神聖スカリオンの首都・オベリオン。
聖マリオン河のほとりに建造された大都市である。
大昔は、この辺りの宗教も統一されておらず、その時代は頻繁に宗教戦争を繰り返していたという。
オベリオンは古い都市だ。
故に昔の、宗教戦争時代に築かれた高壁が、都市を囲うようにぐるりと覆っていた。
当時の考えには無かったのか、河の近くでありながら、堀は無かった。
しかし、その高壁は健在で、今でも十分に防衛施設としての役割を果たせそうではあった。
そんなオベリオンは、季節になると南から、澱んだ寒気の塊が吹いてくる。
そんな様に、都市民は考えている。
実態はただの季節風であったが、オベリオンの南には、他にもいくつかの街を超えて、獣王国:グラプトがあった。
スカリオンにとって、獣人とは悪徳の存在。
その様な者達が密集している地から、吹く風だ。
たまたま、オベリオンの高壁は南、西、東に門があるという作りであり、南風は中に入ると北壁にぶつかり、そこへ澱んだ寒気が留まるのだ。
冷たい風に晒されれば、人は病に侵されやすくなる。
故に、都市の北部高壁は、不浄の地とされ、少なくとも、普通のスカリオン人は住もうなどとは思わない。
そして自然と、脛に傷を持つ者、行き場の無い者達の集う悪治が形成されるに至った。
無論、オベリオン出身でもない、ゼイリア達であっても、普段であれば、敢えて近づこうとも思わない場所である。
しかし、彼女達の協力者は、夜中に突然転がり込んできた彼女を隠すに、ここ以上の場所など、すぐには用意できなかった。
そして、急ぎ用意を行った頃には、天使を犯罪者が攫ったと、都市内の警備は厳重になっていた。
結果、動けそうな時期を見計らうのみで、ゼイリア達はこの場に留まる他ない状態となっていた。
流石に食事もしっかり出来るし、本や情報、暖《だん》の差し入れはある為、牢の中よりは随分とマシではあった。
とは言え、ゼイリアとしては、暗い地下から、また絶対人目に付かない隠し部屋の中へとなり、アモルに対して少々以上に心苦しい想いが募った。
都市を脱出するならば、昼間よりは当然夜。
保護対象の力を借りるのも、重ねて心苦しいとは言え、夜ならばティも出てくる。
夜のうちは、いつ協力者から合図が来るか、解らない。
そう、考えて、昼間である現在は、ゼイリアは布団に入り、身体を休めていた。
(?)
寝ていたゼイリアは、自分の身体に違和感を覚えて、目を覚した。
重みを感じる。
何かが自分の上に載っている様だった。
ゼイリアは声は出さず、アモル様……?と、寝ぼけた頭で薄目をあけた。
すると、自分のお腹の辺りにお尻を付いて座り込み、こちらの顔を無表情で、じーっと覗き込むアモルがいた。
何故そのような事をしているのかは、解らなかった。
”ある意味”で、規則正しい生活をしているアモル。
起きている昼間、唯一共に居る自分が寝ており、退屈させてしまったか、とも考えた。
しかし、その時、ゼイリアは途轍もない違和感を感じた。
起きている事に気付かれてはいけない! と、そう誰かが叫ぶのだ。
(なぜ?)
その時。
アモルの顔が美しい笑顔の形に歪んだ。
そして、寝ているゼイリアの首の下に無理やり腕を差し入れて、抱きしめてきた。
「ねえ~、ゼイリア?」
アモルとも、ティとも違う、どこか妖艶な空気を纏った話し方。
先日から、アモルもティも、ゼイリアの事は、縮めて”リア”と呼んでいた。
ゼイリアが起きている事には、気付かれていないはず。
しかし、アモルはゼイリアの耳元に話しかけて来た。
「私《わたし》には何を措いても、大切な方がいるの。」
アモルが話す事は、依然聞いた話。
その人は6人家族の一番のしっかり者、いつも料理を差し入れて、食べてもらうのが最近のアモルの楽しみであった。
そんな可愛らしい話。
で、あったはず。
しかし、今、アモルがしている話は、それとは随分と違う話であった。
あの方は、手前勝手で自分の事など気にはしない。
それどころか、傍によっても、煩《わずら》わしいそうな顔をする。
響く声色は、悲しく、何処か媚びを含んでおり、未だ少女という姿からは想像できない程の色気を感じた。
一頻《ひとしき》り、思い人への不満を言い募るアモルが、いったん言葉を切った。
そして、暫くした後、アモルは突如冷たい声で言った。
「その上、私《わたくし》とあの方の邪魔をする者共がおる。」
更に彼女の口調が、アモルからブレた。
もはやゼイリアも、この少女の姿をした者が、アモルであるとは思っていなかった。
ゼイリアは冷たい恐怖を覚えた。
「ねえ? 如何してくれようか?」
さーっと自らの血の気が引いていくのを感じる。
ゼイリアはティとの会話中に言われたことを思い出した。
「リアは巫女の素質がある。気を付けて。愚妹に見初められるという事は、白日の姫様にいつも見られているという事。勘違いされる。」
そういって、何故か懐から、月の形をしたイヤリングを取り出し、ゼイリアの耳に嵌めた。
相変わらず、良く分からない話ばかりのティ。
巫女とは何か、白日の姫様とは……。
そのことをゼイリアが訪ねても、
「今代の巫女はもういる。貴方は出来損ないだから、大丈夫。」
優しい笑顔で、そうとしか、応えてくれなかった。
悪意が無い事は、ゼイリアにも分かった。
しかし、もはや天使であること以上に大切なティ(アモル)に、出来損ないと言われ、物憂い思いを感じる事は致し方なかった。
(きっと巫女である事は、良くない事なのかも知れないわ……。じゃあ、この……アモル様は白日の…姫?)
首の下を通されたアモルの手が、ゼイリアの切り落とされた左肩の切り口をがっしりと掴んだ。
そして、ギリギリと力を加えられていく。
「ねえ?如何したら良い? この縊り殺してやりたいほどの感情。何処へぶつけたらいいの?」
アモルの口で、アモルには無い禍々しい言葉を放つ。
ギシギシとゼイリアの肩口が悲鳴を上げた。
(痛い!……助けて!! アモル様!ティ様!……私は違います!! 白日の姫様! 私は巫女ではありません!! 助けて!)
ゼイリアは心の中で、必死に悲鳴を上げる。
「ねえ、如何したら良い? 如何したら良いの? ゼイリアならどうする? ねえ?」
ギリギリ……ギリギリギリ……。
しかし、責め苦は終わらない。
アモルではありえない、物凄い力。
血がひたひたと肩から流れるのを感じた。
もう無理だ。
ゼイリアの閉じられた瞼から、涙がこぼれ落ちた。
そして、諦めそうになった、その時。
「あは?」
そう、喜色のこもった声が、アモルの口からこぼれた。
「嗚呼!! 旦那様! ほめてくださいませ!」
そう、叫び、がっくりとアモルの身体から力が抜けた。
(……。……。……。)
スースーと、アモルの可愛らしい寝息が聞こえ始める。
ゼイリアは、精神や肉体だけではない、何か途方もない圧力から解放されるのを感じた。
(……助かったの?)
凄まじい程の虚脱感。
指の一つとして、動かない身体。
しかし、吐息だけは荒く、激しく胸だけは上下を繰り返していた。
そのまま、しばらく。
疲れからか、ゼイリアは意識が徐々に遠くなっていくのを感じた。
ぐっしょりと流れ落ちる汗が、額から耳へと伝う。
そして、その雫は、ティが彼女の耳につけた、月のイヤリングを揺らした。
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