翌日、まだ日も登りきらぬ薄明時。
ソール・オムナス城の一室にて、御前会議が開かれた。
平時であれば、会議は臣のみで別段行い、それをアニムが承認する事で国が動いていた。
しかし、今会《こんかい》はアニムの前で直接会議を行う為に、普段とは少々趣《おもむき》を異にしていた。
部屋の中央には、大きく立派な円卓があり、その一角には上品で雅な腰かけがある。
無論、誰が見ても、誰の席かは、一目でわかった。
会議に参加する者は皆、部屋に入室する際、アニムの席に向かって、用意された”米”を一つまみ、額ほどの高さまで掲げ、それから服に振りかけた。
この行い。
米は、ミコ・サルウェにおいて、縁起の良い作物として認知されていた。
今回の会議、決して良い物ではない。
本来、臣下のみで片を付けて、陛下には心穏やかに居ていただく。
それが、臣たるものの役目であった。
にも拘らず、わざわざ陛下にお出まし頂くような事になってしまった。
そのこと自体が、不吉である。
そんな考えから、誰が言い始めたのか、厄払いの作法として行われたものであった。
皆の表情は固い。
侵略に対して、警戒を怠っていたのは、何もアニムだけではないのだ。
国境の防衛などは、軍から政府、ないし政府から軍へ、相互に要請できる仕組みは、すでに法体に存在していた。
だというのに、闇燦も赤武も、国内の治安にばかり目を向け、そちらが落ち着いていれば良し、と考えていたし、争い事を嫌う政司は、それが行き過ぎて、そもそも防衛から、無意識に目を背けていた節もあった。
室内に、アニムが三舌と呼ぶ、文官衆の筆頭、法司、プロセン、政司、ユリン、外務司、インペル。
そして、五色と言われる武官から、闇燦師団のアーシャ、天白師団のゼラス、蒼海師団のアリアナ、赤武師団のアーレス、群緑師団のベスティアが揃った……と言いたい所。
なぜか、蒼海師団は師団長のアリアナではなく、副師団長のリムリエルが。
赤武も同じく副師団長であるロレーヌ、そして彼女の付き人シアンが出席していた。
なお、群緑のベスティアは今朝方、未明の帰還であったために、アニムの意向で、「追って連絡する故、休養を取る様に」と言い含められていた。
他よりも1分ほど遅れて、アニムが入室した。
アニムは、足元の米を訝しそうに眺めた。
しかし、それには触れず、自らの席へと進み、泰然と椅子に座った。
アニムは普段から、比較的に簡素な服装を好んでいた。
その日のアニムは、襟長《えりなが》でカチッとした黒一色の服を着込んでいた。
これが、アニムなりの喪服であり、軍装服のつもりでもある。
その場にいる者、全員が座上のまま、アニムに向かって一礼した。
式や、祭典の類ではない為の簡素であった。
皆が、顔を上げた。
アニムはリムリエル、そしてロレーヌへと、感情の見えぬ表情で数拍ずつ見つめた。
当然、穏やかな空気など流れるはずもなく、緊迫した空気が室内に流れた。
「アリアナ……、それから、アーレスは居ないのか?」
アニムのさほど大きくもない声が、質量以上の重さに感じて、室内に響いた。
リムリエルが起立する。
アニムは別に、責めているわけではない。
しかし、リムリエルは、少しどもり、目を白黒させながら弁解した。
「こ、今回の闇燦の初動の遅れは、自らに責があり、犠牲者に対して申し訳ないと、また、陛下に対して合わせる顔がないと、師団長は自主謹慎をしておりまして……。」
国の大事に、軍団の代表者がひきこもるなど、何を考えているのか。
後ろめたい事があるのならば、尚更、謀反を疑われかねない行動であった。
「決して、反意があっての事ではありません! 蒼海師団としては、汚名を濯ぐべく、荒事になれば、全力で協力するつもりで御座います。」
不信げな表情が3割。
