ミコ・サルウェ

(ノベリズム版)
皆月夕祈
皆月夕祈

死の抱擁

公開日時: 2022年10月24日(月) 16:15
文字数:3,826

 野生の勘という物の素晴らしさか、すでに群緑師団は、全力で戦場から退避していた。

 

 グラドロモニカは、何か途方もない力を感じて、大げさな位にその場から飛び離れた。

 

 ハイエンを惹きつける役を買って出たはずである為、この動きは彼の意思には反する物であった。

 しかしそれは、予定されていた様に、グラドロモニカの身体を動かした。

 

(神の放つ気配だ……。)

 

 彼は、この気配を、”前”にも”後”にも感じたことがあった。


 しかし、それはこれ程に、濃厚な物ではない。

 モニカがそう考えた時、その気配は、凍り付くような冷たい物へと姿を変えた。

 

 どれほど格の高いモノなのか。

 魔王ですら、震えが止まらず、動けなくなるほどの圧力。

 

 戦場に1000人以上いる全てが、その存在を認識し、凝視した。

 

------上空だ。

 目が離せない。


 日蝕とも、月蝕とも違う、不可思議な天体。

 

 夕刻が、突然明るくなった、だのと言う”どうでも良い”事を考える者はいない。

 それは外野で、その場にいないから、故《ゆえ》の能天気だ。

 

 敵も味方もありはしない。

 痴れ人となったハイエンですらも、一様に同じことを思う。

 

------あれは、いけないモノだ! 出すな! 閉じ込めて、解き放つべきでは無いモノだ!

 

 闇燦師団の者たちは、この時、自らの求めた物があれほど恐ろしい物であったかと、自ずと無意識に理解した。

 

 怖い。あれが怖い。

 

 あれが、アニムが最善手と思っていた物の正体だ。

 カードの能力は、記載能力に留まらないと、すでに学んでいるはず。

 しかし、反省も出来ない。

 クニシラセが使えず、アニムの知らぬ所で事態は進んでしまった。

 

 ※死の抱擁  闇②

  ユニット一体を破壊する。


 

------誰か……。誰か、アレを止めてくれ!!

 

 戦場に誰かが叫ぶ声がした。

 

 いや、違う。

 もしかしたら、今のは知らず、自らが発してしまった声なのかも知れない。

 

 そう、誰もが考えてしまうほどに、不思議で、不快で、恐ろしい一体感を感じた。

 誰もが、そこから逃げ出したいのに、身体は少しも動かない。


 乾く眼球を守る為、瞼を一瞬閉じる、たったそれだけの事が酷く恐ろしかった。

 

 そんな時、オニツカは一人、動くことが出来ていた。

 

 とはいえ、彼は動かない。

 コートを広げ、自らの身体で、覆いかぶさる様にあの天体からアーシャを隠した。

 

 あの天体に背を向けるという行為。

 

 それは、自らの首を断ち切らんとする断頭剣の下《もと》に、幾度もその生首を晒すような心地であった。

 

 オニツカの目は、瞳孔が開き、カッと熱い程に赤く染まっている。

 半面、身体は末端から、急速に冷たくなっていった。

 

 オニツカは理解していた。

 あれは、いともたやすく命を奪ってしまう物だと。

 たとえ頑強なアーシャであっても、弱っている今ならば、つまみ食いのつもり、それで十分持っていっていかれてしまう。

 

 アーシャとオニツカ。

 師団長と副団長。  

 内乱染《じ》みた抗争や、今回の戦い等、未だ共に戦った数と言うのは決して多くはなかった。

 

 しかし、オニツカから見たアーシャは、何時も軍人らしからぬ、不真面目を行うくせに、どこに居ても全体を俯瞰していた。

 あるいは、サボる為にそうなのかとも思えば、イの一番に、敵の厚い所に躍り出ては、左手の盾で味方への攻撃を受け、右手を犠牲に自らへの攻撃を受け止める。

 そんな一見、危うい戦いを常に見せつけてきた。

 

 対して堅物で、融通の利かない男。

 オニツカは、自らは安全地を確保して、味方を援護する戦いを行っていた。

 オニツカとアーシャは、まったくの真逆な存在であった。

 オニツカは自らを、味方を盾にする卑怯者とすら思っており、むしろ、アーシャに対しては、強い劣弱意識《れつじゃくいしき》に裏付けられた尊敬の念すら抱いていた。

 

 幾度も世界の悪意と戦い続け、最期には敗れて自刃する英雄、オニツカ・キョウスケ。

 

 その頃の記憶は封じられ、今は覚えていない。

 しかし、心に刻まれた敗念感は消えず、人など止めてしまえば、この何処から来るのかもわからぬ感情から救われるのかと。

 結果的には、図らずも記憶を失う前と何も変わらない事を願うオニツカであった。

 

 堅物で融通の利かない、だからこそ、自らへの要求も高い。

 それでも、オニツカを人間に留めているのも、アーシャである。

 

 オニツカは彼女と共に、戦える事を感謝していた。

 


 弱きを助け、強きをくじく、そんな騎士の偶像を、アーシャに張り付けた無力な妖精がいた。

 オニツカもまた、アーシャという人間に、自らの望む姿を抱いていたのだ。



(……。……。……。)



「ハア…ハア……ハア……ハッ、ハッ……。」

 

 死神に、心臓を握り揉まれている様な、冷たい恐怖に呼吸が荒く、短くなっていく。

 

