(?)
再び、目を覚ます時、アーシャは凄まじい息苦しさの中にいた。
匂いは解らない。
しかし、彼女は自分が、生温い泥の様な物の中に居るのを感じた。
アーシャはもがき、上昇しようとした。
はなから、どちらが上かも解らない。
しかし、苦しさに任せて、あちら此方《こちら》を蹴とばすようにして、必死で息を吸おうとした。
アーシャは、何とか黒紫色の泥の様な地面から、湧くように這いあがる事が出来た。
目に入った泥を拭って、辺りを見渡した。
世界は黒かった。
しかし、不思議と暗くはない。
そこは、アーシャにとって、見覚えが無いのに、懐かしい世界であった。
------ここにいる。
アーシャには解った。
此処に来るこれまでを、散々見せつけて来た存在。
それが、自分を呼んでいる。
アーシャは怒りに任せ、自らの感覚に誘われる様に歩き出した。
なぜ、あのような物を見せる!
なぜ、現実を捻じ曲げる!
なぜ、こんなにも苦しめる!
アーシャの胸の中に木霊する、熱い不満は、すぐにでも破裂しそうであった。
(アーシャ……ごめんなさい。)
ふと、頭の中で自分以外の声を聴いた。
そして、目の前に、少女の姿を捕えた。
この黒い世界においても、不思議と埋没せず、溶け込むことの無い、黒いコートを着込んだ少女。
腕には何やら、紫の本を抱えていた。
彼女はアーシャを見て、悲しそうにした。
「お前は……?」
アーシャは眉を顰めた。
(私は『産声を聞くもの』。)
再び、頭の中に声が響いた。
ミコ・サルウェにも念話の魔術を使う物がいる。
しかし、それとは、どこか違って感じられた。
「何故だ!? 何故、うちにあんなものを見せた。」
アーシャは、発端を確信した。
激昂して、アーシャは少女に詰め寄った。
しかし、『産声を聞くもの』は姿を消す。
掴みかかろうとしたアーシャは、一瞬踏鞴を踏んだ。
(貴女だけだったから……。)
俯《うつむ》く姿の『産声を聞くもの』が、また、アーシャの前に姿を現した。
「何?」
アーシャは再び、訝し気に眉を顰した。
(私は全ての産声を聞く者。苦しいとか、悲しいとかは居るの。でも、貴女だけだった。……貴女だけが、産まれた次に「死にたい」と強く願った。)
そう言って、『産声を聞くもの』はアーシャを切なげに見つめた。
「!?」
アーシャは自らの胸を押さえる。
『産声を聞くもの』はアーシャ自身も知らない、もっと奥までを見つめている気がした。
(アーシャ……ごめんなさい。貴方が苦しむのも、悲しむのも知っていた。でも、私の存在が、貴女を許してあげられなかった。)
アーシャは何故か、ここから逃げ出したくなった。
怖いとは違う。
不気味でもない。
ただ、どうしようもない程の不安を感じて、アーシャは虚勢を張った。
「何言ってやがる!? ウチは戦場に居た筈だ! 用が無いなら、ウチを早く戻せ!!」
アーシャが、がなり立てるのに対して、急に真顔になる『産声を聞くもの』。
(今のままではダメ。)
静かで、無機質な表情。
『産声を聞くもの』に対して、アーシャは無表情もまた、表情の一つであることを感じた。
「はあ? ふざけんなよガキ!」
産声は、その静かな表情のまま言った。
(アーシャ、どうして? どうして戦場に戻りたいの?)
パッと景色がコルノ平原へと変わる。
しかし、位相が違うのか、駆けて行っても戦いには参加できない事が、なんとなく理解できた。
事情を知らないアーシャ。
ボロボロになっているグラドロモニカや、ズタズタになった士気で、苦しい戦いをしている仲間たちに驚いた。
アーシャはキッと強い視線で『産声を聞くもの』を睨んだ。
「仲間が戦ってんだろ!? ウチが前に出なくて、如何すんだよ!?」
アーシャとして、それが当たり前の在り様。
(でも、アーシャ? 貴女、このまま此処に居れば、死ねるわよ?)
