オベリオン上空を飛ぶ馬車は、高さ30mもある高壁を越え、悠然と飛行していた。
その馬車を引くのは、白く、身体の半分が雲に溶け込んだドラゴンであった。
無論、スカリオンには未だ兵士が残っており、バリスタの様な対空兵器も、高壁には準備されていた。
しかし、馬車を守る様に並走飛行する、炎翼の天使……に見えない事も無いアーシャ。
その存在が攻撃を躊躇わせていた。
スカリオンの神話に登場する、堕落した世界を浄化の炎で焼き尽くす天使、ネイダの伝承に酷似して見えたのだろう。
馬車は大聖堂ミーミル、その正面広場へと降り立とうと高度を下げていった。
その様子を確認したのか、ミーミルの広場には、すぐに大量の人が囲むように集まって来ていた。
その中の一角には、オラクルの仲間に囲まれたゼイリアと、アモルの姿もあった。
勿論、それとは解らぬ様にしてである。
大きくダボダボなボロを頭からかぶり、周りを囲み立つ者も大柄な男たち。
小柄な二人が、誰かの目に留まる事は恐らくないであろう。
降り立った馬車を見て、アモルが呟いた。
「……桜花紋……。」
「ご存じですかい?」
その呟きを、耳ざとく聞きつけたオラクルが問うた。
「あの馬車に書かれてる印。……あれは、ミコ・サルウェの王様の印だよ。」
「!?」
周囲が小さく騒《ざわ》めいた。
オラクルとしては、あのような馬車は見たことが無い以上、恐らく、アモルがいた国の物であることは予想できた。
しかし、スカリオンとミコ・サルウェは未だ戦争中である。
その様な状況で、敵の首都に堂々と乗り込んでくる王とは、どれだけ豪胆ができる王なのか。
オラクルは静かに瞠目した。
「では、あの中には?」
しかし、アモルは首を振った。
「解らない……。少なくとも、関係の深い人だとは思うけど……。それに、私も直接、王様に会ったことは無いの。」
「そうですか……では、来訪の理由もわかりませんな。」
オラクルとしては責めたつもりは無い言葉。
思った事が、たまたま、そのまま零れただけの事。
それでも、アモルは申し訳なさに、しゅんと沈み込んでしまう。
「ごめんなさい……。」
慌てて、オラクルは失言を取り消そうとする。
しかし、それよりも早く、アーシャが大声を張り上げた。
「勅使である! 貴国の政庁はいずこか!?」
広場全体に広がる大声。
大聖堂ミーミルは、カテドラル派の本拠地であり、同派は教皇を牛耳ってきた。
故に、その内には政庁としての機能を持っている。
その為、アーシャ達の都合だけを見れば、ここへ降り立つという行動は正しい。
しかし、「政庁はここですよ」等と、親し気に話掛けられる風でも無い。
そして、実行的な政治を行う行政、それを担う教皇は、先だって、コルノ平原の戦いに出陣して以降、オベリオンでは、行方不明という扱いになっていた。
それは、誰一人帰らず、敗戦の報さえ入っていないのが理由である。
スカリオンに限らず、念話など一瞬で情報を届ける術は、無いのが普通であった。
アーシャの声に、広場を囲む群衆は反応する。
しかし、そこから帰ってくる音は、ガヤガヤとした騒めきだけであった。
アーシャは眉を顰めつつ待つ。
……一分……二分……三分……。
そして、そろそろ5分という所。
オラクルは、ミーミルの中には元老や、役人がいる事を知っていた。
放置して良い物では無い。
何故早く反応しないのか、奴らは何をしているのか。
呼びかけを行う、当のアーシャよりも、オラクルは、苛立ち覚えていた。
そして、アーシャも、そろそろ再度の呼びかけを行おうか、という時。
騒めきが一度、大きくなった。
そして、人が割れると、偉そうな八人の男が現れた。
立派で、ヒラヒラとした服。
手袖、足袖が妙に長く、それを”ずって”歩いていた。
アーシャは、心の中で「何だ、あのかったるい服は……。」と、思うも、他所の文化に口出ししないのが、ミコ・サルウェの習わし。
ましてや、今、自分は国家の代表団の一員であり、背には桜花紋が控えていた。
醜態は見せられない。
アーシャは欠片もそのような表情は見せず、しかし、少し厳《いか》めしい表情で待ち構えた。
なお、男達が着ている服は、元老のみが着る事の出来る絹衣である。
スカリオンにおいては、麻を基本として、綿が少し高級。
絹は外来品で、ほとんど手に入らない物であった。
