「おお、ソォール達が最初か。」
わいわいと、話をしながら歩いていると、作業所に付いた。
作業所には、すでに一人の老人がいた。
「ん……今日はゲイリーか。」
活発な農民団:ゲイリーは、その道50年のベテラン農家として、まだまだ初心者である皆の、農業指導をしていた。
稀、と言うほど珍しくもないが、EOEの世界で、生きていた頃の記憶を、持っていない者がいた。
例えばソォール達や、妖精のミリー、そして、このゲイリーもそうである。
悲しくも、彼は50年、どこで何を作っていたか覚えておらず、農業の腕は確かながら、ボケ老人扱いされ、ある意味では皆に親しまれていた。
ただ、同時になめられ、あまり、尊敬はされていないようであった。
「うむ。このあいだは、デヴィンが、やらかしたらしいじゃないか?」
ゲイリーは厳めしい顔をしながら、ソォールに近づいてくる。
農業指導をしているのは、一人ではない。
デヴィンは先日のナス作りに失敗した際に、指導員として付いていた若い男だ。
「ああ、知っていたのか。何が悪かったのか、俺達じゃあ解らないけど。売り物にならなくてな。ここ暫くは渋ナスばかり食べてるよ。カハハハ。」
ソォールは自嘲気味に笑い飛ばした。
ぐい~っとゲイリーはそのまま、顔を近づけて……ガシっと、ソォールの右手に阻止された。
「なんだよ。気持ち悪いな。」
ソォールはインプの顔を顰めて、ゲイリーの奇行に閉口する。
「ふん。食べ物を粗末にしてはならん。失敗を自分達で処理するのは、良い心がけだ……。しかし、奴もまだまだ青いな。」
濃い眉毛を、意味ありげに片方持ち上げて、鼻を鳴らす。
どうやら、指導員として、自分の方が優れていると言いたかったらしい。
ソォールは内心で、ため息を吐いた。
「やはり人も野菜も熟れておらんとな。青い者はダメじゃ! ダメじゃ!」
何とか尊敬を皆から得たいようだが、そのやり方では成果は得られない。
「あ~……うん。なんだ? まあ、その……デヴィンも悪気があったわけじゃないからな?」
ソォールとしては、教えてもらっているという意識はある。
自分も関わっている事でもあるし、一度の失敗で責めるのは、随分と居たたまれなかった。
「グクク。私が人喰いでも、爺は美味そうに思えないな。ググク。」
「後進に道を譲れよ。」
ソォールが困っていると、ポックスとカーズが、早速揶揄い始めた。
「何を言うか! 貴様ら、若いもんには負けん。まだ歯もしっかり残っておるし、貴様らが言うほど、ボケてもおらんわ!」
活発な農民とインプ。
”らしい”と言えば、”らしい”やり取りではある。
確かに本人の言う通り、元気なのだろう。
ゲイリーとポックス、カーズは、そのまま掴み合いの喧嘩を始めた。
「おいおい。これから仕事だぞ? それに一応は、俺たちの方が教わる立場なんだ。また失敗したくないだろう?」
ソォールは声を上げ、止めようとした。
しかし、誰も聞いていない。
その挙句に、プレイブや内向的な性格のコマまで囃し立てている始末。
イルも見守るのみで、誰も彼等を止めようとしなかった。
「……。はあ……。」
ソォールは暫く終わりそうにないな……と大きなため息をついた。
インプのソォール・ヒエメス。
もともとは、フレーメンの地下墓地、ヒエメスに召喚されたインプだ。
彼は、変わり者と言われていた。
インプたち悪魔種も、お洒落や食事、性交など、自分の好きな事には、並々ならぬ執着を見せる事はある。
それは悪魔の性《さが》だ。
だが、彼等は基本的には、大いに享楽的で気まぐれだ。
無論、これも個人差と言うものはある。
今の所、真面目さが原因で仲間の誰かと争うというような事はないし、ソォールにも何か性があるだろう。
しかし、彼等の性格を考えると他の種族と比べても、ソォールの場合は真面目であると思われていた。
畑にやって来たとは言え、ソォール達だけで仕事をするわけではない。
他のモノたちが集まるまで、暫く時があるはずであった。
ソォールは、仲間を諫める事を諦めて、横に並べてある、農具の手入れをすることにした。
草刈りに必要な刃に欠けは無いか、泥汚れは無いか。
残っていれば、もとより汚れるつもりの格好だ。
構わずに裾で拭って磨いた。
別段、ソォールとしては、几帳面なつもりは無い。
しかし、道具がヘタレば仕事が滞る、刃が欠ければ、その欠けた刃は食物を作る畑の上に落ちるのだ。
当たり前の事だと思っている。
ようやく出て来た朝焼け、その淡い陽光に道具をかざした。
光を反射してキラキラと輝いている。
ソォールはそれを、満足そうに眺めた。
