七芒星の【月】の光が消え、暗黒の世界が一時的に訪れているこの時間。少し開けた森の中でリヴィは木の上から耳を研ぎ澄ませていた。
闇ばかりで視界は頼りにならず、捉える感覚は空気の流れと湿った土の匂い、木々の揺らめきの葉音。その音に紛れて森の奥から小さな唸り声の様なモノと金属が擦れる様な音が微かに聞こえてきた。
獣の如き音が聞こえたと同時に辺りへと燐光粉《ケイバー》を振りかけるリヴィ。粉状のソレは木々や地面へと付着すると、地上に光を齎し始めた。
光によって露わになるリヴィの姿。少し痛んでボサボサ気味の黒髪が頬を撫で、黒曜石の如く黒い瞳が力強く前を捉えている。少年から青年へと移り変わろうとしている様な、微かに幼さが残る精悍な顔つきだった。
そんなリヴィから少し離れた木の下では、純白色の長髪を滑らかに靡かせている幼女――妹アンリの子供の様に小さな身体が照らされていた。
『――深淵に仇なす魂の御業! 震え、恐れ、首を垂れよ!』
碧色の大きな双眸をアンリの小さな口から、幼さを感じさせつつも力強い声で紡がれる詠唱が鈴の音の様に綺麗に響き渡った。
『万象慄きその一切を灰塵と化さん。霊法三ノ章一段【炎《イグニア》】‼』
魂から生成される霊力を練り上げながら詠唱が終了し、【霊法】の術が完成。アンリの背後で、炎の玉がいくつも現れて円環を成す。その勢いで風が吹き、赤バラ色の簡素なワンピースとその上に羽織っている同色のケープマントのフードがアンリの白髪の頭に被さった。
ケープマントの中からは小さな手が結ばれている。その手は少し青白い。
「けほっ。兄さん、準備できました! そっちはどうですか!?」
苦し気に軽く咳き込みながら、準備万端となったアンリが下からリヴィに声をかけた。燐光粉の光とアンリの炎によって彼の黒を基調とした腕むき出しの戦装束が照らされている。鈍色に輝く前腕から手の甲にまである薄いフィンガーレスガントレットと、心臓部を守るだけの胸当てが軽く反射していた。
リヴィはアンリのいるところまで飛び降りて、立てかけてあった長槍を持つ。鋭い穂先と何物も切り裂きそうな刃は取り扱い注意だ。
それを軽く振って上から見ていた状況をアンリに伝える。
「予想通りパーティ客のお通りだ。前方の草原地帯の方からアンダーが来てる。手前にロアが十一体とその奥にパペットが八体ってところだな。よっぽど俺たちとダンスを踊りたいらしい」
「では、盛った獣のお相手は私がしますね」
「なら俺は人型らしく息を合わせてみるか」
軽口もそのくらいに戦闘態勢に移る。
――人類の敵にして神の遣い【隷機《ミニステラ》】。その下僕たる【尖兵《アンダー》】がこちらへと襲い掛かってきているのだ。
奴らは独自の金属の様な硬い外殻でおおわれた無生物で、人型パペットと四足歩行の獣型ロアの二種類が存在している。どちらも人の体格の二倍はあり、見つけ次第殺しにかかってくる厄介者。
戦闘態勢に移ってから数舜もしないうちに、ロアが木々を縫って勢いよく駆けてきた。アンリの髪の様な純白というよりは『無』という言葉が正しいと思えるほどの無機質さを感じさせる。目も鼻も耳もなく、あるのは人を喰らうための大きく裂けた口に鋭い牙、何物も通しそうな鋭い爪だ。
しかし、その牙がこちらに届くよりもアンリの術の方が早い。
結んだ手を離し、五指全てを第一関節だけくっつける。すると背後の炎の玉が形を変えて刃を形成した。
『燃ゆる刃‼』
業の名を力強く言い放つと、炎の刃が木々を縫うようにして射出される。【霊法】で生み出された力は、自然の形を模しているだけなので衝撃はともかく、“神”由来以外のモノに燃え移る心配はない。
『――――‼』
五体のロアに炎の刃が着弾。断末魔の様な声が破壊音と衝撃に紛れてこちらに届く。
「そのまま行ってください兄さん!」
その言葉よりも早く、リヴィは長槍を持って駆け出した。ロアの残骸が燃え散らばる傍を走ると、残る万全のロアが魂ごと人体を喰らおうと襲い掛かる。しかし、それを気にする必要はない。
第二射が放たれ、リヴィの行く手を阻むことなく六体のロアを破壊していった。
視界が開けると、目の前には凹凸のない不気味な顔で、針金細工のような四肢をしたパペットがリヴィを囲うようにして向かってきている。
「そうはさせるか!」
アンリと同じく彼も術を発動させる。
生成される霊力を練り上げ、言霊を発することでリヴィも霊力を現象へと変えていく。
『深淵に仇なす魂の叫び! 矮小なるこの身に無垢なる未来を脈動させ続け給へ! 霊法一ノ章【駆動廻希《エクタシス》】!』
膂力増大。皮膚強化。五感を拡張・第六感顕現。思考・反射加速。魂の情報書き換え完了。肉体へと反映。
――と同時に、リヴィは地を亀裂が入るほど踏みしめ、脚に溜まった力を使って蹴った。
見た目は変わらずとも、人を超えた駆動が全身に走り、前にいたパペットへ一瞬で迫る。そのままの勢いで、右手に持つ槍をパペットの顔面に突き出した。
「さぁ激しく踊ろうか!」
槍は貫くどころか、顔面を砕いた。顔を失ったパペットが噴水の様に青い体液を撒き散らしながら膝の様な箇所から崩れ落ちる。
それに構わず、頭上で槍を回して後ろから迫っていたパペットの胸に突き刺した。
二体目排除。
残りは三体。こちらを伺う様にジリジリと距離を保とうとしていた。
——これなら……!!