その高級品を、一見無駄と思えるほどに、使った服を着る事が、ある種の権力の象徴なのだろう。
ただ、余談にはなるが、国よって事情が違うのは当然。
ミコ・サルウェにおいては、虫系ユニットの御蔭で、絹は二束三文、一番安い。
綿はまだ、育成場所が少ないためにそれなりに高価。
麻は、運搬用の袋などに使用され、服などに見る機会は滅多にないという感じだ。
閑話休題。
初老の男、カテドラル派の元老、アイシン・タラントンが鷹揚にアーシャに話しかけた。
「貴女様はどのようにして、この様な騒ぎを起こされるのでしょうか? また、後ろの車には、どなたが?」
アーシャは厳めしい表情のまま告げた。
「我等はミコ・サルウェ王、勅使と、私はその護衛である。貴国の政事を奉ずるものは、そなた達か?」
「「「「?」」」」
アイシンは訝し気な表情をする。
そして、他の元老たちと顔を見合わせた。
「勅使とは? また、ミコ・サルウェとは何でしょう?」
無論、元老の中には、アーシャ達がどこから来たのか、感ずいている者もいた。
しかし、国があると解っている上で、敢えてスカリオンの立場において、ミコ・サルウェを国とは見なしていない。
東を勝手に占拠し、天使様を捕えている蛮族と言う認識、もしくは扱いである。
そういった理由で、気付いた者たちも、敢えて、黙ったまま成り行きを見ていた。
ただ、残念ながら、そういった政治的な鍔迫り合い以下の事は、通じる相手でなくては意味がない。
コルノ平原で、実際に当事者として戦ったアーシャとしては、こいつらは正気なのかと。
怒りを覚えずには居られず、アーシャの眉間に青筋が立った。
「貴様らは、我が国を土足で踏み荒らし! 焼いて殺して奪ったであろうが!! 知らないというのか!?」
アーシャの剣幕に元老たちは怯んだ。
「お待ちください! 何か行き違いがあるようです!」
インデシネス派の元老、リンネル・モノルが慌てて取りなそうとする。
「……。」
しかし、アーシャはふざけた事を言えば、只では済まさんと、強烈に睨みつけた。
リンネルは怯えながらも、気丈に答える。
「確かに、我々は東に兵を送りました。しかし、それは天使様が蛮族によって捕えられ、使役されていると聞いたからです。我等アルカンジュの徒は、決して天使様の敵では御座いません。」
失言である。
------こいつは何を言っているんだ?
アーシャの顔から表情が抜け落ちた。
アーシャの事を天使と勘違いしている事は、何となく感じ取っていた。
しかし、そんな事はどうでもよい。
(アレ程の事をして、それで済ますつもりなのか? ……敵ではない? ……あまつさえ、ウチらを蛮族と呼んだか?)
「一度、落ち着いてはな」
「もういい黙れ!」
全身を焼けつくしそうな程の熱い怒気と、一息に心臓を握りつぶしそうなほどの冷気をはらんだ眼差し。
二重の殺気に、戦う者でもない元老達は冷汗を流した。
アーシャは剣を高く掲げ、そのまま横薙ぎに振り払った。
すると、飛炎が飛び、それは、ミーミル大聖堂の尖塔を一撃で切り飛ばした。
尖塔は、そのまま倒れ、大聖堂へと墜落、一部を崩壊させ、悲鳴が飛び交った。
大聖堂の首を刎ねる。
この行為が、アーシャの内情の現れであった。
幸い、アーシャ自身は勅使ではなく、なんの決定権も無い。
流石に、乗っているのが、本当にアニムであったのならば、それでも必死に耐えたかも知れない。
しかし、これ以上、話すと怒りで、どうにか成りそうなアーシャは、半ばヤケクソに叫んだ。
「これより、陛下の御意思を伝える!」
馬車に歩み寄り、整いました、と告げた。
アーシャは馬車より数歩、放れると、剣鞘を握り、辺りを睨みつけた。
その緊迫した警戒は何人たりとも近づけない威圧となって周囲へと伝わった。
馬車の扉が開き、まず、男が下りて来た。
男の姿は、ある意味で元老に近しいと言えた。
手の先、足先まで、覆える様な長丈の衣に一部の陽光すらも、遮断する布覆いで頭部を全て隠していた。
吸血鬼で、外務司のインペルである。
インペルは、大地に足をつけると、格式張って横にそれる。
そのまま、馬車の入り口から退き、跪いた。
「勅使に御座います。」
そう、口にした。
けして、大きな声ではない。
しかし、誰しもが、その言葉を聞き逃さなかった。
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