夕闇の戦場、聞こえてくる怒号や悲鳴はミコ・サルウェ軍から、奇声、嬌声の類はスカリオン軍から放たれていた。
体の損壊を気にも留めない、引くことなく、安全装置の外された攻撃を繰り出し続ける狂者の行進。
彼等は、生きながら、生者に対する凄まじいまでの憎悪を振りまいていた。
死、その物の恐怖を目の当たりにして、委縮した心身。
ミコ・サルウェ軍にしても、これほどまでの敵意と狂気を向けられたことは無かった。
その場に残された彼等は、苦しい戦いを強いられていた。
そんな中、もとより細い目を薄っすらと開けて、アーシャは目を覚ました。
はじめ、アーシャが目にしたのは、此方を覗き込むリーフェの顔であった。
「アーシャさん。気付かれましたか。」
リーフェの声は、いつも通り。
しかし、流石に焦りの様なものが混ざっているのをアーシャは感じた。
------ドゥン!
銃声。
戦いがまだ続いている事を認識する。
アーシャは、口の中に溜まっていた血の塊を不快気に吐き出した。
リーフェに向かって。
「最低《さいってい》です……。」
顔の正面から、血痰を被ったリーフェは、それを拭いながら、冷たい視線をアーシャに浴びせかけた。
「……ん!」
身体に力を入れると、一息で立ち上がる。
身体のどこにも、おかしなところや、違和感も感じない。
横を見ると、オニツカが眉間を寄せて此方を見ていた。
「(心配は)無用だ。」
そういうと、アーシャは大きく息を吸う。
そして、
「軍旗兵!!」
その声だけで、戦場で倒れかけていた、闇燦の軍旗が、再び一糸乱れず直立し、はためき直す。
これが彼女の帰還。
戦場に響き渡る、不死鳥の喊声《かんせい》。
ただ、それだけの事が、全体に漂う死臭に塗れた空気を、綺麗に入れ替えてしまった。
今だけの事、アーシャは、誰の仕業か、光の筋が見えた。
その光の筋は、アーシャと他の仲間を繋ぎ、またアーシャ以外の仲間同士も繋がっていた。
そのうちのいくつかが、遠く、西の空へと延びている。
この光が、何を表すのか、アーシャはすぐに理解した。
「聞けい! 我が輩(ともがら)たち!」
誰よりも戦場を求め、心軋むほどに、誰よりも戦場を嫌う女は朗々と吼えた。
「我が輩よ、同胞《はらから》たちよ! 此処より西に、我らと生を同じくした兄弟が、虜囚となっているのを、我は見た! 我は兄弟を取り返すため、この戦に赴こうと思う! 死が我らを呼んでいる! さあ、何と答える!?」
戦場にあって、しかし、静寂が一瞬、辺りを包みこんだ。
スカリオンの狂声など、誰の耳にも入らない。
そして、もはや、かつての死を求めたアーシャはここにはいなかった。
「我の答えは「否」である!! 必ず、生きて家族を取り返し、全ての悲劇を打倒す盾となろう!! お前たちはどうだ!?」
アーシャは団員達に呼びかけた。
彼らは、互いを見渡した。
すると、すぐ近くにある死を恐れ、強張った情けない顔がその瞳に映った。
それは鏡像でもあった。
------嗚呼、彼も恐れているのか。
彼等は自らの胸の中から、パチン! パチッ! っと何かが弾け、焚き上がって来るのを感じた。
------ならば、守ってやらなくては……。
それは、制御できない、途方もない意志の力となって、空を、大地を、戦場を、彼等の血流となって駆け巡った。
------我らが守ってやらなくては!
「否!! わが身は生きて護国の鬼となろう!」
------ドゥン!
まず、オニツカが大きく咆哮すると、銃口を高く太陽に突き付けて、空砲を放った。
「否! 私は生きます。新たに生まれ、貴女様の元に旅立つ子等。私は、その全ての守護母となりましょう。」
魔女は、我が子を模した木彫り人形を、太陽に掲げ宣誓する。
「否!」「否!」「否!」「否!」「否!」「否!」「否!」
「「「「「「「「「「否」」」」」」」」」」
闇燦師団全体で「否」という言葉が大きく飛び交う。
そのたびに、どんどんと、スカリオンの狂軍を押し返していった。
アーシャは腰の鞘から、剣を抜き放った。
剣に住まう炎精霊が呼応し、激しく、自らの存在をその持ち主に誇示しようと荒れ狂った。
アーシャの背中にはギラギラと燃え盛る、焔の翼が現れた。
------熱い。
アーシャは胸の奥がカッと熱くなるのを感じた。
深呼吸すると、その熱は、アーシャの身体を赤き血流にのって廻り、アーシャの身体を焼き尽くしていた。
そして、鼻腔から外へ抜けて全身を包み込んでいった。
余りの熱さに、全身が溶けてしまいそうな感覚。
この感覚は、アーシャ一人の物ではない。
オニツカも、リーフェも、グラドロモニカも……。
------いや、溶けているのだ。
皆が皆、炎となって混ざり合い、一つの大きな炎となるのだ。
それは、生命の炎。
------もっと、燃え上がりたい。
当然の事だ。
それこそが、炎の本能と言う物。
------怖い……死が怖い!
そして、この炎は死の恐怖を知っていた。
スカリオンの狂兵が襲い掛かってくる。
いや、彼らは既にスカリオンの兵ではない。
死と戦う事は、死を恐れる者にしか出来ない。
死を恐れない者は、目を背けているだけ。
目を閉ざしては、たちまち死に取り込まれ、同化してしまう。
だから、炎は勇気を持って、強大な”死《てき》の尖兵”に立ち向かうのだ。
------もっと、もっと、大きく! 熱く!
迫りくる死に負けぬように、炎は大きく躍動する。
死の尖兵が魔術を放った。
その身に1000の魔術を身に着けた炎が、たちまちそれを防ぎ、火勢を上げた。
死の先兵が、身も竦む様な殺気を、嬌声と共に放ち、槍で突撃してきた。
すると、継ぎ接《は》いだ100の口を持った炎が、その声をかき消す。
そして、槍が炎に届く前に、黒竜の姿をした炎が、その尾で横薙ぎに吹き飛ばし、更に火勢を上げた。
もはや、止まらない。
生命は燎原の炎のように。
炎が一度大きくうねる。
すると、炎の中から輝かしい、一匹の不死鳥が飛び出した。
その不死鳥は、天高く舞い上がると、右手に持った剣を死に向かって振り下ろす。
炎の光輪が、不死鳥の前方に出現した。
途端、焼尽の風が巻き起こり、次々と尖兵どもの身体を灰燼へと帰していった。
その日、炎は全てを焼き尽くし、浄化するまで、その火勢を緩めることは無かった。
ミコ・サルウェ歴51年、5月8日。
コルノ平原の合戦。
途中、神話的なる干渉を受け、闇燦師団は強烈な打撃を被《こうむ》った。
しかし、スカリオン軍に至っては、アドミラル・メッサーノーツ率いる50人に満たない寡兵を除き、発狂の末に文字通り全滅。
そのアドミラル隊にしても、後には別働行軍中の群緑師団によって捕縛される事となった。
これによって、コルノ平原の合戦は僅か、2日という速さで終結を見る事となった。
闇燦師団のアーシャ・クライスピアーは、このままの勢いでの進軍を上奏するも、想定以上の損耗、そして、赤武師団もすでに付近に集結を終えていた事により、ミコ・サルウェ中央政府はこれを棄却する。
ユリン・シェヘラザード「ミコ・サルウェ正史」より
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