アリアナの身勝手はいつもの事と、呆れ果てた表情が6割と言ったところ。
ただ、アニム一人が、無表情でリムリエルを見つめていた。
次いで、すらりと手足の長い女、赤武の副師団長ロレーヌ。
「団長は避難民の対応に行かせました。」
ロレーヌは、リムリエルとは対照的に、さも当然という風に、堂々と言ってのけた。
「お前の判断でか?」
訝し気にプロセンが問う。
「そう。あれで国民には人気があるから。ここにいるよりも、そちらの方が役に立つわ。……逆に、私では役に立てないしね。」
言葉の余韻には、ほんのりと寂し気な声色が混ざった。
ロレーヌはプロセンに対して、目を見開いて、応えている。
しかし、ロレーヌは幼少期に呪いを受けた。
その呪いはロレーヌの目を白く焼き、彼女の目はまったく見えていない。
今も、音を頼りにプロセンの方を向いているが、少しズレた中空に視線が向いていた。
盲目の軍師、ロレーヌ=バーンヤード。
隣にいる少女、シアンは、彼女の生活全般を補助する付き人であった。
その話を聞いても、プロセンは訝しげな表情を崩さなかった。
理由は通っているが、何かが引っかかる。
顎を掴む彼の仕草は、そう物語っていた。
そこへ、アニムが口を挟む。
「お前たちがそう言うのならば、そうなのだろう……。私はお前たちを信じよう。」
アニムとしては、蒼海、赤武がスカリオンと繋がりを持っている等と言うことは、無いと”知っている”。
また、アニムは、彼らが望む故に、王をやっているのだ。
王などいらんと、謀反を起こし、アニムを捨てるというのであれば、それはそれで、構わないつもりであった。
無論、国の有事に乗じて、と言うのであれば、相応の切り札を切らせてもらう考えはある。
(……嫌な感情だ……。)
”つもり”は、飽く迄も”つもり”でしかない。
可愛い、我が子に等しい者たちが、自らを欺いている等と、思いたくはなかった。
かつて存在した数多の王たちは、親子兄弟で殺し合い、これよりも更に薄ら寒い感情の中で、己の権力を維持してきたのか。
そう、思うと自らは、まだ恵まれているのかと思う感情と、それよりも更に強い、知ったことか、と反発する思い。
その両方が、アニムの中に存在した。
「プロセン、話を進めてくれ。」
会議の際は、法司が進めるのが、慣例としていた。
それに従いアニムは、進行をプロセンに促す。
リムリエルは冷汗をかきながら、ロレーヌはたんたんと、アニムに対して頭を下げた。
2人が元に直るのを待って、プロセンが話し出した。
「まずは、状況の確認から済ませようかと思います。」
そういって、チラリとアニムに視線を移し、アニムもそれに頷いた。
「昨日の夕刻、我らミコ・サルウェは、西方の国より侵略を受けた。結果はイロンナが人的被害を含め42%の被害、アエテルヌムに至っては、100%……。壊滅状態である。そして、陛下によると1名の国民が現在、拉致されているとの事である。この認識に異議ある者はいるか?」
そう言って、プロセンは周囲を見渡した。
「無いようだな……。では、今後の対応について、議題を移したいと思う。」
まず、意見を出したのユリンだ。
「ひとまずは、使者を送っては如何でしょうか? どうして攻めて来たのか。話し合いで解決できるなら、それに越したことはありません。」
半竜ユリン=シェヘラザードは、EOEの世界では、戦いが嫌いすぎて、巨大な力を持ちながらも、大書庫の奥に引きこもっていた。
魔物や、人間にしても、好戦的な者が多く住むミコ・サルウェ。
故にユリンは、前のめりな政策に傾倒しないようにと、アニムによって、そのバランサーとしての役目を持たされていた。
当然、彼女の意見はこういう結論になった。
そして、それに反発するのがアーシャ。
会議は紛糾した。
始めはユリンとアーシャによる言い合いである。