 ただ、生きる為だけの呼吸音。

 しかし、生を実感できぬ今、その音だけが唯一頼もしく感じた。

 

------キシ……キシキシ……キシ、キシキシキシ……。

 ガラスのこすれ合うような、不快な音が空から降ってくた。

 

「はうぁ!?、はあああぁぁぁあああ!!!白日の姫が御座(おわ)されました!!」

 

 先程まで、オニツカの隣で、アーシャの治療を行っていた、イスタリアの聖女タシアナ。

 彼女の歓喜の喚声が響いた。

 それと同時に、空からの圧力が増した。

 

 嫌な予感だ。 


 タシアナの声には、正気の色が一切なかった。

 

 危うすぎる。


 そして、それはすぐに現実のモノとなって、オニツカの耳を引っ搔いた。


------ゾヴ!……ザク、ゾヴ、ザク……。


 耳を背けたくなる音が幾度も響き、オニツカは叶うならば、赤子の様に泣き叫びたかった。

 

 そして、伏しているオニツカの目の前に、血だまりが広がってくる。

 

 それは、仰向けに気を失ったアーシャ、その赤い髪に、より濃い赤として浸み込んでいった。

 

 

 

 リーフェは発狂しそうになる己を必死に抑えつけていた。

 彼女の同僚であった聖女、タシアナは、自らの胸に幾度もナイフを突き立て自決した。


 リーフェもそれに倣《なら》い、とはいっても、胸ではなく左手に一度、ナイフを突き立てた。

 本来は死司神を刺激しかねない危険な行いであった。

 

 ただ、今はタシアナが傍にいる。

 このくらいならば大丈夫なはずであった。

 

 芯まで冷たくなった身体は、ナイフを突き立てても、余り痛みを感じない。

 しかし、流れ出る血潮は確実のものであり、自らの生を感じさせるのに、実に有効であった。

 

 リーフェは、なぜタシアナが発狂したのか、その理由を正しく理解していた。

 

 神気には、陽の気と陰の気がある。

 それは普段、身体に入ってきたとしても、微弱であり、何の効果も及ぼさないまま、すぐに体外に流れ出ていった。

 

 しかし、波動の様に、圧として、これ程まで間近に感じられる場合は、話が別だ。

 特に、タシアナは聖女と呼ばれるほどの聖職者。

 

 聖職者ほど、神への理解も易く、その感受性も高かった。

 故に、聖職者であるほど、そして、特に女性はその内に、陽の気をため込みやすかった。

 そして、陽の気を多く溜め込めば、死司神への信心が高まり、結果、タシアナの様に招かれる。

 

 招かれた者は輪廻を廻り、次の生には、より高位階の存在に生まれ変わる、そう信じられていた。

 もっとも、存在の格上《かくじょう》は、陰の気をうちに溜め込み過ぎると起こる事と言われており、矛盾もあった。

 陰気をそれ程に、溜め込んだ者もいなければ、タシアナも次の生には、今生の記憶は既になくなっているだろう。


 確認のしようが無い以上、その部分に関して、リーフェ個人は眉唾であると考えていた。

 

 神の事は、聖職者や神学者にとっても、解らない事ばかりであった。

 それは、今解っている事が本当に正しいかも含めての話である。

 

 リーフェは、自らの胸にかかる、月のペンダントを確認する様に撫でた。

  

 リーフェも聖職者の端くれである。

 彼女が正気を保つわけ。

 それは、陽の気を貯めこんでしまうのならば、それを吐き出す口を作ってやれば良いという事であった。

 陽の気は、陰の気に引かれる。

 故に、陰を表す月の装身具を身に着ける事で、彼女は正気を保っていた。

 

 「はっ……はっ……はっ……。ふうー……。」

 

 それでも、身体には大きな負担がかかる。

 それは皆と変わらない。

 

 耐えるため、なるべく息を深く吸い、吐いた


 そんな矢先。

 

「はっ……ひ!?」

 


 来た。




 それは、大きな女の腕であった。

 

 


 美しく、汚れない嫋(たお)やかで、透明感のある純粋な”白い”腕。


 このような状況でもなければ、その美しさに、この持ち主について、何か想像を膨らませる者がいたかも知れない。


 それが、太陽をまるで、断面とするように。

 大きな女が太陽を穴として、そこに腕を差し入れている様な容《かたち》。

 

 太陽から生えるその腕は、ゆっくりと、じっくりと。

 

 ただし、一直線にハイエンの元へと向かっていった。

 

 知性を失ったように見えたハイエンにも、それは解るのか。

 目に見えて動揺し、その腕に向かって、何かを懇願し始めた。

 

 しかし、無情。

 ハイエンの身体を、彼女の白い指が抱きしめた。

 

 束の間、冷たい圧力が消え失せる。

 皆が皆、まだそこに、”ソレ”が居るにも関わらず、ほっと、解放された様にため息を吐き、肩の力を抜いた。 


 そして、その指は、優しく、愛する赤子の頭を撫でる様な雰囲気すら持って、指を閉じていく。

 

 途端、ハイエンも急に何処か、安らいでいる様に動きを止めた。

 それは、見る者に、神秘的で美しい光景を見せた。


 

 

 白い手は、そのままハイエンを握りつぶした。

 

 


 弾ける鮮血。

 悲鳴すら許さない、唐突な死。

 


 腕は、ハイエンを握ったまま、上空へと戻っていく。

 そして、陽《ひ》の中へと消えて行った。


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