前世の記憶を持ちながらもフェリックスとしての新しい生活に慣れ始め、新しい晩餐メニューに変わってからお腹の調子も体の調子も良く私は少しずつ体力も体調も顔色も良くなっていった。
そして、今日は午後からセバスチャンとサロンで礼儀作法のお勉強。
貴族のお仕事のひとつ、社交。
社交には様々なものがあり、それぞれに礼儀や作法がある。
父のヴィクトーは夜会や狩りなどの参加は本当に必要最低限しかしない。参加しても会話は一言、二言の無口無愛想っぷりで有名らしく、お陰で今は誘いの招待状など無いに等しい。そんな父の息子たちなので、これから参加する社交も必要最低限になるとしても、それでも男爵家の子としてちゃんとした礼儀作法は身につけておかねばならいのだ。
社交界デビューは早ければ6歳。遅くても12歳までには社交界に顔見せをするのが一般的で、18歳になると成人となり、一人の立派な大人として貴族として社交の場に立つ事になる。
私は7歳の時にテール王国第一王子の生誕祭で社交界デビューをしたが、それ以降は体調の兼ね合いで一度も社交の場には出ていない。
セバスチャンは今度行われるテール王国第二王子の生誕祭で社交界デビューの予定だ。もちろん、私にも招待状が届いているので二人揃って参加の予定。つまり、今日のお勉強はその為の挨拶のお勉強なのだ。
先生は執事のアシル。50代の渋いおじ様執事の所作はそれはもう優雅な流れるような動きで隙がなく、半端ない安定感と安心感。そして溢れ出る色気! どんなに練習してもムリと思ってしまうほど完璧だ。
まぁ、私にはムリです、と言ったところで免除される訳もないのだけど。
アシル先生の指導の元、始めはぎこちなく優雅さの欠片もない私とセバスチャンだったが、次第にそれとなく見られるものになってきた。
「良くなってきましたね、フェリックス様。セバスチャン様」
「ほんとう?」
にこっと微笑みながら言ったアシルに私はちょっと前のめり気味に言葉を発してしまった。何故なら、ティータイムまでで終わるのかと思っていたらティータイムを挟んでなお、みっちりお稽古中なのだ。
………私もセバスチャンもだいぶ疲れているんですよ。
そんな私たちの様子は百も承知でニッコリとアシルは笑んだ。
「えぇ。それでは、今日のところは綺麗に自己紹介の挨拶が出来た方から終わりにしましょうか」
「はーい! はいはい! 僕やるー」
終わりと聞いて、セバスチャンが勢い良く手を上げる。さっきまで少し不機嫌気味にやる気無さそうにしていたのに、急に元気だ。
苦笑しつつも、アシルはセバスチャンを促した。
小さな足の踵を揃えて爪先を少し開いて立ち、すっと背筋を伸ばしたセバスチャンはそのまだ愛くるしい顔に小花のような笑みを浮かべ
「セバスチャン・グリーウォルフと申します。お会いでき光栄です。どうぞ、以後お見知りおきください」
と、流れるように右手を胸の前に持ち上げながら頭を下げた。その動作はもう一端の紳士のようでさえある。
ゆっくり頭を上げたセバスチャンは、ドヤ顔で私とアシルを見た。
「?」
(…………なんだろう? 今のセバスチャンの顔、どこかで見たような………)
何か、私の中で引っ掛かった。その引っ掛かりにアシルがセバスチャンを誉めているやり取りも遠いところで話しているように聞こえる。
(なんだろう。とても大事なことを思い出しそうな…………)
「では、次はフェリックス様」
アシルに名前を呼ばれ、私は我にかえり一つ小さく深呼吸をして背筋を伸ばした。
「初めまして。フェリックス・グリーウォルフと申します。どうぞ、宜しくお願い致します」
無難に挨拶の礼をした私は、セバスチャンの顔を見ていた。
「それでは、今日はここまでにしましょう。今日のレッスンを忘れないようになさってください。また明後日、レッスン致しますので」
「えぇーまだやるの!?」
口を尖らせてアシルに言うセバスチャンの横顔に突然私は思い出した。
見覚えのある横顔。
それは、今の7歳のセバスチャンのものではなく、私が知っている15歳のセバスチャン――しかもモニター越しの彼の面影が幼い少年の横顔に重なり軽く眩暈を覚えた。
セバスチャン・グリーウォルフ。
フィースプリトー学園1年生。15歳。
主人公の同級生で、艶やかな黒髪に黒曜石のような瞳を持つ美少年。何事も斜に構えてひねくれているツンデレ系。
セバスチャンには病弱の為、家で療養中の兄がおり、両親は兄にばかり構いセバスチャンは蔑ろにされていると感じていた為ひねくれた性格になってしまったのだが、主人公と出会い交流することにより、次第に本来の優しさを取り戻し家族に愛されている事に気付く。
…………それが、セバスチャンの設定。
前世で友人のめんちゃんから借りた彼女の大のお気に入りの乙女ゲーム『精霊学園~キミとつなぐ絆~』でセバスチャンはその乙女ゲームに出てくる主人公の攻略対象キャラクターの1人なのだ!