しかし、そのうちプロセンが加わると、それは苛烈さを極めた。
「は? びびってんじゃねーぞ! 何のための兵だよ! やられたら、やり返さないと、調子にのらせるぞ!?」
「相手の戦力も解らず戦争をするなど、愚にもつかない事を、兵にさせるわけにはいかん。」
「オムナスに居たお前にわかるか!? 出ないと言うならば、闇燦は貴様を仇とするぞ!?」
「な!? 軍を私物化するつもりか!?」
「ウチらの総意だ!」
普段、冷静冷徹に見えるプロセン。
しかし、終いには、互いに胸倉でも掴みに行きそうに見えるほど、熱くなり、身体の大きなユリンとゼラスが間に入り、静止する場面にまで発展した。
そんな中、今まで三舌の中で、一人黙していたインペルが動いた。
「陛下。陛下のお考えをお聞きしたいのだが、如何でしょうか?」
アニムは一瞬、眉根を寄せた。
唯一、アニムの考えを推測出来ている男だ。
インペルはさっさと、話を進めてしまえ、とでも考えたのだろう。
実際、それは決定的な意味を持つ。
一つは、開戦権をアニムが保持しているという事。
そして、もう一つは、それがこの国の在り方であるからである。
この国の宗教観において、”常に王が見守っている”、それはアニムとのつながりと呼ばれている訳である。
その思想は、宗教観にとどまらず、この国の政治の形態としては、正しくその通り体現されていた。
国民とは、王の愛し子であり、国民は政府に所属しているのではなく、王と繋がっている。
故に、その国民を虐されて、その報復をアニムが命じたとして、王に任じられている政府が、それを政治で「否」と止めるのは、余程の理由が必要となるのだ。
なければ、解任されてお終い。
最悪、謀反とさえ見られる。
数瞬まで、熱くなっていた者たちも、一気に沈静化しアニムへと視線を注いだ。
アニムは静かに、3拍ほどおく。
「国家とは何か?」
そして、話だした。
「国民はなぜ、国家の言うに従うのか? ……それは、国家の求むべき道が繁栄であり、国民の求むべき道もまた、繁栄であるからではないのか?」
そういって、アニムは一度、面々を見渡した。
国家(政府)はアニムにより、国の繁栄を命じられ、国民は皆、繁栄を望む。
国とは国民の集合体の事である。
先の話と、なんの矛盾もない。
「であれば、外敵が現れた時、国民のために如何するべきなのか。国家として力を示し、このミコ・サルウェの傘の下であれば、安心して暮らしていける事を自覚してもらうには、どうしたら良いか? 皆には、今一度考え、その上で答えを出してもらいたい。」
多少、示唆的な話のみで、アニムは戦争をするとも、しないとも、明言はしなかった。
アニムとしては、宣戦に大きく意識を寄った考えを持っていた。
しかし、プロセンの言うように、相手方の戦力は解らない。
無警戒であったが故に、随分な被害を出してしまった今回。
しかし、しっかりと防衛に意識をもってすれば、本来は、軽くあしらえる程度の小競り合いの筈であった。
そして、まさか、アレがスカリオンの戦力、その全てとは、アニムは欠片も考えていなかった。
ミコ・サルウェは孤立している。
それは、今、初めて隣国と対峙しているのだから、当然である。
ただし、相手がどうかは解らない。
味方の敵は敵。
一度戦争を始めたら、他に2国も3国も、自国に宣戦して来て、自国1に対して、敵4国でボロボロにされる。
などという、あってはならない事も、充分に起こりうるのだ。
この判断は、国の分水嶺になりえる。
無論、最後はアニムだ。
しかし、アニムの一声で全てを決定する。
そんな軽々な意思決定を、これほど早くに、アニムは行うつもりは無かった。
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