と、パペットの隙をついてリヴィは詠唱をし始める。誰の目にも分かる絶好の機会だ。
『深淵に仇なす魂の御業! 震え、恐れ、首を垂れよ!万象慄きその一切を灰塵と化さん。霊法三ノ章一段【炎《イグニア》】』
アンリが唱えた詠唱と一字一句違わない文言。
けれど、事象だけは違う。
リヴィの場合は、何も起こらなかった。体内に脈動する霊力すら微動だにしない。
思わず歯噛みし、心の中でごちる。
——また失敗だ。
「兄さん!!」
焦るアンリの声が背中に届く。
前を見れば、隙を晒したリヴィに向かってアンダーが飛び交って来ていた。
「チッ——!」
舌打ちを一つ。
逸れていた戦いの意識を正面に戻し、闇雲に突撃してくる三体目に向かって槍を突き刺す。
間髪入れずに四体目。鋭く腕を鎌の様に振るってきた四体目のパペットを飛び上がって躱して頭上から頭を突き刺した。
頭に突き刺さったままの四体目パペットを、着地と同時に五体目に思い切りぶつけて粉砕。排除完了。
残りは、大木を足場に立体的な動きをして胸を突き・首を斬り飛ばし・頭を手で掴んで地面へと叩きつけた。
これで殲滅だ。
術を解いて一息吐くと、先ほどよりも血色が良くなったアンリがフードを外して、たたたっと近づいてくる。
「お疲れ様です兄さん! 大丈夫ですか!?」
「ああ、アンリもお疲れ。大丈夫だよ。援護ありがとう、ばっちりだったよ」
リヴィは腰の位置にあるアンリの頭を撫でた。絹糸の様に柔らかな髪がゆらゆらと揺れる。
手のひらからの温かみを感じたのか、撫でる手を上から被せて可愛らしくアンリがはにかんだ。
「えへへっ! あんなの私の手にかかればお茶の子さいさいです! 兄さんもいるんですから!」
「だな。俺たちが揃えば――」
「さいきょーです‼」
頭から手を離し、こつんとリヴィたちは握った右手でタッチする。
二人にとって恒例のやりとり。
終わればリヴィは槍を背負い直して、腰に吊り下げていた二十四まで目盛りが付いた棒状の特殊な砂時計を手に取った。
何もないところから下から砂が現れては溜まっていた砂を上に押し上げていくのが分かる。
二十年前にとある凄い人が作ったという【夜】と【月中】の境が分かる【砂時計】というこの道具。一目盛り一時間と定められている。
砂は、二十三のところまで溜まっていた。
「さて、燐光粉《ケイバー》の効力ももうすぐ切れる。【月中】の時間まであと一時間だけど、どうする?」
「私の調子ももうすぐで完璧になりますし、どうせならこのまま本丸を叩きましょう。アレだけの数がいたんですから、隷機ないしは大型アンダーもいるでしょうし。放っておくことは出来ません」
「だな。アンダーの残骸だけじゃあんま金にもならないし、資金調達のためにも狩っとくか」
「相変わらずの守銭奴っぷりですね」
アンリが苦笑する。
「金は大事だからな。狩れる時には狩っとかないと、ろくに飯も食えやしない。アンリだってもうその辺の野草を食べるのは――」
「嫌です。絶対に」
かぶせ気味にアンリは野草を拒絶した。柔らかな笑みは一瞬で崩れ、無になっている。
まぁその気持ちはよく分かると、リヴィも内心同意した。独特の苦みとえぐみ、アレだけはどう調理しても美味しくならないのだ。
「それじゃ、帰ったらおかみのところに食べに行こうか」
「賛成です! おかみさんのご飯は美味しいですから!!」
今度はこれまた打って変わって嬉しそうに、ぴょんぴょんと跳ねるアンリ。
そうこうしているうちに燐光粉の光が点滅して辺りが完全に暗くなり始める。照射の時間切れだ。
「さて、【夜明け】まであと少し。お金稼ぎと美味しい料理を食べる為に、もうひと踏ん張りと行くか」
「はい!」
リヴィたちは再び燐光粉を振りかけながら、敵がいる草原地帯へと向かう。
さぁ今日も戦いの一日が始まるのだ。
この常夜の世界から【おひさま】を取り戻す為に。
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