アーシャは穏やかな木漏れ日の中で目を覚ました。
ピチル、パチルと鳥の鳴き合いが近く、そして、遠くに聞こえた。
(今の今まで、ウチは、戦場に居た筈……。)
ここは何処だと、アーシャは立ち上がろうとして、自らが目の粗い、麻のワンピースを着ている事に気が付いた。
ワンピーススカート何ぞ履くのは何年振りであろうか。
そう思いながらも、なぜこんな格好なのか、と不思議に思った。
------懐かしい。
ここは、アーシャの故郷、サナトリアの森によく似ていた。
危険も少ない、明るく浅い森で、幼き日のアーシャは母に変わり弟を背負っていた。
あの植物は~でね? このきのこは食べちゃダメなんだよ?
一生懸命に、可愛いまだ赤子の弟に話しかけ、あやし、歩き回っていたものだ。
アーシャが辺りを見渡すと、切り株がいくつかあるのを見つけた。
倒木では、無論、こう綺麗な折れ口にはならない。
そして、人も意味なく木を切り倒すはずもなかった。
土地を開くか、薪を得るのか、何らかの理由が必ずあったはずだ。
(この辺りに人が住んでいるのか?)
そう思うも、考察は無用と、首を振り、アーシャはひとまず森から出ようと考える。
しかし、どうせなら人の居る方へと向かいたいと、結局は思案し、切り株を覗き込む様に頭を下げた。
「?」
何か違和感を感じたアーシャが、頭を上げた時、不思議な事が起こった。
ほんの数秒前までは、出口の解らぬ森の中に居た。
だというのに、今、アーシャの目の前、ほんの5mほど先には、森の出口があり、その先は草原の丘が見えたのだった。
アーシャは辺りをキョロキョロと見て、困惑しながらも森を出た。
そして、登る、というには、少々なだらかに過ぎる丘を歩いていく。
彼女は、丘を地表のでっぱりまで歩き切った。
そして、遠く、景色の中に、一つの村があるのを見つけた。
「……嗚呼……あああ……。」
アーシャの瞳から涙がこぼれた。
それ以上の声は、喉につかえて、出なくなる。
(ここは……サナトリア。)
それは彼女が、ずっと取り戻したかったものだ。
アーシャは走り出した。
見覚えのある村。
幼き日、悪戯で入って怒られた風車。
黄金色に輝く小麦畑。
その横、ネズミ避けに少し高さを盛って作られた穀物庫。
そのどれもが、懐かしく、愛おしいかった。
村のはずれには、牛が何頭かいるのが見えた。
そして、木造の家がある。
そこがアーシャの生家だ。
「はあ……はあ……はあ……!!……!?」
近づこうと、息を荒げ、必死になって走るアーシャは気が付いた。
姿勢を低くし、武装した集団が、背高《せいたか》な草原を隠れ蓑に、村へと向かって、近づいていく。
「そんな!? 待って!!」
アーシャは自らの変化には、気付いていない。
普段の乱暴粗野な物言いは消え失せて、見た目も10代の小さな少女へと、何時の間にやら変わっていた。
------危険を知らせなきゃ!!
アーシャは尚も、そして、更に必死になって走る。
しかし、不思議と村との距離は縮まらない。
そうして、武装した者たちは、村に襲い掛かり、村人を殺していくのが遠くに見えた。
「やめて! もう、ウチから奪わないで!!」
アーシャは懇願した。
しかし村は、過去起きた事と同じく、また、悲劇を繰り返した。
世界は驚くほど、静かであった。
アーシャは既に走るのを止めている。
悲劇は再び、アーシャの幼心を貫いた。
彼女は茫然と立ち尽くし、動かない。
まるで、彼女の時間だけ止まってしまったように、ピタリと。
ただ、あの日、泣けなかった分を補うように、流れる涙だけが、時の頸木を逃れていた。
日が沈み、”夜が明けた”。
「え!?」
再び、時が動き出す。
------そんなはずはない。
本当であれば、夜、床下より這いだしたアーシャによって、村は焼かれ、穏やかな思い出と共に、侵略者は炎の中に沈むのだ。
しかし、すでに日は高く上がっている。
そして、未だ村に火の手は上がらない。
暫くすると、村から兵士たちが出て行き、サナトリアの更に奥へと、静かに進軍していった。
(まって、何でよ!?)
村に上がる火の手を確認した事で、領主が兵士を派遣するのだ。
まだ、侵略者には、誰も気が付いていない。
このままでは、他の村でも、同じような悲劇が起きてしまう。
アーシャは考え、その理由に思い達った。
(もしかして、ウチが居ないから? ウチが居ないからなの?)
やっと乾き始めたアーシャの目じりが、滲み、前が見えなくなった。
蹲りそうになるも、このままではいけない。
危機を知らせなければ。
(今、このことを知っているのはウチしかいない!! ウチにしか救えないんだ!!)
