ミコ・サルウェ

(ノベリズム版)
皆月夕祈
皆月夕祈

ep2 イルミナ

公開日時: 2022年11月4日(金) 16:15
文字数:3,548

 月の都の外れ、オムナスにも近しい一等地。

 魔女イルミナは目を覚ました。


 歳はそろそろ、50に届きそうな頃でありながら、未だ、その美しさは衰えず、どこか退廃的な婀娜っぽさを滲ませる女であった。


 これでも、彼女は闇燦師団に所属する軍人。

 スカリオンとの戦争を生き残り、あれから二月《ふたつき》過ぎた非番の日であった。

 

 イルミナは着替えると、ふらふらとオムナスにある公園へと足を延ばした。

 そこで、遅めの朝食、ブランチを楽しもうという腹積もりである。


 穏やかな休日。

 かつてのイルミナが、今の彼女を見たらどう思うのであろうか。

 

 ヘルゲイストの魔女。

 最愛の息子を亡くした母が、息子の生まれ変わりを探して、子供を攫っては、その魂を抜き取る。

 そして、自らでほった木彫りの人形に閉じ込めていた狂気の魔女であった。

 

 

 無論、それはEOE時代の話。

 ミコ・サルウェで、そのような事が許される訳もなく、魔法使いによって制約の魔術を掛けられていた。


 化け物になり果てるような、深い悲しみと狂気だ。

 その制約で、悲しみが癒える事は無かった。

 しかし、病の発作を薬で抑え込む様に、波の様に襲い来る狂気に対しても、ある程度の抑制がされており、彼女にとっては狂気に飲まれていた頃よりは、多少の安息となっていた。

 

 


 そして、今、イルミナに制約の魔術は掛けられていない。

 

 狂気から目覚めた彼女には、不要な物となったのだ。

 

 ”あの日”、太陽の女神と邂逅したイルミナは、自らの罪に戦慄し、本当の意味での正気を取り戻した。

 

 全てに対して、分け隔てないはずの女神。

 しかし、どうしてだろうか、イルミナはあの時、女神にきつく睨まれるのを感じたのだ。

 恐ろしかった。

 血の凍り付くような冷たい刃が、イルミナの心臓をザクザクと刺し貫いている様で痛く、苦しい様な感覚。

 思わず、脂汗を流しながら、そのまま倒れこみそうになった。

 

------なぜ? 私の何を気に入らないのでしょうか。

 

 そして、他の者とは違い、視線を外し、俯いたが故に気付いた。

 

 イルミナが、その手に持った人形。

 そこに閉じ込めた子供の魂は、本来、女神にお返しせねばならないモノであった。 


 イルミナに出会った子供は、その魂を抜き取られる。

 ヘルゲイストの子供にとって、イルミナは死の象徴である。

 そんな、EOEの世界では、民謡歌唱にすらなっている話。


------死の象徴? 違う! 女神様! 違うのです! 女神様と同じ存在になろうとしたわけではないのです!

 イルミナは必死に弁解した。 

 


 生きとし生ける者は、皆、月の男神より産れ、太陽の女神に還る娘、息子。


 それをイルミナが女神を偽り、横から奪い取る。

 そして、自らに留め措いていた。

 なんと醜い事であろうか。

 それは、睨まれもするだろう。



 イルミナは弱い人間だ。

 彼女は子供を失い、人生の焦点を無くした。

 しかし、それは深い悲しみが、彼女の思いを歪めてしまっただけ。

 

 彼女自身の本質は、子を思う母。


 

 イルミナは、女神に懺悔し、魂の牢となった人形を太陽に掲げた。

 

------御預りしておりました魂、今、女神さまへお返し申し上げます。


(最愛の息子を忘れられるか?)

 自分の声が心の中で響いた。



「否!」


------お誓い申し上げます。非力なだけの母では、もう無いのです。


「私は生きます。新たに生まれ、貴女様の元に旅立つ子等。私は、その全ての守護母となりましょう。」



 そう、宣誓した。

 あれから、2か月。

 イルミナは今も闇燦師団の一員として、国を守る仕事についていた。






「なんだ、ガキ!!」

「……ひっ……。」

 

 公園でブランチを楽しんでいたイルミナの耳に、男の物と思われる粗野な声が聞こえた。

 この公園の近くには、託児所、日本風に言えば、幼稚園や保育園の様なものが有った。

 この時間は託児所の子供たちが、職員に連れられて、公園を散歩しているのだ。

 

 子供殺しの自分が、そんな所に近づくのは如何な物かと、イルミナも、当初は迷いもした。

 しかし、近寄ったところで、もはや、発作の様な物に襲われる事も無く、ある意味で、自らの正気を確かめる、そんな事にも役立っていた。


 そんな子供たちに、自分ではなく、社会に溶け込めないゴロツキの様な者が絡んでいた。

 イルミナは眉を吊り上げる。

 

 しかし、イルミナが何かをする必要はない。

 あっと言う間に”糸”が飛んでいき、男の身体をぐるぐる巻きにした。

 