なんでそんな大事なこと今の今まで忘れていたかって? それは、借りてたゲームの時のセバスチャンの年齢が15歳だから! 更に付け加えると、取り立ててゲーム好きな訳でもない私は、押し付けられるように借りたゲームを律儀にプレイはしたが、本当にただただやりました程度のもの。
まずゲームに付いている説明書を最初に読み、その中に書いてある何人かの攻略対象キャラクターで気に入った設定のキャラクターを決める。あとはそのキャラクター攻略へ向けて一回プレイして終わり。攻略に成功しようが失敗しようが、ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが関係無く、一回のプレイでめんちゃんに返していた。
いつもめんちゃんからは、乙女ゲームの醍醐味は何人もの攻略対象キャラクターとのすったもんだの恋の駆け引きなのよ! それを全部プレイしないなんて信じられない! とかなんとか言われてた。
『精霊学園~キミとつなぐ絆~』も例に漏れず、一回のプレイだけで返したのだが、その時は珍しく食い下がられた。
なんでも、このゲームの最大の売りであり人気はその選択肢の幅の広さだと言う。
ゲームの期間は主人公がフィースプリトー学園に入学し卒業するまでの3年間。その間、攻略対象者との親密度や主人公の各パラメーターの数値や様々なイベントの成否によって多岐に渡るエンディングが用意されている、らしいのだ。
めんちゃんの受け売りだが、攻略対象者とのハッピーエンディングは勿論だとして、面白いのは恋愛以外のエンディングだ。学園生活中に精霊技術のパラメーター値に集中して上げると高位精霊士として王城に就職する。とか、剣術や体術に特化すると女性騎士として活躍する。とか、精霊と冒険の旅に出るエンディングなんかもあったりする。まさにやり込み型乙女ゲーム。
そんな大好きなやり込み型に嵌まって欲しい一心で食い下がってきた友人は、まず私に少しでも興味を持ってもらうべく、ゲームから派生したマンガや小説、アニメまで貸してきた。
私がこの世界が乙女ゲームの世界だと気付くきっかけになったセバスチャンの表情は、アニメで見たものだった。
ちなみに、ゲーム以外では主人公の同級生であるテール王国第二王子が主人公のお相手としてストーリーが進む。
テール王国第二王子は乙女ゲームでも一番メインのキャラクターである。
「まさか乙女ゲームの世界だなんて…………」
ポツリと呟いた私はふと思い浮かんだ事に眉を寄せる。
(……………そもそも、ゲームで私ことフェリックスって出てきたっけ? フェリックスの名前って、片手で足りるくらいしか出てきてないような………)
おまけに、姿なんてシルエットで一回出たかどうか。そこも記憶が曖昧だ。病弱引きこもり設定だから、もしかしたら学園には通えていない設定なのかもしれない。それなら、主人公や他のキャラクターとの接点は一切無く、フェリックスの存在はセバスチャンの口から間接的に名前が出てくる程度だろう。
(あれ? 待てよ。そんな病弱引きこもり設定の私が少しずつ健康に向かいつつあるけど大丈夫なの?? おまけに、兄弟仲はすこぶる良いけど……どうしよ。本当はダメだったりするのかな?)
「う、う〜ん?!」
急に漠然とした不安と取り返しのつかない失敗をしてしまったのでは無いかという謎の強迫観念のようなものでドキドキしてきた胸に私は手を当て唸り声を上げた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!