彼女は強き娘だ。
走り出そうとして、涙を拭う。
「!?」
景色は一転、草原から、石畳のある街へと変わっていた。
アーシャの姿も、ワンピースを来た少女から、立派なプレートアーマーを着込み、本来よりは若い、年頃の娘へと変わっていた。
辺りに人の気配はなかった。
アーシャはキョロキョロと辺りを見渡した。
すると、景色の中に、遠く城が見える。
アーシャは思い出した。
ここは、サナトリアの王都、そして、あれがその王城である。
アーシャは嫌な予感がして、王城の方へと走り出した。
王城が近づくにつれて、状況が理解できて来た。
サナトリア王が崩御の折り、アーシャは王城に勤めていたのだ。
王は自らの息子を次の王に指名。
しかし、崩御すると共に王弟、次期王からすれば、叔父にあたる者がクーデターを起こすのだ。
サナトリアは、そう悪い国では無かった。
しかし、権力闘争は何処の国でもある物。
このクーデターはたた、王叔父の権力欲から起きた事であった。
当時のアーシャは、何とか援軍の便りを出すと、援軍が来るまでの間、城門を固く閉じ、少ない兵で城を守り続けた。
最後には城門を破られた。
しかし、予め城門の上には、アーシャの指示の元、剥がされた石畳や瓦礫、家財が積まれており、開門と同時に彼女はそれを門ごと崩す。
雪崩れ込もうとする反乱軍諸共、押しつぶして道を塞いだのだ。
王城が近づくにつれて、反乱軍の姿が増えていく。
これ以上は普通には近づけないと、アーシャは考えた。
ただ、彼女の思っていたよりは、はるかに少ない反乱軍を不審に思った。
そして、すぐに理解する事になった。
城門はすでに開いていた。
城門に傷はなく、恐らく打って出たのであろう、形跡が確認できた。
「馬鹿な!?」
暫くすると、王息と、その姫が城から引き出されてきた。
「ひい様……。」
この時、アーシャの本来の役職は、この姫様の護衛騎士であった。
遠方の地、カラシタンから嫁入りしてきたサンリーナ姫。
牧歌的なサナトリアより、南国情緒ありながらも、カラシタンは随分と都会な国であった。
出世著しい田舎娘《アーシャ》に手柄を立てさせず、かつ、都会育ちのお嬢様に預けておけば、勝手に嫌忌に触れて失脚するだろう。
そんな考えもあったのだろう。
しかし、彼等の当ては外される。
サンリーナ姫は、姫であるくせに、世話を焼かれるよりも、世話を焼く方が好きと言う、とても暖かい、変わり者であった。
「子の親真似みたいなものよ。姫様の世話を焼く私達の真似をしているんです。ふふふ、何も、お出来にならない貴女に、姫様は夢中みたいね。」
そう、笑いながら、侍女の一人が話していた。
戦う事と、動物の世話ぐらいしかできることの無いアーシャ。
紅茶の美味しい入れ方、ダンス稽古のお相手、テーブルーマナーと様々。
煩わしくも、可愛らしい姫様に命じられ、この時期。
アーシャは随分と多芸になった。
思えば、アーシャの人生において、幼少を除けば、もっとも楽しかった頃の記憶である。
語学が苦手で、最後まで、アーシャと呼べず、アーサと呼んでいた姫。
短い期間で任を解かれ、アーシャと別れる時、もう年頃で、結婚までしているというのに、泣いて皆を困らせた姫。
彼女は今、首に縄をつけて、断頭台へと引き摺られていった。
(彼女が何をしたというのだ!?)
なぜこのような事が起きているのか。
実際の事とは異なる。
アーシャの胸に、冷たい刃がジワリと突き刺さった気がした。
(またか!? また、ウチがそこに居ないからか!?)
それは、けしてアーシャの自惚れにはあらず。
ついに、引き立てられ、断頭の刃が振り下ろされた。
「やめろおおおおお!!」
アーシャは叫ぶ。
喉が裂けんばかりに。
しかし、走りながらも、姫の首に刃が当たるその瞬間。
アーシャは思わず、目を瞑り、視線を背けてしまった。
再び、目を見開いた時、周りの景色は先程とも、全く違う、草原地帯であった。
考えるまでもない。
この場所は、すぐに分かった。
(ミコ・サルウェ……アエテルヌムのステップ……。)
今までとは違う。
唯一、初めからアーシャが関われなかった悲劇だ。
麦畑、野菜畑、牧草地、まだ、未開の草原地。
それほど、仲が良いでもない獣人種の同僚が、執政官を務めるこの地。
彼女は簡単だ。
適当にこの地をほめておけば、鼻の穴を膨らませて、機嫌が良くなる。
例えサボりを見咎められても、それで、どうとでもなった。
しかし、彼女自慢のこの地に、火が放たれていた。
スカリオンの紋章をつけた者達が、住民たちに襲い掛かっていく。
ここより流れ、ヒエメスに溜まり、アニス河と混ざり、そのまま海にまで、流れゆくフェルム河。
炎から逃れようと飛び込んだのか、それとも殺されて投げ捨てられたのか、沢山の死体が岸辺に引っ掛かり、浮いていた。
「!?……ミルザ。」
アルテラの港町において、とあるグループを率いていた、水守族《みなもりぞく》出身の蛇人戦士だ。
気風《きっぷ》の良い、中々に話の分かる奴で、道理も充分、弁えていた。
そもそも、ミルザのグループは、あまり問題を起こすことの無い穏健派。
たまに、引っ込みが付かなくなるのか、闇燦師団が出張っていくと、申し訳なさそうに、鉾を収め、ばつが悪そうに謝罪してくる。
そういう奴だった。
(最近、姿を見ないと思えば、こんなところに居たのか……。)
やがて、アーシャが歯を食いしばる中、ミルザが打ち取られた。
その瞬間まで、見せつけられると、世界は暗転した。
アーシャは意識を失った。
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