「え」
ヒトの在り様とは、容易く、一辺倒に在る物ではない。
『産声を聞くもの』の言葉は、もう一方のアーシャを刺激した。
(アーシャ。貴女は立派だったわ。貴女が割って入らなかったら、あの一撃で4人もの貴女の仲間が死ぬところだったの。すぐにあの古い魔王が割って入ったから、犠牲者は最小限よ? おめでとう。これで、貴女は、心を軋ませてまで、耐えて来た、大嫌いな戦争からも解放されるわ。英傑アーシャ。)
『産声を聞くもの』は、それまでとは違う、どこか薄ら白々しい、作られた慈愛を感じる笑みでアーシャに語り掛けた。
何を言われているのか。
アーシャの目が落ち着かず、キョロキョロとする。
死。
確かにそれは、アーシャが望んでいた筈のものだ。
------死を怖がっているのか?
違う。それは確かにアーシャが望んだものだ。
------ウチが戦争を嫌っている?
(そんな事は……むしろ、ウチの居るべき所だ……ろ?)
アーシャは自問自答を繰り返す。
そして、繰り返した先、その答えは何故か空虚に感じられ、自信を失っていった。
ぽっかりと、胸に穴が開いて、ぼんやりとした頭。
それまで、自らで張り付けていた武装が、ボロボロと剥がされていく様であった。
「?」
茫洋としているアーシャに、『産声を聞くもの』がふわりと、浮遊する様に近づく。
そのまま、トンっと飛び上がると、アーシャの頭に優しく抱き着いた。
(ねえ、アーシャ。……正直でいいのよ。今、貴女はどんな気持ちでいるの? 私に教えて?)
アーシャは茫洋としたまま、自らを整理できずに、”そのまま”を答えた。
「嬉しいでもない。悲しいも違う。強いて言うなら、ああ、終わっちゃった、そんな感じがする。」
幼子の様な表情で、たどたどしい言葉。
(アーシャ。何が終わってしまったの? 人生?)
アーシャの瞳から、涙がこぼれ落ちた。
しかし、同時に今、安らぎに包まれていた。
「ううん。違う。……なんだろう。挑戦?…わかんない。」
幼き日、嘘をついてしまい、母に叱られた時の事を思い出した。
あの時、母はアーシャを抱きしめて、悲しそうに見つめていた。
------アーシャ、どうして嘘を吐いたの? 貴女が本当にしたかった事は何?
『産声を聞くもの』は腕の中に居るアーシャに対して、作り物の無い、真《しん》に慈愛に満ちた笑みで話しかけた。
(思い出して……アーシャ。それはとっても大切な事。それが本当の貴女。)
アーシャは、自らの中を静かな気持ちで見つめ、答えを探し続けた。
深い、深い、彼女の中の、そのまた中。
すると、確かにあった。
巧妙に沈み、隠されていた”彼女”。
それは、広大な海の上を揺蕩う、小さな木箱の様なものだ。
手を延ばせば届きそうに見えて、掴もうとすると、僅かに届かず、指先をぶつけては、また沈めてしまいそうになる。
何度か試みて、やっとの思いで手繰り寄せて、中のモノを引っ張りだした。
そして、アーシャは思い出した。
村に火を放ち、全てを殺したのは、けして失意からではない。
それは、止め処なく溢れる、怒りと、悲しみによる”決意”だ。
もう悲劇はいらないと、世界から悲劇を無くす為、悲劇を終わらせる為、13の少女は世界と戦う決意をしたのだ。
しかし、小さな少女の大きな誓いは、辛く孤独な闘い。
何時まで経っても、終わらぬ戦乱の日々に、何時しか思いは変質し、歪んだ。
この戦いを、早く終わらせるために、死と戦場を自らで求め始めた。
それが、英傑騎士アーシャという真実。
茫洋としたアーシャの目の焦点が、ぴしゃりと定まった。
寂しさという渇きのあまりに、長く蜃気楼を見つめていた。
見るべきものを見ずに、見えざるものを得ようとしていた。
妙な気恥ずかしさをアーシャは感じた。
------でも、もう思い出したのだ。
生きなくてはならない。生きて、戦わなくてはならない。
それでも、そう思う自分に”待った”が掛かる。
------そう思うのは、村や姫の惨劇を見せられたからじゃないのか?
英傑騎士アーシャ、最期の抵抗だ。
「……ククク……。」
アーシャは嗤った。
(アーシャ?)