その時、ソォールは気が付いた。
ソォールの傍で、イルも同じように農具の手入れをしていた。
「……。」
「……。」
お互いに、何を言うでもない。
ただ、黙々と手入れを続ける二人。
イルはコマの様に、内向的な性格と言う訳ではない。
話をすれば、穏やかで社交的な性格をしている。
しかし、イルは、いつも物事の外に居て、皆を静かに見守っていた。
ただ、唯一、時折、ソォールのやっている事にのみ、彼と同じように、彼の隣で彼の真似をする。
「……。」
「……。」
ソォールはこの時間が、不思議と好きだった。
しかし、二人で手入れを行えば、それだけ早く終わってしまう。
少し名残惜しく感じたが、丁度良く、他のモノたちも集まって来ていた。
今日、仕事を共にするのはミシアンの癒し手:メイソンや熟慮断行の僧侶:オンメイ、ファオルトナ教の果敢な弟子:ケニスなどの聖職者8名のグループだ。
再三の話、聖職者と悪魔の組み合わせの特異性など、この国ではいい加減にしつこい話だ。
ただ、彼等も聖職者と言うだけで、飯が食えるわけではない。
特にEOEの世界は、中世のそれ。
戦、はびこる世界では、嫌世感は強まり、同時に宗教の力も強くなる。
故にEOE、転じてミコ・サルウェは、聖職者の数というのはかなり多かったし、ミコ・サルウェの聖職者は、それとは別に農業従事者である事は珍しくなかった。
彼らは、そんなグループの一つだ。
「ああ、メイソン。今日はよろしく頼む。……おい! お前ら。皆、集まったぞ。」
ソォールが彼らに挨拶した。
呆れる話だ。
ポックス達は信じられない事ではあるが、今の今までずっと喧嘩を続けていたらしい。
ソォールはポックス達の事は好きだし、共に寝食を共にする家族である。
しかし、こういう所はどうしても性分に合わず、うんざりした気持ちが心を占めた。
「あはは……。おはようソォール。君たちの所は相変わらず元気だね。」
メイソンが挨拶を返してきた。
「さっき、ミルザにも同じことを言われたよ。」
渋面のソォールは、諦めの心境であった。
この後は仕事が始まり、良くある流れ。
ゲイリーの教導の元、所定領域の草を刈り、石を取り除き、鍬で土を掘り起した。
作付けも、という話ではあった。
ただ、想定よりも畑の状態が悪く、今日はそこまでは行けそうになかった。
インプの背丈でも、地面と向き合う時は腰を折り、中腰以下の姿勢を取らねばならない。
太陽は南中を少し過ぎる頃。
難しい体勢で長時間いたせいで、足や腰に軽い、しびれを感じた。
そろそろ休むかという彼らに、耳に澄んだ綺麗な声を掛ける者がいた。
「みんな、こんにちは! ちょっと遅れちゃった。……お昼作ってきたんだけど。もう食べちゃった?」
陽光を反射し、眩いまでの白銀の髪に、丸くクルリとした大きな瞳、少し薄い唇の少女。
天使種のアモルであった。
インプよりは大きい、140cmほどの身長、人型では小柄に分類される体躯だ。
畑作業を手伝っている割には、焼けの無い真っ白な肌で、双子の姉妹がいると聞いていた。
ただ、ソォール達は、未だにその姉に会った事は無かった。
アモルは特にイルと仲が良く、こうして数日に一度ほどの割合で、食事を作っては差し入れてくれていた。
「いつもすまない。ありがとう。」
ソォールがそう、声を掛けると、頬をほんのりと染めて、初々しく受け答えをする。
可憐な容姿も相まって、アモルはアエテルヌムのアイドルだ。
はじめ、ソォールとしては、イルにくっついている自分たちばかりが、差し入れてもらう事に居たたまれなさを感じていた。
そうではないと、今は知っている。
ソォールはアモルが苦手だった。
今、他の者と話していても、チラチラとアモルはソォールの事を見ている。
以前、それを不思議に思って、アモルと仲の良いイルに尋ねると「男っていうのは、本当にだめね。」
どこか母を感じる微笑みを浮かべ、その様な答えが返ってきた。
ソォールも馬鹿ではない。
その様に匂わせられれば、大体の事を察する事は出来た。
本当は、それに対して、しっかりと向き合わねばならないと思っている。
しかし、それを考えると、何か考えてはいけない事を考えてしまったようで怖かった。
考えるたびに、ソォールの中でズシンと何かが、己の鳩尾を貫いた。
そして、そこから、じわっと液体の様に、恐怖がソォールの中に浸み込んでいくのを感じる。
それが何かは、ソォール自身にも分らなかった。
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