グリーウォルフ家が拝領しているのは六大王国のうちの一つ、テール王国。精霊に愛されし王国という呼び名を持つ気候と地形の豊かな国である。
この世界は人の統治する六つの王国と三つの少数民族。そして、精霊の統治する七つの国で成り立っている。精霊の国は物質界には存在しない為、私たち人は容易に精霊の国へ行くことはできない。
火・水・風・木・土・光・闇の精霊たちは人間たちの住むこの物質世界の源の根幹として存在し、原始よりこの世界を支えている無くてはならない存在である。
そして、この世界に生まれた人は時に精霊の加護を受ける。生まれた時に七つの精霊のうち一つがその人の身に『絆』を宿し、絆は精霊によって異なった痣のような文様となり背に現れる。
精霊の加護を受けた者を、この世界では『絆を持つ者』と呼ぶ。
しかし全員が加護を受ける訳ではなく、テール王国だと絆を持つ者はだいたい8人に1人の割合だと言われている。
だが、他の国だとその割合はグッと減り、20人に1人ならまだ良い方で、最も少ない国は100人に1人だという。
テール王国が精霊に愛されし王国と呼ばれるのは、それ故だ。
絆を持つ者は精霊を操る事が出来る。
………と一言で言うと何でも叶えてくれる万能の存在のように聞こえるが、厳密に言うと絆で繋がった精霊にやって欲しい事を言葉なりイメージなりで伝え、それを精霊が受け取り、精霊が力を使い実行する。すなわち、発する側と受けとる側の意志疎通が重要であり、実行の精度はまさにその一点にかかっている。
つまり、発する側の人の頭脳を超えるような事は出来ないと言われている。またコミュニケーション不全がおきている関係性の場合、制御する事が出来ない精霊は最悪の場合いなくなることもあるそうだ。
なので、子供のうちは精霊と人は良い遊び相手くらいの関係であることが多い。まぁ、遊びながら仲を深めていくのが常で、15歳になると絆を持つ者は身分関係なく同じ学校に通い学ぶのがこの国の決まりだ。
そんな私、フェリックスも絆を持つ者だ。
私は土の精霊との絆がある。弟のセバスチャンは風の精霊との絆を持っている。
先ほど窓の外から私を見ていた風の精霊は多分、人との繋がりの無い無絆の精霊だろう。
(それにしても……どっかで聞いたことあるような世界なんだよねぇ。めんちゃんが貸してくれたものにもこんな感じのファンタジー設定あったような…………)
前世では親友の推し布教活動に渋々付き合ってあげていた感覚の方が強く、あまり真剣に彼女が貸してくれる物の数々に接してこなかった為にぼんやりと見知った世界観であるというくらいにしか思い出せないのだが、今この世界は設定ではなく現実なのだ。
ちなみに、何故精霊が人と繋がりを持つかと言うと、未熟な下位精霊は人と繋がる事で様々な事を経験しレベルを上げていくのだそうだ。勿論、経験値が上がれば精霊自身の強さや力も上がる。そして上位になればなる程人間世界にはめったに現れず、精霊界での地位を上げていく。人に絆を宿す精霊はまず下位の精霊なのだ。
また、生まれた時に絆を持った精霊を『初絆の精霊』と呼び、それ以降に絆を持った精霊をその順番で『第二の精霊』『第三の精霊』と呼んでいく。
初絆の精霊以外と絆を持つことはあまり無いそうだが、皆無という事でも無いらしい。
と、ここまでが家庭教師から受けた講義と図書室の本から得た知識。精霊についての基本を脳内復習していた私をジーナが呼びに来た。父上がお呼びだと言う。
何か用だろうか、と首を傾げながら私は父上の書斎へと向かった。
「父上。フェリックスです」
硬い木の扉をノックしながら中へと声をかけると、すぐに
「入りなさい」
と、地から響くような低いヴィクトーの声が返ってきた。
扉を開け中に入ると、正面奥の大きな書斎机にヴィクトーが腰掛けている。部屋の左側の扉の近くにはヴィクトーの机よりは小さめの書斎机が置かれており、その小さめの書斎机の横にアシルが立っている。
机仕事をする為だけに設えたような簡素な部屋で、父上は相変わらずの険しい表情でこちらを見ていた。そこから内心を読み取ることはなかなか難易度が高い。
「何かご用でしょうか?」
睨むように私を見てくる父上に穏やかな口調を意識しつつ尋ねると、うむ、と短く唸りヴィクトーは口を開いた。
「強く、なりたいそうだな」
「え?」
「ケヴィンに、料理のメニューを、渡したと……」
あぁ、と私はアシルを見た。
父上のちょっと要領を得ない話し口はいつもの事なので、すぐに補足の形でアシルが言った。
「先程の厨房での事を旦那様にお話いたしました。そうしましたら、フェリックス様とお話がしたいと申されましたので」
「体を強く、したいと……?」
アシルの言葉に繋げるように、ヴィクトーはまた聞いてくる。
小さく首を傾げながら、私は頷いた。
「はい。あまりに体が弱くて、病気ばかりの上にケヴィンたちの作った料理を残してばかりなのが申し訳なくて。それに、セバスチャンとおもいっきり走り回りたいんです」
「…………そうか」
小さい声で言って黙った父上に、私はますます首を傾げる。
「父上?」
「……………私も何とかしよう」
「え?」
「……………任せなさい」
「え………あ、はい?」
真意が汲み取れず疑問符だらけな返事をしたのだが、特にそのことを父上は気にすること無く、私に自分の意思を伝えられた事に満足したようで、険しい表情からやや和らいだ顔で私を見ていた。無言で。
(え………なに? え? どうしたらいいの?)