アーシャは、彼女が答えを見つけるまで、変わらずに、大切に抱きしめていてくれた『産声を聞くもの』から、優しく身体を引き離した。
「だとしたら、ウチも存外、馬鹿馬鹿しい……。小娘。ウチを早く戦場に戻せ。」
アーシャは清々しい表情、はっきりした口調で告げる。
(……。)
『産声を聞くもの』は、その様子をじっと見つめる。
(……アーシャ。教えて? 貴女はまだ、死にたい? )
彼女の問いに、ふんっと鼻を鳴らす。
「いいや……生きてやるさ! 今度こそ、全ての悲劇を叩き潰す剣であり、盾になってやるよ。」
アーシャは心の中で礼を言い、しかし、いっそ、ふてぶてしい表情で答えた。
(……そう。)
『産声を聞くもの』は、満足そうに微笑んだ。
『産声を聞くもの』は、全ての生命の始まりを聞くもの。
明日を生きたいと願う、数多の希望の祝福者である。
彼女は祝福を授ける代償に、その声を失った。
(じゃあ、私から最後に二つ。贈り物をあげる。)
そういうと、『産声を聞くもの』は、懐からペンを取り出すと、左手に持った分厚い本に何事か書き込んだ。
そして、顔を上げると、ペンをしまう代わりに、また何か、小さいものを取り出した。
(誕生日、おめでとう。アーシャ=クライスピアー。)
元来、農民の娘であるアーシャには、もともとの姓は無かった。
そして、今まで、ミコ・サルウェにおいても。
アーシャ=悲しみを穿つ者
これが、一つ目の贈り物。
彼女の新しい名前《しゅくふく》。
そして、二つ目は、
「……チクリの人形。」
それは、産まれたばかりの子に、母が贈るサナトリアの風習。
アーシャは自らの懐から、あの時ひろったチクリの人形を取り出した。
それは、何時からだろうか、首の部分が半ば以上に千切れて、取れかかっていた。
それまで、忘れていた事を、アーシャは思い出した。
この人形を拾った時も、この少女が居たのだ。
アーシャが『産声を聞くもの』を見つめる。
『産声を聞くもの』はクスリと笑った。
(新しく産まれた貴女には、新しい人形が必要……そうでしょ?)
『産声を聞くもの』は、可愛らしく笑顔のまま首を傾げると、アーシャに近づいた。
そして、壊れた人形を取り上げると、代わりに新しい人形をアーシャに握らせた。
その時から、アーシャの意識は急速に遠のいていく。
(貴女の生が、良い物になりますように、どうか幸せにね。)
アーシャの出生には、アニムも知らないEOEの作者だけが知っている裏話があった。
彼女の父は、とある理由で強大な悪魔から恨みを買っていた。
その結果、彼の妻は悪魔によって、お腹の中に呪いを宿され、その第一子《アーシャ》は悪魔の呪いを授けられて生まれた。
その呪いは、身体が頑健になるという物。
本来それは、自らの眷属に与えられる悪魔の祝福。
しかし、力に善も悪も無い。
良き方に祈れば祝福、悪しき方に祈れば呪いと言われる。
EOEの物語終盤には、老婆となったアーシャが登場した。
彼女は一見、脈絡なく、神の力を借りて、デーモンへと変じ、人の災厄となるのだ。
そして、最期、新たな別の英雄によって討ち滅ぼされた。
※R悲哀の化身 アーシャ 闇闇火火③ デーモン
飛行
アーシャが場に出た時、行動終了状態のユニットを全て破壊する。
4/8
FT--------彼女は託したのだ。新たな英雄に。
自らを化身とし、うち滅ぼされる事で、世界を救おうとしたのだ。
突然の展開に、誰も意味が解らなかったフレーバーテキスト。
アーシャは自らの中にあった呪いの力を自らに取り込み、一体化することで、”思い出した”。
そして、その力を使い、彼女は最期に、英傑アーシャの望む姿へと変じたのだ。
英傑アーシャでは、彼女《アーシャ》を救えなかった。
しかし、それは、あくまでもEOEの世界での話。
新たな祝福を受け、すでに、英傑アーシャは存在しない。
アーシャ=クライスピアーも終生、人の災厄となることは無い。
もう、悲劇は必要ない。
彼女が、そう、決めたのだから。
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