ハイエンは、夢なのか現実なのか解らない、少し火照った心地で、兵たちが戦の準備をするのを眺めていた。
天使を救出するためと、ハイエンだけでなく、今回は元老達も”その気”であった。
御蔭で兵たちは、いつも以上に急かされて、相当に慌ただしい。
そして、ハイエン達にとっては隠したいこともあり、その方が都合が良かった。
たとえ、そこを突っ込まれても、忙しくしていれば、有耶無耶にする事も出来ようという思惑であり、それはカテドラル派内で一致していた。
神殿騎士による侵攻の結果は、それ自体だけで言えば、充分に成功したと言える成果を上げる事が出来たと、ハイエンは考えていた。
実際には、隊は限りなく全滅に近しい状況である。
戦いには戦術と戦略がある。
全滅は戦術、しかし、天使を手に入れるという戦略目標は達していた。
神殿騎士はアレが全てではない……それどころか、一部、地方都市に分散する全てを集めれば、あの5倍は未だに健在。
そして、国としての戦争へと発展した今、戦うのは国軍の兵士であり、神殿騎士ではなかった。
無論、要請があれば、神殿騎士の出番もあろう。
しかし、それでは国軍の面子が保てない。
ハイエンは、要請があったとしても、それは限定的な物になると予想していた。
国政の長であると同時に、カテドラル派の長であるハイエンとしては、自派勢力の消耗を必要最小に抑え、天使を手に入れる。
そして、勝手に東を占拠している蛮族から、天使を解放するという大義名分を手に入れる事が出来た。
そこまでは、非常に良いとハイエンも眦を下げた。
ただし、唯一、看過できない問題としては、連れ帰った天使が、オベリオンへの移送のさなかに、まるで天に召される様に、唐突に息を引き取ったという事であろう。
天使の遺骸はハイエンも、カテドラル派の元老と共に確認していた。
もともとの輝くような銀髪と聞いていた髪は、黒く変色し、血色の抜け落ちた肌は、人間の死体、それよりも青みを持っていた。
無論、この様な事を公には発表できない。
民衆、そして、つついてきそうなインデシネス派の元老にも、当然隠した。
天使様は蛮族共によって与えられた心労が、殊の外重く、衰弱なさっておられる。
故に、今は人前にお出ましになられるような状態ではない。
体長が快癒されてから……と嘘で隠し、遺骸はハイエンがミーミルの地下牢に隠した。
ハイエンは、懐から結晶を取り出した。
(あの少年の口ぶりでは、天使様は一人ではないようであったが……。)
この戦争の終結と同時期に、結局、天使様は快癒に向かわず、そのまま身罷られた、と発表する事になっていた。
ハイエンだけでなく、カテドラル派の人間としては、あの天使の身体をバラし、じっくり調べたいという思いがあった。
しかし、科学的知見よりも、精神的な価値を優先するインデジネス派が、それを許しはしない事は予想に難しくない。
故に、その時、目くらましとなる天使が欲しい。
そう考えた。
ハイエンはその時、ふっと小さく鼻で笑った。
(まあ、それは飽く迄も、保険の話。)
ハイエンが手に持っている結晶。
それは、人を天使へと昇華すると言われているもの。
勿論、それが正しい保証など有りはしない。
ましてや、一度しか使えない物として聞いている故、気軽に試して見るわけにもいかなかった。
しかし、少年の言うように、東には確かに天使は居たのだ。
ハイネン他、スカリオンが、アルカンジュ教が、皆が求め続けていた天使が。
信じるに値する。
そうハイネンは考えていた。
ハイエンは今回の戦。
これを、自らに使うと決めていた。
ハイエンが天使として、覚醒し敵を薙ぎ払えば、この戦いは聖戦として語り継がれる事になるだろう。
(天使として覚醒すれば、そのような事、造作もないはず……。蛮族共にはそのための生贄になってもらわねばな……、さすれば死んだ天使の事など、どうとでもなろう。)
ハイエンは元老の祖たる八聖に次ぐ、新たな9人目の聖人となり、教皇としての務めを果たした初の存在になろうとしていた。
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