学校の都合で教室に残って勉強できなくなると、京子は私を家に誘った。行く、と即答していた。考えてもみれば、京子の家に上がるのはこれが初めてだ。普段から京子に勉強を習っているのだ、京子の親にはしっかり挨拶しなればならない。そう思って襟を正すと、京子は笑って、かしこまる必要はないと言った。


 いやいや、あんたほどの優等生のご両親なのだ。高貴なお方に違いない。そんなお方の家にお邪魔するのだから、少しは緊張もする。やがて京子の家に着くと、そこは意外にも質素な一軒家であった。

 私の身勝手な脳はお屋敷を想像していたものだから、かえって安心した。京子の案内で家に上がると、早速京子の両親と対面した。挨拶をすると、とても柔らかな笑顔で迎えてくれた。

 あなたが早田アキさんですね。うちの子を守ってくれてありがとう。いつかお礼をしなければならないと思っていましたと、京子の母が優しい口調で言ってきたから、なんの礼には及びませんと格好つけてしまった。

 京子が2階から私を自室に呼んでいるのが聞こえた。私は階段を上り、京子の部屋にお邪魔した。大きな書棚に整然と敷き詰められた無数の本。勉強机の小さな本棚にも、参考書やら教科書などが所狭しと並べられている。よく見ると、高校1年生のころの生物基礎の教科書まで保存してある。私はといえば、そんなものとっくに行方不明だ。

 教科書やらプリントが謎の失踪を遂げるのは、我が家の七不思議としてどこの家庭にでもあり得るはずだ。しかし京子は、プリントやノート、メモまでファイリングして残しているのだ。なるほど、整頓できることが賢さに繋がるのか。


 ……だが、私の目を奪ったのは整頓された本や教材の数々ではない。それは、壁に貼られた1枚のポスターだった。これは何だと聞いたが、京子は気にするなとしか言わなかった。


 なに、これ……。


 そのポスターには、血塗れの手が人差し指で天を指さすその上で、天使がその様子をにこやかに見守っているという、なんともおぞましい絵が描かれていた。

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