 託児所の職員はアラクネであった。

 アラクネは人の上半身に、蜘蛛の下半身を持つ女性型の魔物だ。

 

「マ゛マ゛ー!!」

 子供は駆けだすと、泣きながらアラクネに抱き着いた。

 その子供は、どう見ても人間の子であり、恐らく勢い余って、アラクネの職員をママと呼んでしまったのであろう。

 そんな可愛らしさに、イルミナは男に絶対零度の視線を送りつつも、暖かい気持ちで胸を満たしていた。

 

 アラクネは、泣きじゃくる人間の子を必死であやしている。

 しかし、ここで困ったことが起こった。

 

 泣く子に注意がいってしまい、それまで、相手をしてもらっていた獣人の子が寂しくなって、泣き出してしまったのだ。


 アラクネは、下半身は蜘蛛故に、足は沢山あるのだが、腕は2本に身体も一つ。

 それでも、何とか泣き止ませようと、声を掛ける。

 しかし、人間の子も、獣人の子も泣き止まない。

 

 イルミナはクスリと、優しく笑うと立ち上がり、歩き出した。

 そして、泣いている獣人の子の前にしゃがみ込むと、視線の高さを合わせた。

 

 泣くのに一生懸命な子供は、それに気づかない。

「君、名前は?」

 イルミナは子供に声を掛けた。

「?」

 ようやく、気が付いた子は、突然現れた知らない人に、きょとんとして、イルミナの顔を眺めている。


「君の名前を教えて? おばさんはイルミナよ?」

 再び問いかけて、イルミナは暖かい笑顔を浮かべた。


 獣人の子は、一瞬びくりと身体を震わせると、少し、もじもじとして

「ミラ……。」

 と、それだけ答えた。

 

「そう。ミラと言うのね? じゃあ、ほら、これ、見ててね?」

 イルミナはそういうと、懐から淡く光る石を取り出した。

 それ程、質の良くない魔石だ。

 

 しかし、イルミナが中空を、それで引っ搔くと、キラキラした光の線が生まれた。

 魔石の魔力を使った簡単な魔術。


 もともとは、種族問わず、暗闇で、かつ距離があっても意思疎通を可能とするために、蒼海師団で開発された魔術。

 

 魔術刻印には高度な技術が必要となる。 

 しかし、物さえあれば魔道具同様、魔石の魔力を使う為、本人に魔力が無くて使える簡単なものであった。

 

 

 イルミナはそれで、空中に花や三日月、蜘蛛、様々な絵を描いていく。

 ミラはそれを見て、

「キレー!? お月様ー!あ、先生だ!!」

 指をさして、はしゃいでいる。

  

 ふと気が付くと、イルミナは子供たちに囲まれていた。


「ミラ? その人だーれ?」

「お空にお絵かきしてるー!!」


 イルミナは懐から魔石を取り出すと、魔術刻印を一瞬で刻んだ。

 本来であれば、非常に難しい技術。

 しかし、彼女にとっては些事であった。


 同じものを、いくつか用意してやると、子供たちに渡してやる。

 イルミナから魔石を受け取ると、子供たちは思い思いの絵を空に書いていった。

 

 それを、イルミナも楽しそうに見守っている。



「あの、ありがとうございます。」

 アラクネがイルミナに声を掛けて来た。

 先程、男に絡まれていた子は、泣き付かれたのか、アラクネの腕の中で眠ってしまっていた。

 それを見て、再びイルミナはクスリと笑う。

 

「いえ、むしろ御免なさいね? すぐに助けてあげられなくて。私はこれでも軍属なのよ。」

 そう言うと、肩の衣を少しずらす。

 すると、そこには闇燦師団の軍章が入れ墨として彫られていた。


 アラクネは一瞬、「あっ」という顔をする。

 

「それじゃあ、私は、アレを運ぶから、もう行くわ。……本当は今日、非番なんだけどね?」

 そう言うと、イルミナは男の襟首をつかむ。

 そして、見た目ではそうと解らない程の強い力で、担ぎあげた。

 

 

 ひとまず、牢屋に居れて、一晩反省してもらいましょうか、そう思って歩き出そうとして、


「?」


 小さな抵抗を感じて、そちらを見るとイルミナの服袖を、ミラが掴んでいた。

「おばちゃん、行っちゃう?」

 ミラは悲しそうな声を出した。

 

 イルミナは少し困ったように、眉をハの字に傾けた。

 同時に、子供の魂を攫う、恐ろしい魔女と言われた自分が、どうして、この様な状況になっているのか。

 それが、少しおかしかった。


「もし、よろしければ、また、遊んであげて貰えますか? 子供たちも喜びます。」

 

 アラクネがイルミナに言う。

 もしかしたら、子供たちを納得させるための方便なのかもしれない。

 

 しかし、イルミナが辺りを見渡すと、子供たちは皆、期待している目で、イルミナを見つめていた。


「……そうね。ふふふ……ええ、喜んで。」


 イルミナは美しく、微笑みながら、そう答える。




 彼女は、このところ、良く笑うようになった。

 





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