流れる沈黙に、どうしたら良いのか分からず固まってしまった私の肩へアシルの手が優しく添えられる。
「色々決まりましたら、お伝え致します。それまであまり無理せずお過ごしくださいね」
「あ、うん……」
扉へ促されながらそう言われたが、私の中ではいまいち消化不良状態である。アシルを見上げれば、胸中を理解したのだろう。壮年のイケオジ執事は小さく頷いた。
「まぁ、ご心配なく」
苦笑混じりに、私だけに聞こえるよう小声で言ったアシルにとりあえず頷くと、彼は謝辞の意味を込めた頷きを返し、書斎の扉を開けてくれた。
「それでは父上。失礼致します」
ヴィクトーを振り返りお辞儀をすると、満足そうに頷く父上。
書斎を後にし、私は首を傾げた。
「…………う~ん。なんだったんだろう?」
歩きながら、私は腕を組み唸った。
父上からの呼び出しから数日後、ティータイムを終え暖かな日差しの中、私はセバスチャンと庭を散歩していた。
今日は昼食後、勉強の時間だったセバスチャンはあまり勉強が好きではないこともあってブゥブゥと膨れてたが、その膨れっ面もまた可愛い。
私も多分数日のうちにまた貴族のお勉強が始まることだろう。だが、それまではこの庭を堪能するつもりだ。
庭は今日も綺麗に手入れが行き届いていて気持ちがいい。元気に走るセバスチャンを追いかけたいが、まだまだそれをするには体力が足りない。
ゆっくりと歩きながら、今日は庭師のサシャのところへ向かう事にした。
屋敷とはちょうど反対側の庭の端に建つ木造平屋作りの小屋が庭師であるサシャの作業場だ。
作業場の隣には小さな温室もあり、様々な植物が育てられている。
作業小屋の外で仕事をしていたサシャは、私たちの姿に気付くとまだ距離が遠いにもかかわらずお辞儀をしてくれた。
そんな彼の元へ歩みを進めていると小屋の戸が開き、中からフェリックスより少し年上の男の子が姿を見せる。
今年12歳になるサシャの息子ライアンだ。赤褐色の髪にグリーンの瞳。そして、良く焼けた肌が印象的な活発そうな少年のライアン。
「ライアーン!」
大きく手を振り、セバスチャンはライアンへと駆け出す。歳が近いこともあって、私たち3人は赤ん坊の頃から日中は同じ部屋で同じように育てられた。本来なら有り得ない話だが、ヴィクトーやシャルロットが使用人たちに寛大で、こども同士一緒の方が教育にも良いだろうし、親は仕事もしやすかろう、という考えからだった。
「セバスチャン! フェリックス!」
陽光に照らされたライアンの笑顔はキラキラと輝いて見える。セバスチャンとはまた違う美しさを持つ青年になるだろう事は容易に想像できる容姿をライアンは持っていた。
(んー良く考えたら私ってラッキー?)
セバスチャンとライアンが並んで立っているところを眺めながら思う。何故なら、可愛い可愛い子供の頃から成長しイケメンになる過程が見られるなんてそうそう無い。子どもの2人が並んでいるところも随分と絵になるのに、それが青年になんてなったら、もう、もう、尊すぎて鼻血ものである。
ぽやーっと成長後の二人の姿を妄想していた私に軽やかに近づいたライアンが訝しげに眉を寄せる。
「なーにしてんだ? ボーッと突っ立って」
「え?! いや、なんでもないよー」
「ほんとか? 気分が悪いとかじゃ無いだろうな?」
眉をしかめて顔を近づけながら、私の額に手を当てたライアンの少し真剣な表情にややドギマギしつつも、にへらと私は笑った。
「うん。大丈夫だよ」
「なら良いけどさ」
至近距離で私の顔を覗き込み、まじまじと見ていたライアンは額から手を外し、小気味良く私の肩を叩いた。
「フェリックス坊ちゃん」
ライアンを渋いイケメンにしたイケおじのサシャが微笑みを浮かべて私の前に立つと少し身体を屈めて、私と目線を合わせるようにしてきた。
「もう外に出て大丈夫なんですか?」
「うん。お陰様で、もうだいぶ元気になってきたよ」
「そうですか。それは良かった。もう、こいつが坊っちゃんのこと心配して心配して大変だったんですよ」
「お、親父っ!!」
笑いながらライアンを指差しながら言ったサシャに、顔を赤くし慌てるライアン。
美形親子のやり取りに和みつつ、目の保養に頬が緩むのがわかる。
と、そんな3人の様子など無視して早く遊びたいセバスチャンが割って入ってくる。
「ねぇねぇ、遊ぼうよー」
そんなセバスチャンに私とライアンは笑い、そして3人はいつもの遊び場へ向かった。
フェリックスたちの遊び場は敷地の端にある、この屋敷で一番大きな木を中心とした辺り。久しぶりに来た大きな木には、太い枝のあちこちにいくつもロープが垂れ下がっていて、ロープの先に木の板がくくりつけられている。
「このロープ、なに?」
聞いたセバスチャンにライアンは得意気に言った。
「ふふーん。実はな、この木の上に秘密基地を作ろうかと思ってさ」
「ええっ! 秘密基地~!?」
途端に目を輝かせるセバスチャン。ますます得意気な顔でライアンは顎に手を当てたりなんかしている。
「ほんとはフェリックスが良くなるまでに完成させて、あっと驚かせるつもりだったんだけどさ。まぁ、上がってみるか?」
そう言ったライアンの側に頭部から緑色の若葉に似た柔らかな葉を生やした、枝で出来た人形のような体の木の精霊が浮かぶ。
木の精霊が大きな木の幹に溶け込むと、ざわざわと枝が動きロープが私たちの目の前に下りてきた。ライアンはそのうちの1本のロープの板に足を掛け、ロープを握る。
私とセバスチャンもライアンを真似てロープを掴んだ。すると、枝が動き葉擦りの音をさせながらゆっくりロープは高く上がっていく。
「わあぁっ!」
「すっごーい!」
ゆっくりと開けていく視界。屋敷の塀が下に見え、王都の街並みが見渡せる。
グリーウォルフ男爵家は王都の貴族の屋敷が建ち並ぶエリアの端の方にあるので、見晴らしの良い場所に建っている訳ではないのだが、それでも大木の上の方からは遠くまで良く見えた。
枝の動きが止まると、丁度良い位置に太く立派な枝が伸びていて、ライアンに倣って3人は枝へと移った。
「ここにさ、板を並べて敷いてさ。壁と屋根も作って3人一緒に寝れる広さにしてさ」
降り立った太い枝は、もう一つの太くしっかりした枝と幹をつなぐと丁度扇形に伸びているし、枝の上に敷いた板は水平が取りやすそうだ。
「僕、お菓子も食べたい!」
「あぁ、食べよう」
「あと、勉強したくない時にここに隠れるんだっ!」
キラキラとしたセバスチャンの顔は、もう完全にこの3人の秘密基地が、大人たちの目から逃げられる夢の場所になっているようだった。
「勉強か。あぁ、そういえばなんか新しい家庭教師が来るってな」
そう言ったライアンに私とセバスチャンは目を瞬かせる。
「え、そうなの?」
「なにそれー聞いてない」
「あれ。そうなのか?」
私たち2人の反応にライアンは頭を掻き、視線を斜め上にさ迷わせながら口を開く。
「んーなんか、なんの勉強かは知らないんだけど俺も一緒に受ける事になってるらしくてさ。3人一緒だって親父が言ってたんだけど、まだ聞いてないのか」
「うん」
3人一緒に受けるって、なんだろう? でも、3人一緒なら………
「でも、3人一緒なら僕なんでもいいや。一緒の方が楽しそうだし!」
私の気持ちを代弁するように、ニカッと笑って言ったセバスチャン。そんな可愛い弟に私は笑う。
「はははっ、私も今同じこと考えてた」
「なんだ。じゃあ3人同じか」
ライアンの言葉に3人は顔を見合わせ笑った。
なんの勉強が始まるのか分からないけど、楽しみだ。
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